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トモの世界

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 南波以外の誰かの後ろを歩くのは久しぶりだと、そのとき感じた。


   十四、


 銃をここまで重いと感じたことはいままでなかったように思う。
 私たちは細く続く道を、セムピと名乗ったリーダー格の男を先頭に歩いた。霧はまだ私たちを包んでいた。時に濃く、時に渦巻き、しかし晴れない。しだいに現実感すら薄く頼りなく感じられてくる。空腹だった。思考能力の維持は最優先させなければならない。身体を動かすのは思考だ。思考と肉体は広義では不可分であると理解していながらも、肉体側の疲労が増していた。それは思考回路にも影響をおよぼし始めていた。
 私たちは特殊作戦に従事する部隊として、陸軍の一般部隊とは比較にならない過酷、苛烈ともいえる訓練を受けている。選考過程では、もはや志願者を振るい落とすことこそが目的としか考えられないようなテストも受けた。思い出すだけで、泥や草木の臭いが鼻腔の奥に濃密によみがえるほどだ。目の前に一生かかっても使いきれない大金を積まれても二度とごめんだ。
 一般部隊に所属していては絶対に受けることもできない、半ば常軌を逸した訓練を私たちの部隊は行っているのだと南波から教えられた。南波は一般部隊から第五五派遣隊を志願してきた選抜者だ。しかし、彼の口から、いったいどこの方面軍のどの師団のどの部隊に所属していたのかは一切聞いたことがなかった。口ぶりやふるまいからはどうやら歩兵部隊の出身らしいことが分かったが、詳細は分からない。そして、それを私が訊いたこともなかった。南波は不必要に私の情報を欲することもなかった。だから、作戦行動中に話した互いの『身の上話』の信ぴょう性も甚だ怪しいと私は思っていた。
 セムピとイメルは古めかしいがどす黒いまでに使い込まれた木製ストックのライフルを肩から提げ、黙々と歩いていた。蓮見と私は、習性化してしまったのか、4726自動小銃を彼らのように肩から提げる気にならなかった。弾倉を抜き、薬室から弾薬を抜いているにもかかわらずだ。落ち着かないのだ。そう感じることがすでに精神が弱体化している証左だろう。
 道は起伏に富んでいたが、たとえば登山道ほどに急峻な道のりでもなかった。なだらかに登ってはなだらかに下る。それの繰り返しだ。背の低い灌木と草原と見まがう草木が果てしないほどに続く丘陵を、ところどころに針葉樹林が顔を見せながら、道は続いていた。霧も雲もあたり一帯をモノトーンに沈み込ませていた。太陽の位置もよくわからなかった。時計を見る気分にならなかった。そもそも目的地までの距離がわからない。自位置を完全にロストしてどれくらいたっているだろうか。
 蓮見の吐息が白く見えた。気温は確実に下がっている。私たちに先行する二人の猟師は一言も発しない。行軍しながらくだらない話で気を紛らわせる私と南波のようなことはしないのだろう。あるいは、音声による積極的コミュニケーションを必要としないのかもしれない。それは同盟軍の<THINK>という無粋なものではなく、音声化した言葉を必要としない関係なのだろう。姿勢が語る。しぐさが語る。そして、視線がものをいう。そうしたコミュニケーション能力ならば、私や蓮見にも備わっている。いや、備えられていると表現したほうが正しいだろう。それも苛烈な訓練中に培われていく。相棒(バディ)の表情一つ、動作ひとつでその時々の意思と意志と、そして感情を理解する。訓練を重ねていくと、人間も動物なのだとあるときふと気付かされる。言葉は個々の意思が具体的に情報化されたものだ。解釈に相対的度合いを含みこそすれ、大意は絶対的なものだ。そしてときに言葉は誤解を生む。言葉そのものに力があるからだ。拘束力と言い換えてもいい。言葉にはそうした力がある。文字でも、数字でも、異国の言語でも。紙に書かれた文字が強制力を持つ以上に、音声化された言語はさらに人間の思考を具体化させる。
 翻って仕草はどうか。そう、雰囲気というやつだ。
 普遍的なものではないし、絶対的なものでもない。しかし、価値観や経験や意思、行動規範を共にする団体にあって、しぐさがもつ信号の意味はある程度限定されてくるし、発信者の意図は言葉よりもより感覚的な情報として、受信者に伝わる。訓練と経験を重ねた者同士であれば、そこに誤解が錯誤が介在する可能性も低下する。今は沈黙しただの死重と化しているCIDSの表示機能には、しぐさを記号化したかのような表示がある。いつか南波に話した南洋の部族……音声言語をほとんど持たないハルマヘラ族の言葉のように、ディスプレイに表示される記号に、「情報の意思」が表現されるのだ。それは、相棒のしぐさひとつで戦況、感情、意思、疲労度その他を一瞬で脳が理解するのに近いのだろう。
 蓮見の後ろ姿は揺れていた。もはや肉体的限界を超え、足の傷の痛みすら彼女は客観的に感じているに違いない。痛みは感じる。しかしそれを感情から分離する。痛みをコントロールする。痛いという感覚を、『感じないふり』でごまかす。痛みそのものを遮断する特定の麻酔効果よりも安全な方法だ。これは私たちは第五五派遣隊の医官たちによる施術で後天的に授かった機能だった。苦痛は感じるが、意識がその痛みを、あたかも他者のものであるかのように分離するというわけだ。それも医学的施術と訓練によって獲得される。
 蓮見の大腿部の傷の具合はどうだろうか。幸いにして出血はかなり前に止まっているようだが、海軍の飛行機の畸形的輸送機に振り落とされ、着水の準備もない体勢で水面にたたきつけられ、傷を負い、体温を奪われてしまった蓮見の身体は、もはや限界をとっくに超えているのだ。それでも歩く。歩くしかないからだ。
 一時間、二時間。
 極北は夏至に向かって日没時間が遅くなっている。
 空はまだ乳白色を保ち続けており、時間の経過を感じられるのは、私たちの吐息が白くなること……気温の低下だけだった。いつしか海の匂いも遠ざかっていた。
 セムピもイメルも歩調をまるで変えずに歩き続けている。私たちを振り向くこともしなかった。彼らの背中に何らかのセンサーが取り付けられているかのようなふるまい。私たちがしっかりと追尾していることだけを感じながら進んでいるのだろう。
 彼らの体臭が私まで届いてくる。それは、私にとって、やはり故郷を……柚辺尾の山野を思い出させるものだった。
 山中で野営しながら獲物を追うことがあった。ユーリは片時も強力なマグナム弾を装填した回転式拳銃(リボルバー)を身体から離そうとしなかった。祖父はライフルをすぐに携えられる場所に置き、火を起こして食事の準備をした。十代の私は、うずくまるように、燃える焚火からやや離れた場所に座り、様々な匂いを嗅いでいた。
 獲物を追ううえで、嗅覚が重要であることを祖父は言葉としぐさの両方で私に伝えてくれた。森の中で、草原で、祖父は動物がするように、顎を突き出すようにして鼻を開き、そして匂いを嗅いでいた。そのしぐさだけで十分だった。
 山野には様々な匂いが渦巻いている。
 草木。
 水。
 風。
 天候。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介