トモの世界
「それでいい」
左の男が満足そうに目を細めた。彼が「先任」なのだろう。そんな落ち着きがあった。
「蓮見、これは命令だ」
私が鋭く言うと、蓮見は不承不承、4726自動小銃から弾倉を抜き、私にならってコッキングレバーを引き、薬室から弾を抜いた。
「イメル、弾、抜け」
左の男が低く言う。もうお互いの表情が手に取るようにわかる距離だ。イメル、と呼ばれたくせ毛の男が黙ってライフルのボルトを引き、弾を抜いた。ボルトはそのままホールドオープンにした。射撃をやるものならわかる。撃つ気なし。布を巻いた男も慣れた手つきで薬室から弾を抜いた。ライフルはシンプルな木製ストックの猟銃。黒光りする銃身から、私たちの4726と同口径と思われた。猟銃としては一般的な口径だった。弾頭の重さや火薬(パウダー)の量まではわからなかった。猟銃に載せている光学照準器(スコープ)も電子デバイスなど一切ついていないシンプルなもの。塗装がところどころ剥げてはいるが、銃ともどもよく手入れされているのがわかった。
「帝国の兵隊さんよ」
布を巻いた左の男がまっすぐ私を向いて話す。
「道に迷ったか」
「帰る途中なんだ」
「陸軍か」
「そうだ」
「女子供まで戦争をするのか」
「子供じゃない」
「そっちのお嬢ちゃんは、俺たちから見れば子どもだ」
顎でしゃくるように、くせ毛の男が笑った。
「それに私たちはただの兵隊じゃない」
「そうか。そういやあんたら兵隊には、無粋な階級ってもんがあるそうだな。お嬢ちゃん、お前の階級はなんだ」
「准尉だ」
蓮見が不服そうに言う。若さが出た。彼の言うとおりだ。彼女はまだチビッ子だ。
「そうか、准尉さんか。どれだけ偉いのか知らないが、立っているのもやっとそうだな」
くせ毛が言う。
「イメル、からかうのはその辺にしておけ」
「おまえらが派手にやったせいで、海は油だらけ、森はめちゃくちゃ、様子を見に来たらこのざまだ」
くせ毛が目をギラリとさせて、険のある声音で言った。
「道に迷ったんだな」
布を巻いた男が再度言う。
「……国境を目指してる」
認める代わりに、いまの目標を私は答える。
「はっ、」
布を巻いた男が鼻で笑った。
「まだ俺たちの足でも一日はかかるぞ。おたくらの国境とやらまでは」
「……そんなに」
「蓮見、」
「お譲ちゃん、ハスミっていうのか。名前か苗字か、どっちだ」
「苗字」
「名前はなんていうんだ。俺たちにはそっちのほうが大事だ」
「訊く前に名乗れよ」
「強がりだな。俺はイメルだ。こいつはセムピ」
くせ毛が笑みをひっこめ、ほんのわずかに首を前に揺らした。会釈だと気付いたのは一泊置いてからだった。
「優羽(ゆは)」
「いい響きだ。あんたは、」
セムピと名乗った布を巻いた男はライフルを肩にかけなおして訊く。
「トモ。入地、朋」
「トモ、か。あんたもいい響きだ」
セムピもまた立派なひげを生やしていた。荒っぽいしぐさと風体だが、不思議な清さがあった。背筋も伸びていた。こんな雰囲気の男を、私は知っている。進退きわまりつつある戦場にあっても、けっして屈しない、やたらと歯の白さばかりが目立つあの男。どんなに薄汚れていても、彼には清い何かがあった。それはおそらく、表裏のない笑顔だったのだと思う。
「お前らのクニに帰るのか」
セムピと呼ばれた男が訊いてきた。低いが通る声だった。
「部隊に戻るんだ」
「歩いていく気か」
「ほかに方法がない」
「もっともだな」
「あんたらは、どこから来たんだ」
私が訊く。当たり前のことすぎたかもしれない。
「自分たちの家からさ」
セムピが当たり前に答えた。
「近いのか」
「引き返せば、日が暮れる前に着く」
「なにしにここまで来た」
「愚問だな」
「なにがだ」
「あんたらがめちゃくちゃやってるから、様子を見に来たのさ。シカもクマもみんな逃げちまった。帰ってこなかったらあんたらのせいだな。俺たちは『失業』だ」
「姉さん、こいつら、敵(ルーシ)側の人間だ。構わないで行こう」
蓮見が言う。
「敵側ってなんだ」
イメルが言う。低くこもった声。不機嫌さをさらに増した表情で。
「あんたらは国境のこっち側に住んでるんだろう。だったら帝国の人間じゃないってことだ。北方会議同盟(ルーシ)連邦の人間……だったら敵じゃないか」
蓮見が言うと、イメルは、ふっと鼻から息を抜き、そして笑った。
「くだらねぇ。本当にくだらねぇ。……あんたらを相手にしてるとあきれてものも言えなくなるぜ。白いか黒いか、そういうことか。だったら俺たちは違う。灰色さ。そういうこった。わかるか」
「灰色?」
「灰色だ。国境線なんてもんは、あんたらとネギ坊主の連中が作ったんだ。違うか」
「ネギ坊主?」
蓮見がおうむ返しに言う。めずらしく、イメルのたとえがわからなかったようだ。
「同盟のことだ、蓮見。教会の屋根だ」
北方会議同盟(ルーシ)連邦の教会の屋根の意匠だ。タマネギを思わせる造形をしているのだ。だから帝国の人間もかの地の教会の建物を「ネギ坊主」と呼ぶ。
「かってに国境線を引いて、かってに戦争を始めて、挙句の果てに俺たちの獲物を散り散りにさせやがって。いい気なもんだぜ。いいか、俺たちは灰色だ。どっちに与する気もねぇ。それに、この道は俺たちが作ったんだ。通行料を取られないだけありがたいと思うんだな。国に帰りたきゃ、このまま進め。一日歩けば、あんたらの帝国だ。街が残っていればいいがな」
「どういうことだ」
蓮見が訊く。
「昨夜は派手だった。夜が昼間みたいでよ。迷惑したぜ」
「攻撃があったってことか」
私。
「攻撃だか防御だかはしらねぇ。飛行機がやかましく飛んではいなくなって、花火みてぇにドカドカ派手にやってたぜ。北でも南でも、海の上でもな。……かわいそうによ、アザラシはもう何年も帰ってこねえだろうな。兄貴、行こう。こんな奴ら、構ってるこたぁねぇ」
イメルが私たちから視線を外した。汚物から顔をそむけるような。
「うちの村へ来るか」
返事の代わりに、セムピが言った。表情を変えず。笑いもせず。
「兄貴、何言ってんだ」
「見てたらこのお嬢ちゃんたちが気の毒になってきたのよ。汚らしいなりだ。水でも浴びて帰ればいい。それくらいのもてなしはしてやるさ」
「兄貴、」
「来る者は拒まずだ。それが兄弟(イルワク)のやり方だ。そういや、ユハさん」
セムピが白い歯を見せて言う。
「この、トモさんを、『姉さん』て呼んでたな。あんたら姉妹か」
「違う……あだ名みたいなものだ」
「そうか。姉さんって呼ばれてるのか、あんたは」
私はうなずくこともせず、4726自動小銃のスリングを肩に通し、そのまま銃を提げた。
「来るか」
私は黙ってうなずいた。
「いい子だ」
言うと、セムピは芝居めいた調子で大きく笑った。
不服そうな表情の蓮見を私は促した。
蓮見も銃を肩から提げた。
私は休みたかった。蓮見も休ませたかった。そして私のアラームは、彼らを前にして静まり返っていた。敵意を感じなかったのだ。セムピもイメルも、弾を抜いたまま、再装填をしないで振り返り、来た道をまた黙って歩き出した。
私はそれに従った。
誰かについて歩く。