トモの世界
それほど長いとは思わない。作戦行動中なら特にそうだ。
二時間。
一瞬ですぎることもある。
三時間。
行動の組み立てを迫られる。
私たちは霧に巻かれながら歩いた。
三時間が経過していた。
けもの道は迷いもなく続いていた。分岐も、折り返しもない。ただ、道そのものが誰かの意思に従っているように、確実に続いていた。警戒心が心のどこかでアラームを鳴らしていた。本来なら、私たちは歩きやすい道を避ける。人は歩きやすい道を歩くもので、それは市民だろうと兵士だろうと変わらない。むしろ、兵士はその装備の重さ、行動単位から、より歩きやすい道を選ぶ傾向が強い。すなわち、一般部隊とは行動内容が異なる私たちにとって、歩きやすい道とは、敵との不期遭遇を招きやすい場所であり、選んで進むべき場所ではなかった。特殊作戦に従事する私たちが選ぶべきは道なき道なのだ。
しかし私はこの道を歩くことにためらいがなかった。私は疲れていた。それに蓮見の負傷度合は、まともに歩ける道以外の経路を許さなかった。私自身の疲労度も同様だった。
歩きはじめて三時間。けれど、歩いた距離はせいぜい十キロ程度だろう。体調も装備も完全ならば、その倍は確実に距離を稼ぐことができる。けれど今の私たちには、この速度と距離が限界だった。
私たちは無言だった。
かろうじて、前衛が私、後衛が蓮見、そんな役割分担をした。ときどき休んだ。風景は変わる気配も見せなかった。ワタスゲと、腰の高さほどの茂み。そして濃密な霧が私の感覚を大きく狂わせる。太陽の位置もよくわからず、明るさも変わらない。明るさが変わるとすれば、それは日没時だ。突然に暗くなる。果てしない疲労感が、4726自動小銃を即座に撃てる姿勢で保持することすら許さなくなってきていた。正直に、この銃がふだんの作戦で携えることの多い五.五六ミリ口径の4716自動小銃ならと考えた。本体だけでも一キロ近く違う。4726と4716は基本設計や稼働部の構造は同じだったが、弾薬の威力が根本的に異なるわけだから、銃のフレームは当然大口径の4726が重く、図体も大きくなる。銃身も長い。弾薬そのものの重量もある。
何度目になるだろう。私は歩みを止めた。蓮見の呼吸音が耳につく。いや、自分の息も相当に荒い。
霧が濃すぎる。
風は吹くが、霧を晴らすことはなく、ひたすらミルクを溶いたような濃密さであたりを巻いていた。
静まり返っていた。波の音も届いてこなかったから、ある程度この道は内陸に食い込んでいるのだろう。時折霧の中に現れる黒い影に身体がこわばったが、それは戦闘車両の残骸であり、近寄るまでもなく草が絡みつき錆を全身にまとっていることが見て取れた。
手持ちの糧食はまだ二日分を残している。クラッカーにゼリー状の緊急食。戦闘機の射出座席にサバイバルキットとして装備されているものと同じだ。コンパクトに収まるが、高カロリーで、味わうことをまったく考慮していない食べ物だ。
アンダースーツの内側が不快だった。汗。しみた水。
私は蓮見を促して道端に座った。
互いに無言だった。
意識が散漫になっていた。いけないとも思った。
だが、蓮見と視線を交わすのがおっくうに感じた。
とりあえず、4726自動小銃の負い紐(スリング)を肩から下ろし、傍らに置いた。グリップからも指を離した。思わずよろめいた。そのまま仰向けに、茂みへ倒れこんでしまった。
「姉さん、」
蓮見が気遣う声を上げた。
私は返事をせず、茂みに沈んだ。
背中のバックパックのでっぱりも、茂みが吸収した。思いがけず、私の全身をけだるい疲労が、心地よく包み込んだ。目を閉じた。もう二度と目を開きたくないと思った。
とうとう、兵士がもっとも恐れるべき甘美なる魔物にとり憑かれてしまったようだ。疲労という名の抗いがたい魔物だ。
蓮見がいなければ、このまま眠ってしまうだろう。
そして夢を見るに違いない。
都野崎か。
それとも戦場の夢か。
都野崎の風景と、弾丸飛び交う戦場の風景と、どちらが現実なのか、あいまいになってくる。いま私は作戦行動中であり、すなわち戦場に身を置いているのだが、この世界が都野崎で過ごした四年間と地続きでつながっているとは思えなくなった。都野崎は華やかでにぎやかで、支配者は森でも山でもなくそこに住む市民だった。誰もが自分の運命を自分で支配していると信じていた。戦場も支配者は人間だったが、その人間はすさまじい暴力を携えて一方的に運命を支配している。緊張感と恐怖と疲労だけがそこにあり、あるいは絶望が戦士たちを包み込む。言ってしまえば悪夢を柄に書いて額縁に入れるなら、とっておきの一枚は戦場にこそあるだろう。都野崎や京の街や、出水音にはそれらがない。
暴力を背景にした軍隊という究極の支配者が闊歩する椛武戸をのぞいて、人間と自然が絶妙なバランスで共存しているのが私の故郷の北洋州だった。歳時記を開く必要もなく、日々季節の移ろいを肌で痛感できるのが柚辺尾の気候だった。北洋州を出、帝国の本土に渡り、穏やか過ぎる都野崎の日々で一時感じた私の違和感は、その後の四年間のどこかでなくなった。私も都野崎の市民として、なに不自由なく過ごした。生きようと願わなくても、努力を怠っても生きていける無限のけだるさの中に身を浸してそれを享受した。高射砲塔の本来の用途を忘れた。知る必要もなかった。おそらくあの街の誰もがそうだった。大洋を越えて、いったいだれが都野崎を爆撃に来るのか。「高射砲塔」は固有名詞化していた。戦跡ですらなかった。史実、あの高射砲塔が敵の爆撃機の大編隊を迎え撃った経験などしていないのだから。
丹野美春を思った。
過去、武家政権が栄えていた時代、彼女の故郷を主戦場とした戦いがいくつもあった。私も歴史の教科書で学んだ。戦で京の街の半分が焼け野原になったこともあったという。しかし、飛び道具といえばせいぜいが射程一〇〇メートルに満たない弓矢の時代の戦争と、地平線の向こう側の敵さえも殲滅してしまう現代の戦争とは違う。「戦争」は固有名詞ではないのだ。そして、今も昔も戦のさなかで変わらないのは、生きることを強く認識しなければ、ただ死ぬだけであるということだった。
死はときに甘美な願望となって兵士を襲うのだ。
私はそう大学で学んだ。
夢。
現実から逃れる術としての夢。
どこに現実の世界との境界があるのか。
夢を語る(・・・・)のと、夢を見る(・・・・)ことの違い。
明文化できない夢の体験。
私はあの元空軍パイロットを思い出す。
この北方戦域の空で撃墜され、ワタスゲの原に迷い込んだ彼の話。
戦場のパイロットたちの間で語られる、別世界への入口の話。
私自身が迷い込んだ場所。
わかっていたことだ。
私がなぜ軍に入ったのか。
それを確認しに来ただけなのだろう。おそらくは。
「姉さん」
蓮見の声が聞こえる。
仰向けに転がった私は、作戦などどうでもよくなっていた。
敵の姿もない。
蓮見をのぞけば味方の姿もない。
縫高町の廃墟になった病院で、八九式支援戦闘機の近接航空支援を待ったあのとき。ともにいた南波の姿はいまはない。
南波少尉。