トモの世界
そうだ、都野崎からは幹鉄……高速幹線鉄道の路線があった。夏はそれでずいぶん賑わうのだ。
「碧水へはよく行ったのか」
「学校の研修旅行とか、家族で」
「どんな街だ。碧水みたいな観光地、私は行ったことがない」
「けっこう大きい町だよ。温泉があるんだ」
「ああ」
「そういう町を、って言っても、夢の中では碧水だって思ってるけど、夢から覚めたら知らない町なんだ。そういう町を、一人で歩いている夢」
「歩くだけか」
「自分の部屋があったりする。住んだこともないのに」
「住みたかったのか、碧水に」
「そんなこと、思ったこともない。それに、夢から覚めたら、本当の碧水や出水音とは全然違うんだ。街の風景も何もかも」
「でも、夢の中では、自分の街だって思っているわけだ」
「そう」
「そういう夢をよく見るのか」
「見ていたと思う」
「覚えていないのか」
「はっきりとは。……でも、夢だっていうのはわかる。だって、現実の街とは全然違うから」
「夢と現実の街とをはっきりと区別できるんだな、蓮見は」
「姉さんは、違うの?」
私は一瞬立ち止まる。
夢について考えたわけではない。方位の確認だ。うっすらと太陽の位置がわかりかけていた。EMPに焼かれていない数少ない機器である腕時計を見る。時刻、午前十時。太陽が見えれば、方位を確定できる。
「蓮見、一時雑談は中止だ。方位、こっちでいいな」
「真南でいいんだね」
「真南だ。海岸線に出たら出たで、稜線の上を行く」
「危険は?」
「こうして歩いていることがすでに危険だよ。国境はまだ距離があるだろうな」
「国境を越えても、友軍に出会えるだろうか」
「蓮見、そういうのはな。疑ったら、負けだ」
私は太陽と時計で方位を確定させた。いままでの歩みは間違ってはいない。このまま進む。南だ。
「話を戻すか」
歩き始めて、私が言う。
「まだ話すのか」
「南波に聞いたろう。話すのは嫌いじゃないんだ」
「南波少尉が一方的に話しているのかと思っていた」
「そういうこともあるさ」
「南波少尉とは、どんな話を?」
「あいつとの話は、とりとめがなさ過ぎて覚えていない」
「話さない部族の話は?」
「聞きたいのか。お前、あんまり興味がなさそうだったぞ。それに、あの話をすると長くなる」
「冷たい」
「夢の話と大して変わらない。……ちょっと意味合いが違うが、私はお前が見た夢を正確に理解できないだろう。たとえば、お前が夢の中で歩いた出水音の町と、ほんとうの出水音の町はどう違う? 説明しようと思えばできるだろうさ。ここが違う、あの街並みが違う、見慣れたお城の形が違う、川にかかった橋の長さが違う」
「うん」
「けれど、夢の中ではそれを自分の町だと認識していたわけだよな」
「そう」
「その感覚の違いってどこからくるんだ?」
「感覚の違い?」
「なぜ夢から覚めて、夢で見た町が、実際にある町じゃないって認識できたんだ?」
「それは、実際の町と違うから」
「でも夢の中では疑わなかった」
「うん」
「その感覚を説明できるか」
歩く。ゆっくりと、しかし確実に。南へ。霧の濃度が下がってきているようだ。周囲が明るくなり始めていた。太陽の位置がはっきりとわかる。
「感覚」
「そう、感覚だ。……蓮見、立ち止まるな。つらいだろうが、頑張れ」
「わかってる」
「私は都野崎の夢をよく見る」
「学生時代の?」
「夢の中で学生をやっていることもあるし、現在の私が都野崎の街を歩いていることもある。けれど、それは現実の都野崎の街と変わらない。すくなくとも私は変わらないように感じる。……友人もいる。ゼミの教授もいる。私が住んでいたアパートもそのままだ。夢から覚めて、ときどきどちらが現実なのかあやしく感じるのさ」
「それって、危険じゃない」
「時間がたてば、夢のほうを『確実に夢だった』と断言できるようになるんだ。景色は現実のものと同じでも、今の私の感覚と、夢の中の都野崎の風景がずれて感じられるから」
「ずれて?」
「いまの私が、入隊前に過ごしていたあの時間に戻ったとしたら、違和感があるだろう。都野崎の街に、五五派遣隊のフル装備で帰るんだ。いや、こんな格好をする必要もない。いまの私の経験値をそのまま、昔の自分に持ち込むんだ。戦場の記憶だとか、それこそCIDSの起動方法とかな。そういう記憶を持ったまま、学生時代の都野崎に戻るんだ。違和感がないほうがおかしいと思わないか」
「よくわからない」
「いまの知識や経験を持ったまま、たとえば高等科時代に戻ったら? そう考えるんだ。違和感があるとは思わないか。夢から覚めてしばらくすると、現実が私を固定化してくれるんだ。どんなに現実の都野崎の街や、私が住んでいた柚辺尾の街の風景が夢の中に出てきても、それは現在の私が否定するんだ。お前の話を聞いていて、もしかすると、お前が夢の街を歩いた後、ベッドの中で感じる違和感と近いのかもしれないと思った。もちろん違うかもしれないが」
「そうかもね」
「簡単に同意するなよ」
「でも近いと思うよ。夢から覚めて、私は、夢の中の出水音が現実じゃなかったって、すぐにわかる。つながっていないんだ。今の私と、夢の中の風景が」
「けれどそれはすごく感覚的なものだ。論理的に説明できるか? 私はどうしても主観が入れ混じった言葉でしか説明できない」
「うん」
「……南波と話した、文字しか持たない、音声化された言語を持っていない部族の話は、そんな感じの話だ。」
「全然つながらないよ」
「同じことだ。……南波にも話したが、お前は描いてある絵を言葉にできるか?」
「描いてある絵?」
「キャンバスにひまわりの絵が描いてあったとする。説明するなら、『この絵はひまわりです』の一言で終わる」
「タッチが違うとか、そういうのは」
「それは後付けさ。何が描いてあるのかは説明できても、ニュアンスまでを言葉で説明することはできない。ただ一言、『ひまわりが描いてある』。それ以上の何がある? 言葉で説明するならだ」
「それと夢の話が関係あるの?」
「夢で見た光景を、私に、というか第三者に正確に伝えられるか? お前が夢の中で感じたこと……感情も含めてだ。そして夢から覚めて感じる微妙な違和感もセットでだ。私は無理だ」
「うん……難しいかもしれない」
「なぜだ」
「感覚的なものだから」
「描いてあるひまわりの絵を説明できないのは、描いた人間のニュアンスまでを言語化できないからだと私は思う。明るい、暗い、大きい、小さい、色合い、そうした言葉でなら説明できる。それらは絶対的な基準値があるからだ。けれどニュアンスまでは伝えられない。『暗い感じの絵』だとか、『わけはわからないけど嫌な感じがする絵』だとか、そういうニュアンスだな。だからいちばん手っ取り早いのは、その絵そのものを見ることだ。お前や私が自分が見た夢を説明しようと思ったら、説明したい相手に見た夢そのものを見せればいい。自分の感覚もセットで」
「そんなことできない」