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トモの世界

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 もし対戦車ミサイルで狙い撃ちにされたのなら、遺体も残らないだろう。粉々だ。彼らの魂はどこへも行かない。戦士として、ここで散った。
 草が足に触る。さわさわと。露が散るが、私のスーツにはしみこんでこない。まとわりつくものもない。ただ、頬に感じるのは、初夏の空気。ディーゼルエンジンの臭い。霧の粒子。そして蓮見の声だ。
「姉さん」
「行こう。ここはもう味方の勢力下ではない」
 南へ向かわなければならない。
 私たちは背の高い茂みの中を再び歩き始めた。

 霧は晴れなかった。
 時計を見る。
 撃破された味方の戦車部隊の残骸から、二時間歩き続けたことになる。
 草原(くさはら)も切れなかった。ヘリコプターや戦闘車両で移動するのと、徒歩で移動するのでは、世界の大きさが全く違う。だから、私たちの帝国は、国土の広さの割に、あまりにも多種多様な地域的な文化の差異や言葉の違いがあるのだろう。これは歩いてみなければぜったいに実感できないことだった。
 周囲の明るさは増していたが、あいかわらず霧は濃く、太陽の位置はわからなかった。
 背の高い樹木もない。
 ゆるやかにうねるような起伏。その上を、高緯度地域独特の植生の草原が続く。
 霧の中で、草々は淡く萌えていた。
「蓮見」
「なに」
 蓮見が返事をする。呼吸を整えようと意識しながら歩いているのが手に取るようにわかる。大丈夫か、とはもう訊かない。
「出水音(いずみね)には何年いたんだ。生まれてからずっとか」
「なんでそんなことを」
「聞きたいからだ」
「十八年だよ」
「高等科を卒業するまでか」
「陸軍に入隊するまで」
「戻りたいか」
「出水音に?」
「そうだ」
「別に、戻りたくはない」
「どうして」
「つまらないから」
「なぜつまらない」
「……何もないから」
「なにがないんだ」
「なにも」
「町があるだろう」
「あの町は古いんだ。古すぎるんだよ」
「古い町が嫌なのか」
 草原、草原、草原。そして霧。私たちの歩調は著しく遅い。急げば霧に巻かれて方角を見失う。
「古すぎるんだよ。どこへ行っても知っている場所ばかり。山に囲まれて、息がつまりそうだった」
「山?」
「三千メートル級の山々。わかるでしょ。出水音は盆地だから」
「知識でしか知らない」
「その知識で当たっていると思うよ」
「北方戦線には志願したのか。だいたい、倍率三十倍の第五五派遣隊を志願した理由はなんだ。……本当に、極限状態に身を置きたいなんて、馬鹿げた動機だったのか」
「そうだよ。最初から私は特殊作戦群に志願するつもりだったんだ。いちばん戦闘が多い場所に行きたかった」
「たったそれだけの理由で、あの地獄みたいな選抜訓練をパスできるか」
「できたからここにいるんだよ。一般部隊で毎日穴掘って埋めてなんて、私には我慢できなかった」
「帰りたくなることはないのか」
「出水音に?」
「思わない。寝ても起きてもだらだら毎日同じ風景さ。飽き飽きしてたんだよ、私」
「日常は、場所が変わったって日常さ。あくまでも自分がどう思うか、どう感じるか。自分と対比して、それが現実だったらそれが日常だ。どこへ行っても同じだ」
「いまのこれが日常(・・)?」
「私には、これが日常だ。お前もだ」
「非日常だよ。出水音にいたら、死ぬまで体験できない」
「戦域が拡大すれば、お前の故郷の空に敵の爆撃機が飛んでいくかもしれない」
「爆撃機が飛んできたって、見上げて逃げるだけだ。爆弾が降ってきたら死ぬ。そんなの台風と変わらない。受け身な日常はもっと嫌だ」
「ずいぶんだな」
 私は彼女の口調に驚いた。郷里に対する意識の差かもしれない。いや、いま私たちがいるこの場所のせいか。なんといっても、けっきょく椛武戸の地は、私の生まれ育った北洋州の風土とほぼ同じだからだ。別の地を歩いている気がしない。このまま地続きで柚辺尾に至るのではないかと錯覚してしまう。実際にはさらに海峡を一つ隔てているというのにだ。
「私は、……日常が嫌だったんだ」
「毎日決まった時間に起きて、課業をして、か」
「十八年、嫌で嫌で仕方がなかった。……あの盆地の出口をずっと探していた」
「出口が陸軍だったってことか。そして出てきたわけか」
「いちばん手っ取り早く出てくる方法が、陸軍だったんだ。給料も貰える。社会保障も充実してる。進学して、一般企業に就職するよりも、保障される権利が桁違いだったよ」
「なぜ海軍や空軍じゃないんだ」
「その前、なんで軍に入ったのかは訊かないんだね」
「日常が嫌だった。故郷を抜けだしたかった。それが理由だろう。十分だ」
「もっと訊いてほしかった」
「話したいのか」
「いや、」
 蓮見は苦笑した。
「私は海を知らないもの。空もよくわからない。それに、」
 蓮見は肩に食い込んでいたらしい4726自動小銃の負い紐を正した。ガチャガチャと音がする。チェストハーネスに詰め込まれた予備弾倉だ。
「空はどこまででもつながっているから。出水音の空も椛武戸の空も同じだよ」
「詩的だな」
「詩的?」
「お前の口から、『空はどこまででもつながっている』なんて言葉を聞くとは思わなかった」
「意外?」
「いや、訂正するよ。お前らしい。お前にはそうしたところがあるから」
「どういう意味?」
「南波が言っていた。蓮見はいまでも夢見る少女だって」
「なに?」
「違うか」
「夢なんて見ていない」
「眠ったら夢を見るだろう」
「あんまり記憶がない」
「お前、<PG>だったか」
「違うよ。私は天才(ジニアス)なんかじゃない」
「ジニアス?」
「<PG>の別名。聞いたことない?」
「さらに別名があったとはね。世代の違いかな」
「姉さん。私とあんたでは、そんなに歳、違わない」
「お前は二二歳だろう。私より六歳年下だ。もう別世代だよ」
「そんなの世代に入らない」
「優しいんだな」
「なにが」
「気遣いか」
「私はそんなタイプじゃない」
「確かにな」
 私たちは足元を確かめながら歩いていた。
 ところどころに空薬莢が転がっている。錆びた空薬莢。時折、大口径の薬莢を見かけた。おそらくは、航空機関砲の空薬莢だ。このあたりは百年の昔から、季節のように戦いが巡ってくる場所なのだ。今回の北方戦役が初めてではない。祖父の代から、その前から、この地は帝国と北方会議同盟(ルーシ)連邦との間で小競り合いが続いている。秩序だった平和が訪れた時期は、近代に入ってからほんのわずかだ。そう、この地に訪れる夏のようなもの。一瞬ですぎる。そのあとは、悲しくも美しい秋がやってきて、気づけば青い冬。息も凍える冬。
「お前は夢を見るんだな?」
「見るさ」
「どんな夢を見るんだ」
「……町の夢」
「町? 出水音か」
「違うよ。どこか分かんない町。どこかの町を歩く夢」
「どこなんだ」
「頭の中では、姉さんの言うとおり出水音だったり、碧水(へきすい)だったりするけれど、でも、目が覚めたらどこだったのかわからない」
「碧水?」
「私の自治域の隣の」
「ああ。……高原の街か。帝の御用邸があるところだな」
「『幹鉄』の駅があるから、出水音よりも都野崎に近いんだ」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介