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トモの世界

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 夜が明けつつあった。渦巻いていた煙はいつしか消え、青い世界が私たちを包み込んだ。あたりからは木々が消え、視界が利く範囲には草しかなかった。青さは次第に白さを増していき、おそらく夜が明けた。午前、四時。
 風が吹く音が聞こえた。
 蓮見の呼吸と、私の呼吸が聞こえた。
 動物の気配も感じなかった。
 冷気があたりを支配していた。
 寒い。
 装備が重い。
 チェストハーネスの予備弾倉が、歩くたびにその重さを主張する。
 負い紐(スリング)に荷重を分散していても、4726自動小銃は腕の筋力を消耗させていく。しかし、この無骨な道具が、私たちを護る武器なのだ。手放すわけにはいかない。風連奪還戦で勅使尾(てしお)川にライフルを落とした南波が生還できたのは、私の4716と、彼の拳銃と、そしておそらく数値化できない彼のガッツがあったからだ。
「蓮見、」
 一メートルほど離れた蓮見に呼びかける。
「なに、」
「お前、南波をどう思う」
「なに?」
「南波少尉。彼をどう思うかと訊いたんだ」
「どういう意味?」
「言葉どおりの意味だ。考えなくていい。思ったことを話してくれ」
「笑い袋」
「なに?」
「思ったままのイメージだよ。笑い袋」
「なんだそれ」
「笑い袋、知らない?」
「知ってるって。笑い声だけが聞こえるおもちゃだろう」
「それ」
「南波がどうして笑い袋なんだ」
「いつも笑ってる」
「そうか?」
「そういう気がする」
 私が知っている南波は、笑っているイメージではない。
 鋭い目で周囲に気を張り詰めている姿。あるいは、駐屯地の宿舎の談話室にて、弛緩しつくした表情で炭酸飲料を飲んでいる姿。あるいは、休暇中に見た映像作品の話を、ストーリーなど無視してたださわりの部分をやたらと仔細に話す姿。もちろん笑顔は知っているが、蓮見が言うように四六時中笑ってイメージはなかった。
「南波少尉は、一般部隊からの選抜だって聞いた」
 蓮見が話す。
「もともと契約組から入隊して、満期除隊して大学に行って、それでまた一般部隊に入ったって」
「誰から聞いたんだ」
「相良(さがら)中尉から」
「相良中尉?」
「あの人も、中部管区の歩兵連隊出身でしょ。どっかで南波少尉と一緒だったって言っていた」
 相良中尉は第五五派遣隊の本部管理中隊にいる。北方戦役で大けがをして、以来は高泊の駐屯地から出てこない。柔和な表情の、私よりも一回り近く年長の女。
「入地准尉、」
「なんだ、あらたまって」
「南波少尉とは、いつから知り合い?」
 歩みは止まらない。白い世界。霧の粒子が目の前に散る。
「南波とは、『第三高架橋作戦』からだよ。……四年前だ」
 椛武戸内陸を貫く区間高速道路の奪還戦。空挺降下ではなく、機甲部隊とともに敵勢力に侵入し、私たちは敵部隊の通信施設を破壊した。チームは当時五五派遣隊に存在したAからFまでのすべてが参加し、そして消耗した。作戦後は大幅な再編成を余儀なくされた。
「姉さん、あの作戦に参加していたの」
「配置されたチームの先任が南波だったんだ。今と変わらない。話し出せば止まらないし、しゃべらなくなるといつまでもしゃべらない。機械みたいなやつだ」
「機械?」
「オン・オフがはっきりしていないか。あいつは」
「スイッチが入ったみたいに笑ったりする」
「そうか?」
「私は、『センターライト降下』でチームDに入ったから。それより前の南波少尉は知らない」
 沿岸地区のメタンハイドレート搬送施設の確保を目的とした降下作戦だ。私たちはレーダー的に隠密化(ステルス)した爆撃機改造の輸送機に乗りこみ、高硬度降下低高度開傘(HALO)で殴り込みをかけた。巨人の循環器……血管のようなパイプラインを縫うように敵部隊を点射で攻撃した。そうだ、あの作戦から蓮見は私たちのチームに入ったのだ。
「変わっていないさ。あのまんまだ……笑い袋か」
「鉄の塊みたいな」
「鉄の塊?」
「ものすごく固そうだけど、いよいよ曲がるときは曲がるでしょ。いい形に」
「鉄の塊が曲がるか」
「曲がらない?」
「塊は曲がらない」
「じゃあ、」
 草の背丈は私たちの膝ほど。道もない。警戒していないと方角を見失いそうだ。潮の匂いがする。
「鉄の板だ」
「すぐに曲がる。小銃弾で貫通するぞ」
「やっぱり笑い袋だよ……どんなときでも、少尉は笑ってる」
「視点が変わるとそうなんだな」
「姉さんからはそう見えない?」
「あいつは理屈っぽい」
「姉さんこそ」
「私はそう見えるのか」
「南波少尉も言っていた。しゃべらない部族の話とか、どういうこと?」
「時間つぶしさ。一枚の絵を見て、絵を言葉にできるか? なかなかできないよな。そういう話だ」
「よくわからない」
「そのとおりだ。よくわからない話なんだ。救援もなく、周りはどこにいるかもわからない敵だらけ。近接航空支援は、降ってくる爆弾を自分からよけなければならない。そういう場所では、よくわからない話をしてしまうのさ」
「この状況もそんな感じかな?」
「たぶん、」
 草は夜気を帯びて、上昇した気温に全身水滴をまとっていた。耐水性の戦闘靴は水をはじき、草を踏みつけていく。
「たぶん今もだ」
「いま、私は姉さんの言っていることがわかる」
「大した話をしていないからだ」
「そうかな」
「南波少尉の話しかしていない」
「無事だよね」
「あいつがか」
「そう」
「鉄の塊は、そうそう簡単には壊れないよ。水に落とせば沈んでしまうが」
「それでも浮いてきそうな気がする」
「そうだな」
 歩くペースは変わらない。
「私もそう思う」
 時間は経過していくが、あたりの明るさはほとんど変わらなかった。
「姉さん、海岸線の方角はわかる?」
「お前はどう思う」
「九時方向」
「同感だ。根拠は」
「匂い。音。それだけ」
「人間の感覚なんて、ずいぶん単純にできているんだな。それだけで判断できると思うか」
「それだけでしか判断できないよ。今は。見えないし」
「太陽も見えない。ここが冥府の入り口だと言われても、信じるかもな」
「冥府?」
「別の世界のこと」
「天国?」
「別の世界さ。天国も地獄もない。別の世界」
「だったら、私にとっては、この戦場(フィールド)が別世界だよ」
「お前はそういうのが好きでハケンに入ったんだろう」
「出水音(いずみね)には帰りたくなかったから」
「戦役が終わったらどうするんだ」
「私は契約じゃない。正社員だよ。姉さんと同じ。この戦役が終わったら、別の戦役に行くまでだよ」
 契約。正社員。やはり蓮見はその類の隠語が好きだ。いや、隠語にすら当たらない。兵卒は契約隊員だ。一期二年で契約を更改する。下士官以上は正社員だ。定年まで勤め上げる。もっとも、離職率は高い。離職? 殉職。戦死。あるいは行方不明。
「思ったより乾いてるんだな」
「私が?」
「違うか」
「さあ」
「元気、出たじゃないか」
「出しているんだよ」
「それでいい」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介