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トモの世界

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 追憶を手繰れないというならば、主観的な過去を持てないということではないか。<PG>は過去も持たないというのか。過去を悔やんだり、懐かしんだり、そうした機能も持たないのだろうか。それは人間と呼べるのか。あまりにも合理的すぎやしないか。
 蓮見の頭が私の数メートル先で揺れている。
「蓮見、行けるか」
 私は呼び掛ける。
 蓮見は左手の親指を立ててみせる。大丈夫だ、と。
 茂みを踏む音が聞こえる。
 他は静かだった。いや、海から聞こえる艦隊の断末魔の轟音を除けば。
 どろどろと遠い雷鳴のように、友軍の艦隊が失われていく音が聞こえていた。



   十二、


 世界が白く塗り込められていた。
 歩きながら、次第に前後左右の感覚が怪しくなってくる。戦闘機乗りたちが雲の中や闇夜に飛行するときにもっとも警戒するという空間識失調(バーティゴ)におちいるときは、こういう感覚かもしれないと思った。
 私は蓮見をともないながら、歩いていた。
 初めはどす黒い……霧というよりは煙があたりにたちこめていた。それが霧などではなく、洋上で炎上している友軍艦隊の黒煙だということは容易に想像がついた。いや、想像するまでもなかった。ガスタービン燃料が燃える臭いは、冬の初めに嗅ぐストーブのそれとよく似ていた。そして、あらゆる火工品が燃える臭いも強烈にした。私も蓮見も極力その煙を吸わないように、夜明け前、まだあたりは暗い茂みの中に伏せ、休憩もかねてじっとしていた。
「姉さん」
 蓮見の声は弱々しい。国境を越えた拠点までたどり着けるだろうか。正直それは大いなる危惧となって私の中の不安を煽っていた。蓮見を置いていくわけにはいかない。彼女は私と二人一組で形作られる戦力ユニットの一部であり、私たちの行軍は作戦行動であり、けっしてトレッキングなどではなかったからだ。蓮見の体力は著しく消耗されてつつあったが、それでもなんとか自力で歩けるレベルにあり、重量四キロ超の4726自動小銃を構え、撃つこともできる。夜が明けてもCIDSの機能は復活しなかった。私たちは自分自身の身体だけで戦場を行かなければならない。私と蓮見、合計四個の眼球もそれぞれの鼻や耳や皮膚感覚もなくてはならないセンサーであり、センサーから入力される情報を処理する二基の精緻な情報処理マシン……脳は、この戦場から脱出するうえで不可欠のものだった。この場合、二人ひと組で行動することの重要性が見えてくる。一名で判断するよりも、二名で判断することが重要であり、一名で思考するよりも、二名で思考する多様性が必要なのだ。
「艦隊はどうしたろうか……」
 蓮見がつぶやく。
「全滅したわけじゃないさ、きっと」
 あたりにもうもうたる黒煙が立ち込めていることが証左だ。水上艦がすべて沈められたのなら、洋上に漏れ出したガスタービン燃料が燃え尽きると、火は消える。あの対艦ミサイルの波状攻撃からすでに二時間は経過している。軍用艦船は船殻が幾重にも備えられたタンカーほどにタフではないが、それでも二時間程度で被弾した全艦沈没というのは考えにくかった。艦隊勤務者にとって、被弾した際、自艦を海の藻屑にしないための訓練、ダメージコントロールは日常的に行われる最重要なものだという。自分の身体が無傷でも、乗り組んでいる艦が傷を負えば、クルーは艦と運命を共にするしかないからだ。
「航空支援は来ないのかな……」
 敵味方含めて、もうしばらく私たちは航空機の飛行音を聞いていなかった。
「あるいは空母がやられたのかもな」
 洋上に展開していた北方艦隊の陣形はわからない。だが、谷井田少尉が所属する海軍第七二標準化群は強襲揚陸艦か空母の支援がなければ行動しない。あのとき、海軍の艦上戦闘機の爆音も聞いたし姿も見た。撃ち落とされる姿も見たが。そもそもあの派手な艦砲射撃を行った戦艦は、艦上機による直掩がなければ行動できない。戦艦、ミサイル巡洋艦、駆逐艦、空母、そして潜水艦。これでワンセットの艦隊になる。夜が明けても戦闘機はおろかヘリコプターの類の音すら全く耳に届いてこない状況は、最悪と呼んで差し支えないものかもしれなかった。
「どれくらい歩いたかな」
 肩を貸さずとも、蓮見はゆっくりとではあったが歩いていた。
「歩いてきた距離を言おうか。それとも、残りの距離を言おうか」
「姉さん、……夏休みになったら、残りの日数を数えるタイプでしょ」
「何を言っている」
「私は、何日たったかなぁって数えていたよ」
「せいぜい十五キロだ」
「残り?」
「馬鹿、歩いた距離だ。南波たちと離れてからだ」
 別れてから、とは言わなかった。南波と私たちは目下別行動中。そう考えるほうが、この場においては圧倒的に合理的だった。可能性を否定することはできない。彼らの生存を疑うようなことをすれば、私たちユニットの生還が危ぶまれる。私たちチームは能力が平準化されており、そして、行動内容は標準化されている。個人が突出したチームなどあり得ない。私も蓮見も南波も桐生も、その訓練された特性は異なっていても、たとえば私たちの能力をレーダーチャートで分析した場合、それぞれの平均値に大きな差異は発生しない。著しく劣った部分も、突出して優秀な部分もない。チャートの面積を求めれば、ほとんど同じになる。そういうチーム編成になっているからだ。それは、二+二の四人チームが、一ユニット二名になっても、それがいかなる組み合わせでも支障が出ないようになっている。性別を別にすればだが。こればかりはどうしようもない。戦闘能力に性差はほとんど関係ないとされているが、遺伝子的な生命力の強弱は仕方がないだろう。
「いちばん近い拠点までは、あとどれくらいで行けると思う?」
 蓮見の息は荒い。だが、墜落直後の熱を帯びたような吐息はおさまっているようだ。
「直線では歩けそうにない。のんびり行くさ」
「途中になにかあったかな、」
「さあ。うろ覚えだが、……国境を越えるまでは何もなかったな」
 北緯五十度よりも北側。椛武戸を大きく南北に分けるなら、五十度線から南側にかなり広い平野があり、その北には低湿地と、西部に千メートル前後の山岳。そして北緯五十度線が国境線であり、私たちがいまうろうろしているのは、北方会議同盟連邦領土の、低湿地の北側に位置した海岸線のはずだ。
「方角は、こっちでいいんだね」
「海岸線はほぼ南北に走っているから、それを頼るしかない」
「鉄道も何もなかったっけ」
「あったとして、列車に乗せてもらえると思うか?」
「いや」
 国境をまたいで鉄路は存在しているが、帝国側で柄島東線(えしまとうせん)と呼ばれる国際鉄道路線は、北方戦役の激化とともに数年前から運行を停止している。以前は大型のC66型蒸気機関車に牽引された国際列車が、港町高泊(たかどまり)から南椛武戸の最大都市富原(とみはら)市を経由して国境を越え、シェルコヴニコフ海の北端の不凍港ベリョースク市まで運行されていたが、私が椛武戸に来てから、その列車が走っている姿を見たことがなかった。
「歩いていれば、いずれは国境を越える。……頑張ってるやつに頑張れって言わない主義なんたが、……とにかく頑張れ」
「わかってる」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介