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トモの世界

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 洋上の艦隊が……断末魔の反撃を試みているようだ。上空をなにか重い物体が転がるような音。ミサイルと比べるとはるかに弾速は遅いが、破壊力は引けを取らない艦砲の飛翔だ。そして、対地ミサイルが飛来する。私たちの上空を、超絶に進化した飛び道具が行きかう。私たちを無視して。森林地帯の奥に着弾、足元から衝撃が来る。音はわずかに遅れてやってくるが、果たして効果があるのかどうか、私たちにはわからない。CIDSがブラックアウトしている今、衛星がつかんでいるかもしれない敵部隊の位置など一切がわからない。いや、敵の高高度核爆発で、友軍の衛星も無事では済まなかっただろう。形勢はいっきに悪化しつつあるようだ。私は今、味方の艦隊の動向よりも、敵地上部隊の位置が気になり始めていた。不期遭遇した場合、手負いの蓮見と、消耗気味の私たちではどうしようもない。
「……行こう、蓮見」
 蓮見は立っていた。かろうじて。そう見えた。
「歩けるよ」
 私の視線を感じたのかもしれない。蓮見は言う。気丈に、と付け加えたほうがよいだろうか。だが、作戦行動中だ。立って歩くのは、生きるために必要なことだ。気丈であることは言うまでもない。
「休ませてもらって、感謝するよ」
 彼女への気遣いの代わりに、休息への礼を言った。三〇分でも休めば、身体はリフレッシュしてくれる。休息という区切りは、作戦行動中に必ずいる。私たちの訓練でもっとも過酷だったのは、期限をまったく知らされない科目だった。一つの行動について、一切の期限を知らされず、傍らに立つ助教もまた無言で、単純な反復行動を数時間にわたって続けさせられたもの。いつまでに、だれが、なにを、どのように、どうする。命令の五大要素というものがある。このうち、期限を切られないものがもっとも過酷だ。先が見えないからだ。だから、そういう意味でも休息は一つの区切りになる。
「ゆっくりでいい、行こう」
 そう、ゆっくりでいい。もちろん立ち止まるわけにはいかないが、進み続ければ、味方の拠点へは近づける。私たちのように槍の穂先のその穂先の役割だ。空軍や海軍のパイロットたちには専門の救出部隊がいる。だが、第五五派遣隊には、積極的に友軍部隊を救出するそれ専門の部隊はいない。ようするに私たちは自力で減退へ復帰するしかない。あらゆる手段を使ってだ。前進するにせよ後退するにせよ、作戦的明示がない限りはその場にとどまる必要性はない。
 茂みの中を行く。
 深い青い世界。まがまがしい光の帯は空から消えた。
 まだ、夜に支配された北限の地。
 西……海上から光が届くのは、友軍の艦隊が盛大に燃え盛る炎の灯り。うすぼんやりと夕焼けの名残のような色。
 仲間たちが燃えていく色。
 私は歩みを止めず、海に視線をわずかに向ける。
 水平線が燃えているようだ。
 雲が低いらしく、照り返しがさらに赤い。
 そして、黒煙。どろどろと大きな太鼓を叩いているような鈍い音が続く。
 小規模な閃光がときどき瞬くのは、艦体が爆発しているのだろう。被害は甚大に違いない。
 CIDSは沈黙したままだ。バッテリー自体が破壊されることは原理的にありえなかったから、回路か、あるいは基盤そのものが不調なのだろう。完全にEMPで焼かれたのだとしたら、回復は絶望的だ。私たちの機械はまだ、生き物の身体のように自然回復する機能を持っていない。技術本部は、特殊塗料を使用し、塗面が自然回復するような装甲を考案中だというが、費用対効果を考えると、交換してしまったほうが早いし安くすむ。交換できるパーツがあるならの話だが。
 私たちの身体は、モジュールやアセンブリ単位での交換は利かない。骨折した腕を新品と交換するとか、視力を失った眼球をユニットごと交換するといった荒業は、やろうとすればできないことはない。だが、野戦病院規模の設備では無理だ。手足を失った兵士が、自分の細胞から失われた部位を再生し接合する医療技術なら確立されている。だがそれはしっかりした恒久的施設が整備された軍病院での話。戦場(フィールド)では、兵士はいまも昔と変わらず、できる限り傷つかないように、手足(パーツ)を失わないように、そして、精神(ソフトウェア)がフェイルしないように、注意しなければならない。
 夢を見ること。
 誰かが言っていた。
 脳の不良セクタをスキャンして修復しているのが夢なのだと。
 私は都野崎の紀元記念公園の桜を思い出す。
 夜桜。あれは夢ではない。あれは現実だった。
 丹野美春と見た桜。水面に映った都野崎の超高層ビル街の夜景。
 美しかった。
 あれから毎年、と言っても大学在学中の四年だが、美春と二人で、あるいはほかの友人を交えて、または一人で、たびたび紀元記念公園の桜を見た。
 昼も、夜も。
 高射砲塔に手を触れ、その冷たさを感じながら、木立の向こうに並ぶ超高層建築を眺めて。
 けれど、極北の空の下、一時の休息で脳が私に見せてくれた都野崎の風景は、夢というより追憶そのものだった。記憶の再生。脚色などほとんどなく。
 それも夢なのだろうか。
 悪い夢だったのか、よい夢だったのか。
 少なくとも、いま現実は苦痛に満ちている。
 暖かい風の流れる都野崎の春は、椛武戸の荒々しく寒々しい初夏とは到底呼ぶにはばかられる風景からすれば、楽園に等しいものだ。
 丹野美春。
 彼女とはしばらく会っていない。
 私が陸軍に入り、一般部隊ではなく、第五五派遣隊に配属され、外界と遮断される生活を送るようになると、私信も著しく制限されるようになった。かつて私が使用していた個人IDはそのまま残っているが、アクセスするには、「外界」のサーバに接続する必要があり、情報漏洩を防ぐため、陸軍の端末からはそこへ接続することはできなかった。紙にペンで直接したためる手紙も軍の検閲を受ける。だから、私は彼女に手紙すら書かなかったし、私自身の所在も知らせていない。そして彼女から私への私信も届かないから、私は彼女の最新の居所を知らない。
 都野崎にいた四年間が夢だったように思う。
 むしろ、祖父やユーリとライフルを提げて山野を巡っていた柚辺尾での十八歳までの日々と今が、恐ろしいほど地続きでつながっていた。
 追う獲物が変わった。
 持つ銃が変わった。
 それだけだ。十代の私は週末や休暇に猟をするパートタイムハンターだったが、陸軍に入隊した私は職業的ハンターと化した。そうすると、言葉について学んでいた都野崎の帝国大学での四年間が異質に思えてくるのだ。
 歩きながら、索敵しながら、警戒しながら、その思考の片隅で、つかの間の休息で見せてもらったイメージを反芻する。……見せてもらった? 誰に?
 私に。
 夢はやはり現実とは区分できない。
 そこで私はふと思う。
 縫高町から脱出し、国道を南へ南波少尉と歩いているときに出会った、六四式支援戦闘機のあのパイロット。伊来中尉。彼女もまた夢を見たことがないと言っていた。
 丹野美春と伊来中尉の表情がオーバーラップする。
 では、追憶はどうなのだ。
 つかの間、追憶の世界に浸ることも、彼女たちは……<PG>の彼女たちは許されていないのか。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介