トモの世界
CIDSと光学照準器はリンクしている。CIDS側が生き返れば、照準器側を呼び覚ませるかもしれない。私と蓮見は、それぞれ4726自動小銃のコッキングレバーを引き、一発だけ七.六二ミリライフル弾を取り出す。ヘルメットを脱ぎ、CIDS本体横のアクセスパネルを開くため、ツメの部分にライフル弾の弾頭を挿す。ディップスイッチをマニュアルモードに設定し、一度電源を切る操作をする。通常はこの操作を戦場で行うことはない。基本的にCIDSは、作戦行動中、電源は入れっぱなしにするからだ。三十秒待ってから、電源を入れなおす。だが、アクセスパネル内側のパイロットランプが点かない。電源が入っているかどうかの確認が取れないまま、私はタッチセンサーになっている小さなディスプレイパネルに、私の個人認証コードを入力する。011471322701。だが反応しない。電源が入らない。
「……そんな」
蓮見がつぶやく。薄明かりの中、彼女の顔色はいまだよくなかった。
「……信じられないが、ダメだな、」
私がつぶやいた瞬間、背後の森林上空を切り裂いて、すさまじい勢いで何かが横切った。続いて衝撃波。飛翔体の速度は音速を超えている。蓮見が短く叫んだ。
「ミサイル!」
とっさに伏せた。伏せながら、蓮見の肩をつかみ、茂みに押し倒す。
ミサイルは一発だけではなかった。飽和攻撃だ。森林地帯の向こう側から、何十発も後続がある。CIDSが死んでいるため、警告も何もなかった。森林地帯から放たれたミサイルが向かうのは、……海だ。
「対艦ミサイル!」
一瞬で海岸線を越えると、ミサイルはロケットモーターを使用するブースターモードから、ターボファンエンジンを使用する巡航モードに切り替わっていく。飛翔体はもう煙を曳いていない。
「艦隊が、」
盛大に艦砲射撃を行っていた帝国海軍の北方艦隊が、おそらく水平線の向こうに遊弋しているはずだ。もし、彼らも私たちと同様に電子的目隠しをされているのなら、この飽和攻撃を回避できるすべはない。戦艦や重巡洋艦をはじめとする艦隊の近接防御システムは二〇ミリ対空機関砲だけだ。だが、レーダー管制もなしに超音速で飛行する対艦ミサイルを撃墜できるかどうか。私たちのCIDSが機能しないということは、まず間違いなく艦隊もレーダーや射撃管制システムといった基幹機能を失っているはずだ。視覚をマスキングされた艦隊にできることはさほど多くない。夜間、射撃手が目視で超音速で飛来する対艦ミサイルを狙えるかといえば、それは否、だ。
私たちは茂みに伏せ、CIDSが機能しないまま、みずからの感覚器をフル稼働させようとしていた。身体機能の再起動だ。
もしCIDSが生きているなら、衛星を介した通信が可能で、少なくとも三〇キロ以上離れた海上の艦隊に初期警告を行うこともできたかもしれない。だがそれは叶わない。私たちは傍観者となるしかなかった。
閃光。
閃光。閃光。閃光。
無数の閃光が、水平線の向こうで瞬いた。
私たちの上空を通過した飛翔体の数だけ、閃光が瞬くのだ。
おそらく同盟軍は、海岸線からはるか内陸に入った秘匿化された陣地から、車載式の対艦ミサイルを大量に発射したのだ。着上陸作戦を行う水上艦への攻撃としては、これほどいやらしいものはない。戦闘機や攻撃機による航空阻止はより効果的だが、航空優勢を確保する必要がある。そして、戦闘機はいくら電波的に隠密化したところで、その大きさそのものは小型化できない。どうしても「見えて」しまう。作戦機を離着陸させメンテナンスする基地も必要だ。自機の防御も必要になる。だが、対艦ミサイルは違う。内陸部から狙うタイプなら、帝国陸軍でも装備している。巡航ミサイル並みに大型の弾体だが、航空機よりははるかに小さい。発射システムは効率化されており、機動車の類に分散して搭載できる。当然、普通の道路を走り、その気になれば小さなマーケットの駐車場や、学校の校庭からも発射できる。航空機から目標にされにくく、神出鬼没。そして対艦ミサイルの威力は、大きい。
炸裂音。
すさまじい炸裂音が届く。
無数の。
唐突に柚辺尾の夏を告げる花火の大輪を思い出したが、音圧はそれらの比ではなかった。
高高度核爆発(HANE)によるオーロラはおさまりつつあったが、かわりに水平線の彼方が明るさを増していた。艦艇が炎上しているのだ。
対艦ミサイル威力は想像以上に大きい。近年の対艦ミサイルはより高速化されている。命中まで超音速を保つものがほとんどだ。だから弾体そのものの運動エネルギーも破壊力にプラスされる。装甲の分厚い戦艦なら比較的持ちこたえるかもしれないが、喫水ぎりぎりを複数のミサイルで狙われれば、それとて保証の限りではない。対空戦闘能力に特化しつつあるミサイル巡洋艦や駆逐艦の艦体など、紙のようなものだろう。
「姉さん……」
蓮見が私の腕をつかんでいた。
彼女の身体はまだ小刻みに震えていたが、それが傷のせいなのか、眼前の光景によるものなのかは、私にはわからなかった。
再び森の奥から飛翔体。空気を切り裂く激しい音と、ロケットモーターの轟音が耳を聾する。同盟軍は追い撃ちをかける気だ。いや、この場合は手負いの獲物の息の根を止める留め矢か。手負いの獣は何をするかわからないが、手負いの艦隊は何もできない。沈むに任せるだけだろう。私は船乗りの気持ちはわからなかったが、強力な砲撃支援が今後全く期待できなくなるであろうことはよくわかった。CIDSの機能が停止した今、国境までの正確な距離や方位もあやしい状況で、洋上から艦隊の攻撃が全く期待できなくなる不安は小さくなかった。絶対にフェイルしないシステムなどあり得ないはずだったが、私たちの装備はこうしてみると驚くほどに冗長性に欠けていたということだ。CIDSが機能を完全に消失する事態を、私たちは現在の作戦でほとんど想定していなかった。それだけ改良を重ねられ、CIDSには絶大な信頼性をよせていたからだ。だからコンパスすら私たちは持っていない。星座の位置で自位を割り出すしかないか? とにかく南へ向かうしかない。海岸線はこの地域、ほぼ南北にまっすぐ続いている。
「蓮見、立てるか」
私は声に出す。囁きはもう用をなさない。言葉を言葉として、身体から絞り出す。洋上は眩いばかりに燃えている。艦隊のどれだけが失われるだろうか。
と、水平線の向こうで閃光が瞬く。かなり遅れて、炸裂音が響き渡る。ミサイルが命中した音にまぎれて、艦砲射撃と思われる重低音が届いてきた。
「蓮見、反撃だ」