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トモの世界

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「私だってそうさ。戦線は椛武戸だ。北洋州本島の柚辺尾から戦線へはまだ海峡を一つ隔てるんだから」
「遠いのね」
「遠いね」
「でもあなたとは言葉が通じる」
「同じ国だから」
「そうね。同じ帝国だから」
「京か」
「なにか?」
「千年以上前から人が住んでいるっていうのか信じられないのさ」
「一三〇〇年よ。都野崎だって、六百年前にはもう町になっていたわ。一橋(ひとつばし)幕府が拓かれたのは四〇〇年前だけれど」
「柚辺尾は、開拓されてから二百年もたっていないよ」
「先住民(イルワク)がいたはずよ」
「今でもいるよ」
「会ったことが?」
「たくさんいるからな。めずらしくもないさ。目の青い連中もいるし」
 ユーリ。
「北方会議同盟(ルーシ)の……異人さん」
 丹野美春は、北方戦役での敵国、大陸の列強国、北方会議同盟連邦を、歴史的固有名詞で呼んだ。そして、「異人さん」と。
「めずらしい言い方をする」
「そうかしら」
 紀元記念公園は広い。もともとこの地方の特有の低湿地をそのまま生かしたレイアウトだから、起伏はないが緑が濃い。私の故郷の冷たい湿地とは違う。荒涼とした、絶望を絵に描いて額縁に入れたようなあの光景とは。
「ねえ、」
 丹野美春が私に視線を向ける。
「なんだ、」
「あなたの名前は?」
「入地(いりち)」
「下の名前は?」
「その前に、あんたの名前は?」
「ミハル。タンノ、ミハル」
 控えめな微笑みは変わらず。甲高くもなく特別低くもない声。上品という言葉そのものの立ち居振る舞い。私は初めて出会うタイプの人種である彼女に興味を抱いた。というより、好意を抱いた。
「ミハル」
「そう。丹野美春」
 丹野美春は、また何気ない風に首をあおり、高射砲塔を見上げた。
 暖かい風があった。
 私の頬を撫でた。
 彼女の髪が揺れた。

 丹野美春と夢の話をしたことがあった。
 知り合って二年目。都野崎に住んで二年目の春。
 紀元記念公園は満開の桜。
 私のアパートメントから大学へは、公園を突っ切るとかなり近道になるため、日々私は公園の周回道路を歩いていた。満開の桜の花が濃密に香るのは、決まって日が暮れてからだった。午後の講義をすべて終わらせて、南沢教授の研究室にちらりと顔を出し、翌年からの専門課程で引き続き南沢ゼミナールに所属するかどうかの希望調査も受けた。南沢教授は言語関連の論文が高く評価されており、私が南沢研究室に興味を覚えたのは、距離を置きたかったはずの北洋州……いつ果てるともしれない戦線が延々と続く北方戦役についての著書があったからだった。
 戦士たちは夢を見るのか。
 戦場で見る夢。
 非日常が日常になった彼ら、彼女らにとっての睡眠とはどういった意味を持つのか。なかでも短い睡眠時間に見るであろう夢について。
 北方戦役で血と危険と緊張に彩られた夢。
 柚辺尾は北洋州の中心都市だが、それでもなお北方戦役の最前線からは遠かった。前線は北緯五十度を前後し、北方会議同盟連邦と戦闘が続いていた。私が十代の頃は小規模な戦闘が定時ニュースで報道される程度だったが、次第に戦線は拡大し、膠着し、果てしない戦争に発展したのは承知のとおりだ。だが私は陸軍に入るまで戦場を知らなかった。
 戦場で戦士は夢を見るのか。
 満開の桜の道を歩きながら、丹野美春がつぶやいたのだ。
「私、夢を見たことがないわ」
 その頃の私は、第二世代選別的優先遺伝子保持者……Priority genetic screening children……いわゆる<PG>の存在を知らなかった。はっきりとその存在を知ることになったのは、陸軍に入ってからだ。半ば公然の秘密と化していた事実だが、しかし国民の間で<PG>の存在は黙殺されていた。
「トモ」
 無数のライトに照らされた桜の木々は美しかった。息を飲むほどに。
「トモ、」
 ミハルが私の名を呼ぶ。
 彼女の横顔。
「トモは、夢を見るの?」
 家族以外に誰も私の名前を呼ばなかった。丹野美春はけれど、私の名前を知ると、以来ずっと私を名前で呼んだ。朋(トモ)。私の名前。
「ミハルは、見ないのか」
 だから私も丹野美春を名前で呼んだ。
「夢って概念が、私はわからない」
「眠って、夢を見ないのか」
「眠ったら、朝になるだけよ」
「夢を見たことは、ないのか」
「ねえ、トモ、」
 丹野美春は……ミハルは、都野崎の明るい夜空に腕を伸ばすように枝を広げる桜の大木の下で立ち止まり、柔らかい風にふと散ってきた花びらを追った。
「眠ったら、暗いわ」
「暗い?」
「暗い。何もないの。気づいたら朝になるだけ」
 ミハルはあらゆる面で私の能力をしのいでいた。運動能力でも、学力でもだ。彼女が息を切らせている姿を見たことがなかった。大学校舎の七階まで駆けあがっても、ミハルは平気な顔をしていた。そして、山野をライフルを持って廻った私よりもずっと視力がよかった。待ち合わせでは常に彼女が先に私を見つけた。そして屈託ない表情で手を振った。なにより聡明であり、語学力にも長けていた。高等科ですでに西方の二ヶ国語を自在に操ったし、湾口域の言語に関しても、地域的に分化されていたそれらを、大学二年目の春にはかなりマスターしていた。そういうセンスが備わっているようだった。ポテンシャルが私とは明らかに違うと思った。
「トモ、ねえ、教えて」
 悲壮感など何もない表情。
「夢って、どんなものなの?」
 私は考える。
 夢を知らないという、にわかには信じられない彼女の言葉を額面通り受け入れて、はたしてその彼女に「夢」をどう説明したらよいのか、的確な言葉を探すためだ。
 私たちは歩いた。
 ミハルは私の言葉を待っている様子だった。けれど促すことをせず、時折私の表情を何気ない風でそっと見ながら、しかし主たる視線は桜を向いていた。濃密な花の香りがした。春の夜だというのに、風は暖かかった。柚辺尾の気候でならば、もう初夏のそれに近かった。私は列島の南北の隔たりを思った。思いながら、夢について考えた。
 夢を見ること。
 私にとって、夢を見ることはごく自然なことで、疑問に持ったことすらなかった。
 眠れば見られるもの。
 いや、『再生されるもの』。
 夢は「見る」ものではなく、「見える」もの。映像記録メディア(Iid)のように、個々が見たいものを選べるものではなく、眠ると降りてくるもう一つの世界。
 そう、世界だ。
 そこには厳然たる世界観がある。説明不要の、夢を見ている私たち自身が無言の前提として設定している世界観、舞台背景、その世界の法則。どんなに荒唐無稽でも、夢の中で私はその世界観を無条件に受け入れる。
「ミハル、」
 桜の木の下をしばらく歩いたのち、私はようやく口を開いた。
「世界だよ」
「何?」
「夢の話さ。もうひとつの世界なんだ。自分の中にある、もうひとつの」
「世界?」
「そう、世界」
 もう一つの世界。私たちの脳の内部にだけ構築される世界。
「夢を見ているあいだ、そこが私の『世界』。夢の中では夢だと思っていない」
「そうなの?」
 明晰夢という言葉はある。夢を見ている主観者が、『これは夢である』と認識した状態の夢。私は経験がなかったが。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介