トモの世界
着弾地点は、内陸へかなり移行しているようだ。おそらく無人観測機や合成開口レーダーを装備した戦術偵察機が高硬度から監視しているのだ。炸裂音と弾着のすさまじい衝撃で、上空に何がいるのかはまったくわからない。CIDSの索敵モードも今は近距離モードにしてあり、より電力を食うスーパーサーチモードへの変更は控えていた。少なくとも半径二キロ以内の地上に、私たちの脅威となりうる「なにか」はいない模様だった。脅威反対そのものはレベル三。警戒を解いていいのはレベル二以下だから、まだ気を休めるわけにはいかなかった。
傍らに、というより、私は肌身離さず、蓮見と、そして4726自動小銃を抱えていた。今一度、自分の装備を確認する。ヘッツァー4726・七.六ミリ自動小銃はそろそろメンテナンスをしてやりたいところだが、こんな場所で分解結合(フィールドストリッピング)というわけにもいかない。予備弾倉は、マガジンポーチに、七本。蓮見はもう少し持っている。ふたりともグレネードランチャーを装備しないで出撃しているので、銃そのものには光学照準器とフラッシュライトのみだ。バーティカルフォアグリップも近接戦闘でのスイッチングを考慮していないので装備していない。ただし、銃本体のフレームが大柄なので、五.五六ミリ版の4716と比較すると、一回りほど大きく、一割以上重い。二脚(バイポッド)がついていれば、銃の固定や保持も楽で、より遠距離への精密射撃も可能だが、この銃は狙撃銃(スナイパーライフル)ではなく突撃銃(アサルトライフル)……もっと細分化すればバトルライフルである。そもそも今回の作戦は狙撃が主任務ではない。
寒さに身体が震えた。さすがに初夏とはいえやはり冷え込んだ。火は焚けないが、私は蓮見に寄り添っていた。
「入地准尉……姉さん」
「なんだ」
「なぜ、軍隊に入ったの?」
私はすこし面食らったかもしれない。南波からも訊かれたことがなかった質問だった。おそらく、陸軍入隊時……とりわけ第五五派遣隊への入隊選抜での面接以来、その質問は忘れ去っていたかもしれない。
いや、忘れたふりをしていただけかもしれない。
「姉さんは、都野崎帝大出なんでしょう」
それは南波がことあるごとに風潮してまわっているから、隊の顔見知りはみんな知っていることだった。(さすが姉さんは帝大出のエリートだぜ)
「ああ、そうだ」
「徴兵されたわけでもない」
「徴兵制度はもうこの国にはないからな……もっとも、軍隊経験があれば、『市民』としての手厚い権利が保障されるっていうのは魅力だったけどな」
「嘘だよ、姉さんはそういう人じゃない」
「どういう人だ」
弾着。地面が揺れる。
「姉さん、南波少尉が言っていた、言葉のいらない民族って、なんの話?」
「話が変わるな……それは、暇つぶしのおとぎ話さ」
「どういう?」
「言葉を声に出さない民族……というか部族だな、そういう連中がいるのさ。南のとある島に。知ってるか?」
蓮見は首を横に振った。
「十六世紀まで『文明人』が一人たりとも訪れたことのない、絶海の孤島って奴だ。そこに、文字は持っているが、しゃべらない部族がいたのさ。そういう話だ」
「そういう話を、ふだん、南波少尉としている?」
蓮見は言葉を持つが話さない部族の話にはさほど興味を示さなかったようだ。
「二人きりになると、暇になるからな」
「私にも、何か話を……」
「子守唄は歌わないぞ。……気を確かに持て」
「大丈夫。さっきよりは大分楽になった」
蓮見の腿の傷の出血自体はかなり前におさまっている。ただ、かなりの痛みをともなっているようだ。かぎ裂きのように太ももが切れている。応急処置だけでは今後が心配だった。いくら気温が低いとはいえ、無菌に近い氷雪地帯とは違う。雑菌が入れば、今夜あたりから彼女はさらに発熱するだろう。身体と脳の調律がそれを要求するからだ。私たちの身体は一般市民の身体とは構造が違う。生来持つ治癒能力を医学的に高められている。だから発熱量も大きくなる。そしてその発熱量を維持するだけの食料は心もとないと言わざるを得なかった。
私は背の高い草むらに寄り掛かるように、上半身を脱力させた。両足を伸ばす。すると途端に全身が弛緩する。緊張が徐々に解けていく。筋肉という筋肉に蓄積された疲労が、ゆっくりと脳を麻痺させていく。第五五派遣隊入隊選抜時の訓練中、助教からしつこく注意されたことだった。戦場の敵よりも、自分の内なる部分から囁きかけてくる誘惑だった。(もう休め)(誰も見ていない、少し休んだらどうだ)、そういう囁きだ。肉体や精神が極限状態に達したとき、それらの囁きは実体を持って私自身に襲いかかってくるのだ。なによりも甘美で心地よい誘惑だった。
「姉さん」
「私も、少し疲れた」
私はバックパックを下ろし、ハーネスの類を解いた。一気に体が軽くなる。
南波は無事か。弛緩した緊張感のはざまに、南波の横顔が浮かんだ。
「しゃべらない部族の話、聞きたいか」
艦砲射撃が一時止んでいる。私の声は自分でも驚くほどに大きく聞こえた。
「ううん。……それより、……姉さんがなぜ軍隊に入ったのか、教えてほしい」
「なぜ」
「知りたいから」
「わかりやすいな」
「話してもいいが、出水音の話も聞かせて欲しいな」
「私の街?」
「そう」
「どうして」
「私は北洋州育ちだ。……ああいう歴史のある地方に憧れがあるのさ」
「都野崎は?」
「自分の街じゃない。四年いただけだ」
「都野崎のどこに?」
私は上半身をそのまま草むらに横たえた。背筋が一気に弛緩した。疲労に全身が絡め取られていく。心地よい。なんとか抗おうと思った。けれど、無駄な努力だとも思った。
「都野崎の……紀元記念公園のそばだ……高射砲塔がよく見える……アパートメントの二階に住んでいたよ」
あたりはすでに夜の空気だった。曇り空のままだから月明かりも星も見えない。闇が来る。心地よい、そして危険極まりない夜が来る。
曇天の夜は本来ならば作戦行動にちょうど良い。なにより暗い。星もなければ月もない。この時期は雪も消えるので、雪原の乱反射もない。国境を目指すなら、夜に移動するのがもっとも安全に思われた。
「蓮見……」
もしかすると私自身の身体がすでに限界を超えつつあったのかもしれない。
「すまない。私も少し休ませてほしい」
私は上半身をやや起こし、熱っぽい蓮見の腕を二度叩く。航空機の機長が操縦桿を副操縦士にあずけるように。”You have control……”、そのつもりだった。
「姉さん」
「すまない」
それでも私は4726自動小銃からは手を離さない。セイフティをかけた状態で、しかし薬室からは弾薬を抜いていないから、いつでも撃てる。
「三十分でいい。……休ませてほしい」
「わかった」
危険だとも思った。蓮見がまともに警戒できる状態ではないことも分かっていた。けれど、休みたかった。一瞬でも都野崎の風景が、この青く沈んだ水の底のような曇天の向こうに見えたような気がしたからかもしれかなった。
私は目を閉じた。
艦砲射撃は中断していた。
意識が遠くなるにはちょうどいい静けさだった。