トモの世界
蓮見が身体を横に向け、緩慢な動作で茂みを掻いた。視界を啓こうとしたのだ。
「見たいか」
「見える?」
「見えるよ」
場違いだと感じたが、私は断続的だが中断を挟む戦艦たちの艦砲射撃で、真夏、柚辺尾の街の河川敷で見た花火を思い出していた。
真夏。
高緯度の柚辺尾は、夏が短い。
盛夏と呼べるのは、七月から八月の盆までの一ヶ月少々だった。
おそらく、高緯度地域の町や村はみんな同じだろう。みな夏が恋しい。夏がくれば、目いっぱい楽しむ。たくさんの祭が開かれ、たくさんの人たちが家から飛び出し、真上から降り注ぎ、足元に小さな影を落としてくれる太陽を全身で感じる。
私もそうだった。
六月が来ると、山も原も、どこも、新緑が萌え始める。一斉に花咲くように。
日照時間は目に見えて一日ずつどんどんと長くなっていく。
冬が遠ざかる。
北洋州以北の住民たちは、冬とともに暮らすが、一方、冬を嫌っている。
冬に糧を得る職業ももちろんあるが、多くの人々にとって、雪と氷に閉ざされ、一日数時間しか太陽が顔を出さなくなる冬の季節は忌むべき存在だった。
だから、夏が恋しい。
七月の下旬、柚辺尾市では、一週ごとに四週連続で週末金曜日の夜、花火大会が行われる。地元の企業がそれぞれに主催し、その日は町中も河川敷も、花火が見える場所はどこも観客でごった返す。周辺部の町や村からも観客は汽車に乗ってやってくる。北洋州開拓記念公園にはびっしりと露店が並ぶのは、六月中旬に開催される鎮守の社の神宮祭と同じだ。
みんな河川敷にならび、みな一様に空を見上げ、一発目を待つ。
私も、父や母、姉たちと汽車と市街電車を乗り継いで、中心街を流れる対雁(ついしかり)川の堤防に場所をとり、花火を待った。
やがて、一条の光が空へ打ち上げられ、大輪の花を咲かす。
炸裂音。
光。
歓声。
それは一時間余り続くが、呼吸をするように、ふと花火の打ち上げが中断される間がある。火薬や玉の装填であったりするわけだが、その間は、観客の期待をいやがうえにも盛り上げてくれる。私はその間が好きだった。姉たちはその中断に文句を言うこともあったが、私は構わかなかった。一連で間断なく、花火大会が一瞬で終わってしまうのが私はもったいないと思った。中断を挟み、できればもっと長く、この夏の夜の時間が続けばいいと思っていた。
水平線。
私は蓮見と同じ視線をたどる。
低く垂れこめた雲の中に、艦砲の発射炎が光る。
「蓮見、」
私は彼女に話しかける。蓮見は低体温から一転して熱発していた。大腿部の傷のせいだ。彼女の身体は戦っている。そうするように陸軍医療局がセッティングした。私たちは訓練の過程で全身の調律(チューニング)を受けている。流行病に備えた民間での予防接種の拡大版だと考えてくれればいい。特に第五五派遣隊の隊員の身体には、強化した抗体(アンチボディ)が組み込まれている。一撃で息の根を止めるような負傷や、風連での野井上のように、身体そのものを木端微塵に吹き飛ばされれば話は別だが、軽度の傷病であれば、投薬や野戦病院での治療を行わずとも、ある一定レベルの身体機能を継続できるように肉体そのものが回復しようとするのだ。私たちはなかなか死なないように調律されている。精神面にもそれは及ぶ。戦場の兵士は日常生活では考えられないほどの心的ストレスを負う。いちいちそれに負けていたら、敵と戦うどころではなくなる。簡単には戦意を喪失しないような、絶望しないような調律。私たちの脳は、極限の状況でも生きていけるように強化されているのだ。外側から。第三者の手によって。
「なあ、蓮見。お前、花火、見たことあるか」
私は自分の声の低さに時々驚く。もともとこういう声だったろうか。
入隊以前の自分の声はどのような音だったろうか。
丹野美春がいま私に会ったら、私を私だとわかってくれるだろうか。
「花火……?」
「そう。花火」
発射炎。
弾着。
大音響。
なぜ私たちはこんなに平然としていられるのか。
「お前、出水音(いずみね)の出身だと言っていたな」
「うん」
出水音。城下町。水路。盆地。やはり私が知っているのはその程度だ。
高地に広がる盆地で、夏は冷涼。都野崎から特急電車で二時間ほどの距離はずだが、訪れたことはなかった。学生のころ、都野崎に住んでいながら、私は本土をほとんど旅していない。都野崎近郊ならば丹野美春とときどき訪ねて歩いた。だから、私は蓮見の故郷も、南波の生まれ倉賀(くらが)という武家屋敷が並ぶ街のことも知らない。唯一ともいえる旅行は、丹野美春の案内で訪れた京(みやこ)だった。帝の住まう帝国の首都。碁盤の目の街路、一角ごとに存在感を示す寺院、そして気高い住民たち。帝国の中心は、武士たちが群雄割拠していた中世社会を統一したとある武家政権が築城した都野崎に移った。その後経済発展を遂げ世界都市にまで成長した都野崎には政府機能そのものが置かれているが、丹野美春の穏やかな京言葉を聞きながら、帝国の歴史そのものが鎮座している京の町を歩きながら、帝の御所を生まれて初めて眺め、我が国の首都はやはり京であり続けているのだと感じたものだった。北洋州に住んでいる限り、帝は神話の世界の中でしか存在しないと思えていたからだ。
「出水音で花火、見たことあるか」
同じ質問をした。
「ある」
「どんなだ」
「……実家の……二階の窓から見えたよ。知らないの、出水音の花火は、帝国で三番目に歴史が古いんだよ……、出水音城を築いた殿様がね、新し物好きだったんだ」
「そうか」
「お城が見えるんだけど、その、天守閣の向こうに、花火が見えるんだ」
「その花火、好きだったか」
「姉さん、どうしてそんなことを訊く?」
「さあ、……どうしてだろうな」
「まだ、撃ってる」
海軍は一晩中艦砲射撃を行うつもりなのか。私にはもはやそれが、怨念のこもった行為に感じられて、不快感を覚えていた。
「少し眠れ」
私は蓮見のヘッドセットを外した。
「寒い」
「熱発だ。それで寒いんだ」
「足が痛い」
「その痛みを大事にしてくれ。感じなくなったら、……置いていくぞ」
「姉さん」
「なんだ」
「本当は、姉さん、私を置いて行ったりはしない」
「……」
「だから、休むよ。姉さんも、休んだら」
「私は大丈夫だ。……海軍主催の花火大会がまだ続いているからな」
「花火大会……そういう意味だったの。……姉さん、ごめん」
「なぜ謝る。らしくない」
「わからない」
「弱気になると、死ぬぞ。『がんばれ、元気を出せ。救助は必ずやってくる』だ」
「……サバイバルキットに入ってるやつじゃない、それ……」
蓮見は目を開いたまま、首をめぐらせて、水平線を向いていた。
「まだ食べさせないよ。……休め」
艦砲射撃。
音。