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トモの世界

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 本当にどこかで焚き火をしなければ蓮見は危険かもしれなかった。私が蓮見を抱きしめたところで、私の身体からは赤外線がまったく出ない。蓮見の身体からの放熱を遮る効果はあっても、私の体温で彼女を暖めることはできないのだ。私がスーツを脱げば暖められるが、それはまったくこの場ではナンセンスなことだった。
「姉さん……入地准尉」
「蓮見、なんだ」
「私のこと、置いて行っていい」
 言うと思った。そして蓮見は本気で言っている。始末に負えない。
「寝言は寝てから言え。そして今寝たら私がお前を殺すからな」
「冗談……」
「お前を置き去りにはできない……センサーの数が五個減る」
「五個?」
「眼球(アイボール)」
「……それじゃ二つだよ」
「残り、当ててみろ」
 蓮見は左足をかばいながら歩いている。いや、私が引きずっているというのが正解に近い。いくら海軍の救難員と南波に応急処置を受けたとはいえ、本格的なものではない。痛みまでは取れないだろうし、せいぜい止血処置をしただけだ。
「姉さん……わからないよ」
「耳」
「ああ……あとは」
「鼻」
「それで……五つ?」
「人間の感覚は……」
 蓮見の息は、体温に逆行して熱い。ダメだ、蓮見。熱を放出するな。お前の身体の中の熱は有限だ。これ以上熱を放出したら、帰れなくなる。私の脳裏に、上半身を失った野井上の姿がフラッシュバックする。
 風連の発電所奪還戦。あのとき、野井上は私を振り向いた。銃を構えようとした。火線の先には、同盟軍の<THINKER>がいた。姿は見えなかった。森の向こうに、何かのモニュメントのように、発電所の巨大な冷却塔がそびえていた。場違いなほどに巨大で、原子のままの森の風景の中に存在する無機質な巨大建造物の姿は、熱にうなされた悪夢の中に出てくる風景にそっくりで、だから私はそのあと何度も同じシーンを夢に見た。野井上は私を向いて、何か叫んだ。爆発音と砲撃の音が凄まじく、彼の声はよく聞こえなかった。次の瞬間、私は南波に突き倒された。激しい音がした。土が巻き上がり、視界がなくなった。針葉樹の葉がちぎれ飛び、不思議といい匂いがした。森の匂いだ。目を開くと、野井上の破片が散らばっていた。腕があった。左腕は三分割されていた。右手は肘から先が私の頭の向こう二メートルに転がっていた。4716小銃のグリップを握ったままだった。だが、小銃はロアレシーバーを残して、アッパーレシーバが見あたらなかった。野井上の「本体」は、腰から上がそっくり失われていた。不思議なことに、両足はほとんど無傷で、しかも小刻みに動いていた。野井上……私は口の中で呟いた。呟きはCIDSが増幅して全員に耳に届く。
(野井上は戦死だ。姉さん、行くぜ)
 私の肩を二度強く叩き、南波が駆けて行った。そんな風景がフラッシュバックする。記憶なのか、その後繰り返し見た悪夢なのか、ときどき判別が難しくなる。
 私は幻想を振り払い、蓮見に話しかける。
「蓮見、人間の感覚は、精密ではないが、正確なんだ……しっかり、見て聞いて嗅いでいてくれ」
「姉さんの匂いがするよ」
「南波みたいなことは言わなくていい。……目を開け」
「大丈夫。……私はこういう感覚が好きなんだ」
「そうだ、お前はこういう状況が好きなんだ。これで終わりにしたいのか?」
「……終わりでもいいかも」
「それは、家に帰って、ソファの上でIidでも見ながら思い出すんだな」
「姉さん……優しいな」
「気のせいだ」
 CIDSのスーパーサーチモード。エコーロケーションモードもデュアルで使用。周囲五〇〇メートル以内に直接脅威なし。ただし、戦域における脅威判定はレベル三。私は蓮見を抱えるようにして歩く。
 歩く。
 歩く。
 蓮見。
 まだ、熱い息が私の頬に届く。
 蓮見。
 帰るんだ。歩くんだ。
 国境まで。友軍部隊と合流するまで。
 南波少尉が私たちと合流するまで。

 私たちがかろうじて湿地を抜けたころ、艦砲射撃が始まった。
 空気を切り裂く砲弾の音。そして、着弾。
 戦艦と重巡洋艦が数隻、一斉に主砲を解き放ち砲撃をしていた。弾着の衝撃はすさまじく、距離はあるというのに、私たちはその場にすくんで姿勢を低くし、行軍を止めた。射撃音そのものが戦域全体の空へこだましていた。艦隊は水平線の向こうに展開しているから、私たちからは見えなかった。ただ、日が陰り始めると、低く垂れこめた雲に、艦隊が砲撃するときの閃光が反射して、なんとなくきれいに見えた。ああ、稲妻のようだ。
 日が暮れて、海軍艦艇による艦砲射撃は断続的に続いていた。
 まだ空は雲に覆われているようだ。海を向くと、水平線上で閃光が瞬く。艦砲の発射炎。それが低く垂れこめた雲の中でぼんやりと光る。やがて、地を揺るがす弾着。弾着の後で、発射音が海上から轟いてくる。私たちはそれらの攻撃目標からかなりもう外れているはずだった。時速三キロにも満たないが、蓮見はなんとか私に引きずられるようにして歩いていた。
 道はなかった。
 湿地は途切れ、いま私たちが行くのは、腰までの高さの茂みだった。笹とイネ科と思しき細長い草。初夏の椛武戸。明かりあれば、この植物が萌える様子を美しいと感じたかもしれない。そして、絶え間ない艦砲射撃の轟音がなければ。
 海上の艦隊からは、圧倒的火力を誇る戦艦の艦砲射撃が続いているようだ。戦闘機や攻撃機の飛行音は聞こえなかった。CIDSにもそれらの反応はなかった。海軍はもっぱら上陸支援に使用しているはずの大口径艦砲の威力を見せつけようと、もうやたらと陸地に向かって撃ち放っているように思えた。艦砲の平均半径誤差(CEP)は、航空機から投下する誘導爆弾に比べるまでもなく大きい。お利口さまでかわいそうな(・・・・・・・・・・・・)GBU-8自己鍛造爆弾でCEPは数メートル以内に収まるというが、口径四十センチを超えるような戦艦の主砲弾のCEPなど、よくて数十メートル、通常はそれ以上の誤差が出る。精密攻撃など望むべくもない。文字通り、地形を変えるつもりで砲撃を加えるのだ。艦体の動揺、地球の自転などを考慮すれば、接近すれば接近するほど精度は上がるが、その分陸上からの攻撃にもさらされる。いま海上から盛大に発砲している戦艦は四隻。三連装主砲が一隻当たり三基。朝まで射撃を続けるのだとしたら、この付近一帯の地形は間違いなく変わる。
「姉さん……」
 蓮見と私は茂みに横たわっていた。海軍の九六式装甲輸送機から飛び降り、南波たちと分かれていから、ずっと歩きとおしだった。もちろん途中での休憩も挟みながらだったが、疲れ果てていた。とりわけ私は、蓮見の体重を支えながらの行軍だった。蓮見も消耗していたが、私も消耗していた。
「蓮見、少し休め」
 弱々しいが、蓮見の意識はまだはっきりとしていた。墜落直後の朦朧とした状態からは、なんとか脱してくれたようだった。大腿部の出血は、ファーストエイドキットで止まってくれた。痛みだけはどうしようもなかったが、彼女が痛みを感じてくれている間は、彼女自身の意識が明晰であることの証左であるから、私はそれを大事にしたいと思った。
「すごい音……」
「艦砲射撃だよ」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介