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トモの世界

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「姉さん……」
「極限状態が、」
 私の吐く息が白い。これで初夏か。
「お前は、こういう極限状態が好きなんだろう、しっかりしろ」
「ごめん、姉さん」
「蓮見准尉!」
「大丈夫……」
 爆発音と、断続的な射撃音。遠い。三五ミリ機関砲の音だ。
 『バス』はどうなったのか。
 私は蓮見を岸まで引きずり上げて、枯れ色の草を両手で押し開いて視界を確保した。
 九六式装甲輸送機はまだ飛んでいた。
 フラフラと。
 右舷側のドアガンはまだ生きているようだったが、この距離からだと四基のエンジンのどれが生き残っているのか分からなかった。それくらいに機体は黒煙に覆われていた。傾きながら、懸命に機体を制御しようとしているのだ。もっとも、機体を制御しているのはフライトコンピュータで、その入力支援をするのがパイロットの手足に頭脳だと言っても過言ではない。ああした、飛行にとても適しているとはいえない形状の航空機を飛ばしているのは、常に大量の冷却が必要な大容量かつ高速処理能力を持ったフライトコンピューターと大出力のエンジンだ。現用の航空機は輸送機から戦闘機にいたるまで、フライトコンピューターの支援なしには一秒たりとも安定して飛行できない。戦闘機はそれが顕著であり、高機動性を確保するために本来人間が操作できる限界を超え、静安定を設計段階から失わせている。それを補うのは高性能のフライトコンピューターというわけだ。そのかわり、飛行機とは呼べない超越的起動も可能になっている。エンジン推力にものを云わせて、機首を天に向けたまま空中で静止する、高度を変えずに宙返りする、その過程で後ろ向きに飛ぶ。その姿はもう飛行機のそれではなかったが、コツをつかめばパイロットは誰でも同じ機動ができる。コンピュータが飛ばしているからだ。
 九六式装甲輸送機。
 装甲板で保護されたキャビンはおそらく、回転翼機(ヘリコプター)のそれよりはるかに重い。装甲がすさまじい重量を要求するからだ。回転翼ではなくターボファンエンジンを四基も装備しているのはそうした理由もあるのだろう。ヘリコプターは便利な乗り物だが、機体を含む搭載量に対して要求されるエンジン出力は固定翼機のそれを大きく上回る。もっとも、燃料を馬鹿食いするエンジンを四基も装備し、揚力を生む主翼を持たない『バス』の効率の悪さはヘリコプター以上かもしれない。だがそれも運用される場所とプラットフォームがある程度限定されるから許される。洋上の艦隊から離陸して、特殊部隊兵士を戦地に送り届けるシャトル便としての役目だ。陸軍のヘリコプターほどに航続距離は求められないから、そうした機体の存在が許されるのだろう。
 私は銃の光学照準器で機影を追った。
「姉さん……南波少尉は……」
「わからない」
 照準器の中で、機はさらに高度を下げ、時折姿が見えなくなった。森がある。機は背の高い針葉樹林に突っこむようにして完全に姿を消した。
「姉さん……、南波、少尉は、……脱出、できた……」
 蓮見を見る。顔色が蒼白だった。両手が震えている。顎も激しく細かく震えていた。低体温症だ。危険な兆候だと思った。
「蓮見、南波なら大丈夫だ。必ず生きてる。また会える。お前が生きていれば」
 私は本気で言った。私たちが生きていれば、南波となら必ず会える。彼は死ぬことを知らない。生きるための行動しか知らない。だからあいつは大丈夫だ。
 私は再び光学照準器を覗く。
 曳光弾の軌跡が幾筋も伸びる。爆発。轟音。
 針葉樹林の向こうに姿を消したきり、バスは見えなくなった。
 森の中に降りるつもりだろうか。
 しかし、機体の制御はもう完全に失われているはずだ。
 安全な着陸などはもう望めない。機体が地面に降りるとすれば、それは墜落以外にはあり得ないだろう。私は、南波と桐生が、墜落前に機体から脱出していることを願い、信じた。
 閃光。
 針葉樹の向こう、低く垂れ込めた雲と霧に反射して、爆発が見えた。
 かなり遅れて、爆発音がやってくる。
 黒煙。
 もうもうたる黒煙だ。
 間違いない。『バス』が墜落したのだ。
 南波。
 私は信じていた。
「蓮見、行くぞ。立てるか」
 震える手を私に伸ばしてくる。私は銃を背中に回し、蓮見の手を握った。沼の水と同じくらい冷たかった。強く握った。小さな手だった。私の手よりも小さく、細い指。まるで、少女のような。蓮見は私たちのチームでもっとも兵士に見えない隊員だ。だから、市街地への潜入任務では街に溶けこみやすい。迷彩服や軍服を着ていなければ誰も彼女を特殊訓練を受けた兵士だとは思わない。高等科の生徒だと思うはずだ。きらきらした好奇心にあふれた視線は彼女の生来持つ特性だ。私の目とは違う。悩むことがどういうことなのか教えなければ分からないような南波と違い、蓮見は悩んだ。人間らしいと思った。だから、もしかすると私たちのチームは彼女にとって……。
「姉さん、」
「立て。ここにいても死ぬ。安全な場所まで移動する。すぐに南波少尉と桐生が追い付いてくる。大丈夫だ。蓮見、行くぞ。CIDSを下ろせ」
 震える蓮見の手は私の指を握ったまま、動かなかった。私は右手を彼女の指からほどき、蓮見のヘルメット・バイザーを下ろした。
「立て」
 蓮見は高熱を出した子どものように震えていたが、立ち上がろうと私から手を離した。
「そうだ、立て、蓮見。行くぞ」
 彼女の脇から背中に腕を通し、引き上げた。冷たい。私の首筋に触れる彼女の身体は氷のように冷たかった。バックパックは完全防水されているが、迷彩を施した戦闘服はずっすりと水を吸っている。できれば戦闘服を脱がせたかったが、その下のスーツは原理的に水分は吸い込まない。皮膜状の一層だけが水分を保持するのみで、基本的に防水材質なのだ。冷たいのは彼女の身体自身。今触れている蓮見のスーツは、いわば彼女の皮膚そのものだといえる。ほぼ全身を覆うスーツの表面積は広い。そこから一斉に熱を奪われれば、本格的に凍死の可能性を考慮しなくてはならない。火を焚きたかった。戦場での焚き火は自殺行為ではあるが。
 とにかくこの湿地を離れるのが先決だった。足場が悪すぎ、蓮見を支えて歩くのが至難だったからだ。縫高町作戦のあとの私と南波と今の私と蓮見で決定的に違うことは、ひとつ、蓮見の負傷。ひとつ、またもチームがバラバラになったこと。プラス要因、ひとつ、CIDSにライフルをはじめとする二人のお役立ち装備がほぼ無傷であること。蓮見のスーツを除いてだが、CIDSはまだ生きているし、二人とも自分の癖に合わせて調節した4726小銃をまだ持っている。予備弾倉もある。ホルスターにはメルクア・ポラリスMG-7A・九ミリ口径拳銃、そして予備弾倉が四本。十分だ。バックパックも無事で、戦闘糧食もサバイバルキットもある。
「蓮見、その調子だ」
 しきりに爆音と閃光と頭上を曳光弾がよぎっていたが、私たち二人は戦闘から無視されているようだった。CIDSはスーパーサーチにしてある。蓮見に肩を貸し、時速二キロがいいところの速度で歩く。十五メートルごとに立ち止まり、蓮見の身体を抱きしめながら。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介