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トモの世界

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 谷井田少尉が何も言わずにドアガンに駆け寄り、弾が装填されているのを確認し、撃った。発射煙が鼻を突く。三〇口径の機関銃。連射速度が速く、射撃音がまるでモーターサイクルのエンジン音のように一連に聞こえた。空薬莢がすさまじい勢いでばらまかれる。
「姉さん、」
 南波少尉が銃を構えようとしていた。さりげなく私たちの盾になるような姿勢で。
「かなりまずいな」
 桐生も、蓮見も身構えていた。
「どうやら、敵は大部隊を投入してきたようだ」
 南波がCIDSを下ろして言う。私のディスプレイにも戦闘情報表示で大部隊の存在が示されていた。
「あ、」
 誰かが短く叫ぶ。
 機外。空。黒煙を曳いて、七四式艦上戦闘機が墜ちていくのが見えた。離れてパラシュートが開く。パイロットは脱出したようだが、誰がパイロットの救出に行けるだろうか。
 そして私たちの乗った機体の動揺はもはや制御不能を予感させるほどになっていた。
「これは墜ちるな」
 南波が呟いた。冷静な声。状況をそのまま口にした声。
 谷井田少尉は無言でドアガンを撃ち続けていた。動揺に合わせて空薬莢がこちらにも飛んでくる。熱い。弾が切れ、別のクルーが谷井田少尉に予備弾薬を手渡す。
「入地准尉、姉さん」
 南波が真正面から私を見た。
「ダメだ。こいつは墜ちる。……巻き添えはゴメンだ。そうだな?」
 私はうなずいた。
「俺たちの任務はなんだ?」
「次の任務をこなすこと(・・・・・・・・・・)」
「そうだな。帰らなきゃならない」
 激しい振動。また誰かが叫んだ。
「南波少尉!」
 谷井田少尉が叫ぶ。
「すまない。不時着するそうだ。何かに掴まれ」
 不時着? 墜落の間違いだろう。すでに対地高度は二〇メートルを切っているようだった。下は湿地なのか、まだらに沼と茂みが続く。歩きづらそうだと私は真っ先に思った。
「姉さん、先に飛び降りろ。……この高度なら、できるだろう?」
「機を捨てる?」
「まともに着陸できると思うか? この飛行機が」
「無理だろうな」
「蓮見、」
「生きてるよ」
「見れば分かるさ。入地准尉と行け。降りたら、入地准尉に『言葉の話』をしてもらえ。お前から質問するんだぞ。『しゃべらなくても成立する言語が存在するか』ってな。悩み相談はするなよ。余計悩んじまうから」
「なんだって?」
「いいから、お前と姉さんで先に降りろ。俺たちはあとから行く。ビーコンは出しておけ。俺たちがお前たちに追いつく。必ず合流する」
 私と蓮見は無言でうなずく。
 『バス』は木立があればかすってしまうほどの高度まで降りてきていた。しかし速度が出ている。ヘリコプターとは違い、低速飛行が苦手な飛行機なのかもしれない。もっとも、墜落した場合も、自機のメインローターで自ら機体を切り刻んだり、ちぎれたローターが飛散し周囲を修羅場に変えるような心配はなさそうだ。
「なるべく、下が水の方がいい」
 蓮見のスーツの故障が気になったが、それは言えなかった。南波もわかって言っている。
「あんまり深いところに墜ちるなよ。まだこのへんは水浴びには涼しすぎる」
「わかってるさ」
 キャビンの外で細かな水煙が上がる。生きている側のエンジンが沼の水を巻き上げているのだ。対地速度は、自動車並みだろうか。転がると痛そうだが、水面に落ちればそれほど怪我をしないでも済みそうだった。
「姉さん、行け」
 私はうなずき、ドアに歩み寄った。後には蓮見。
 途端にドスンと凄まじい音がして、機体は段差から落ちるように急激に高度を失った。
「第二、第四エンジン、オールロス!」
「あっ!」
 パイロットの声に続いて、蓮見の短い声が聞こえた。危ない、そう思った。蓮見の腕をつかもうとした。南波は4726を構えていた。その私と南波の間を、傾いた床に足をさらわれた蓮見が滑った。
「蓮見!」
 南波が手を伸ばしたが、蓮見の身体はそれをすり抜けるようにして滑った。
 滑った先は開け放たれたドアだ。蓮見はそのまま姿を消した。
「蓮見!」
 私も叫んだ。
 キャビンから虚空へはじかれた蓮見の身体は、慣性から抜けると、すっと重力に引かれて落ちていく。背面跳びのような形ではじかれた蓮見と私の視線が交錯する。一瞬彼女と眼があった。見開かれた蓮見の目。
 不意を突かれて。
 水音。
 機体が一瞬安定したのを機に、躊躇を捨てて私も飛び降りた。
 機体から離れると、すぐに慣性から抜けた。やはり機速は自動車以下だ。身体をできるだけ丸め、銃は負い紐にしっかりとあずけて、着水に備える姿勢を取る。いくら速度が出ていない、高度もたかが知れているとはいえ、角度によって水面はコンクリート並みの硬さになるからだ。いくつか口の中で秒を数えると、すぐに刺すように冷たい水に全身が覆われるのを感じる。着水。かなり潜る。全身を脱力させて、浮力を得る。顔が水面から出る。息を吐く。吐息が白い。
 『バス』が見えた。飛んでいるのが不思議なほどに、あちこちから黒煙を上げていた。左舷側エンジンは二機とも黒々とした煙を、上り坂であえぐ蒸気機関車のようにもうもうと吹き上げており、とうてい機能しているとは思えなかった。ドアから南波少尉の顔が覗いていたが、機体はフラフラとバランスを失い、一時として同じ場所にはとどまらず、私たちから遠ざかっていった。
 蓮見は。
 離れた場所に、蓮見が浮いていた。両手で水をかいている。意識もあるようだ。よかった。水は切るように冷たい。蓮見を一刻も早く引き上げなければ。
「蓮見、」
 銃声と、爆音が聞こえたが、不思議に大きい音ではなかった。
 蓮見へ向かって泳ぐと、つま先が水底についた。つま先で歩くような格好で蓮見に近づいた。
「姉さん、……」
 辛うじて水面に顔を出しているような状態だった。沼の水は本当に冷たい。私のスーツは生きているから、素肌をさらしている部分以外は冷たさを感じない。が、サーモスタットが機能せず、大腿部に大きな裂け目があり、しかも負傷し衰弱している蓮見には死活問題の温度だ。
「蓮見、動けるか」
 流れのない沼でよかった。川だったらおそらく彼女は為す術なく流された。それでおしまいだ。私は蓮見の返答を待たず、ベストをつかみ上げ、そのまま引いた。浮力に任せて、蓮見の身体を岸まで牽引する。もともと軽いはずの蓮見の体重がまったく感じられなかった。まるで彼女の命の重さが失われていくような気がして、私は嫌な気分だった。
 嫌な気分?
 私は先ほど、4726小銃で、敵兵三人を葬った。そしてそれに快感を覚えた。誰にも言えないが、紛れもない快感だった。弾頭が敵兵の頭を砕く感覚。ライフルを投げ出すようにして斃れた兵士の姿。
 殺すことに快感を覚えるのではない。
 斃すこと。
 私が感じる興奮と快感はそこにある。
 兵士の中には、本当の快楽殺人者になってしまった悲惨な者いることだろう。私は幸いにして会ったことはなかったが、戦場は少なからずヒトの精神をむしばむ。極限状態は、人の心を両極端にする。隠されていた性質まであぶり出す。温厚だった人間が凶暴になり、周りへの気遣いを忘れなかった人間が、自分が生き残るため、周りの仲間を見殺しにする。そういう現場はいくらでもある。
「蓮見、」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介