トモの世界
九六式装甲輸送機は、海軍の特殊部隊隊員と同じ、紺色の迷彩を纏っていた。正確には紺色系。曇天と鉛色の海の色に合わせて、今は濃いめのグレーにも近い色になっている。期待中央部のスライド式のドアに、側面に並んだ円い窓、直方体に近い機体形状は、やはりバスそのものといえた。回転翼を採用せず、機体四隅のスタブウィングに不釣り合いなほどの大きさのターボファンエンジンを搭載したのは、航続距離が短くなるデメリットを、回転翼によるデメリットを上回ると海軍が判断したからだという。ヘリコプターは回転翼が障害物に接触する危険性をいつもはらむ。だから、電線が張り巡らされているような市街地にはなかなか着陸できないし、森の中も同じだ。海軍第七二標準化群は、いわば海軍の切り込み部隊だから、ヘリコプターが安心して着陸できるような場所を常に確保できるとも限らない。それゆえ、回転翼と障害物とのクリアランスを保つ必要性と機体規模をトレードオフしたのだろう。確かにこの機体ならば、電線だらけの市街地でも枝葉の茂る森の中でも、その気になれば入っていけるだろう。不格好だが。
九六式装甲輸送機は丘陵の中腹にホバリングした。ダウンウォッシュと甲高い爆音はヘリコプターの比ではない。ドアガンの射撃手がすでに射撃を開始していた。私もニーリングの姿勢で、集落方向を警戒する。私の位置からは稜線がちょうど死角になっているが、やって来ないとも限らない。
「入地准尉」
谷井田少尉が私を呼ぶ。負傷した部下を機体に収め、私たちチームDの面々を呼んでいるのだ。私が一番機体から離れた場所にいた。蓮見は桐生が肩を貸し、南波が警戒しながらもうバスに乗り込んでいた。私はニーリングから中腰姿勢になり、銃を構えたまま後ずさる。ドアガンはまだ撃っている。射撃音とエンジン音が凄まじい。
「七四艦戦だ」
南波の声に振り仰ぐと、CIDSの視界にTDボックスが素早く雲底を割って飛び込んできた海軍航空隊の七四式艦上戦闘機の姿を捉える。後退角度の浅い主翼に大振りの水平尾翼、双発のエンジン、そして『バス』と同じような濃い紺色の迷彩色。低空で七四式艦上戦闘機は急旋回した。主翼前縁部のストレーキから盛大に水蒸気(ヴェイパー)を発生させていた。やや外側に傾いた二枚の垂直尾翼がはっきり見える。二機編隊(エレメント)。
「伏せろ、近接航空支援(CAS)だ」
谷井田少尉が怒鳴り、私に向かって早く来いと手を振る。私のCIDSのサブ窓が、遠ざかる七四式艦上戦闘機をズームして追跡している。主翼パイロンから、合計四発の爆弾を投下したのが見える。精密誘導式ではない、自由落下タイプの爆弾。艦載機なので空軍機ほどの搭載量はない。視界の端に閃光、四秒ほど遅れて爆音が届く。黒煙が上がる。
「入地准尉!」
南波が機体のステップに足を載せ、私を呼ぶ。私は彼の言葉に駆ける。笹藪が深い。走りにくかった。夢の中で走っているような、おかしな感覚だった。
乗り込んだバスの中は、私たちが往路で乗った陸軍のヘリコプターより広かった。シートは対面式のロングシートだが、本当にバスのようだ。機内では救難員が負傷した72S隊員と蓮見の応急処置を始めようとしていた。72Sの負傷兵の傷は深そうだ。戦闘服を脱がせると、機体の床に血が漏れ流れた。負傷兵は意識ももうろうとしているようだったが、蓮見はそんな彼らの様子を、顔をしかめながらもはっきりとした表情で見つめていた。
私が乗り込むが早いか、機はすぐに上昇を開始した。スライドドアは素早く閉められる。ドアが閉まる。機体が揺れる。
「盛大な罠だったな」
南波が呟く。肉声で。
「たった俺たちだけを罠にかけるのに、保養施設まで作るかよ」
「私の祖父は、一頭のシカを追って、三日三晩山から帰ってこなかったよ。たった一頭のシカのために」
「シカだろう? 俺たちは違う。……あんたのじいさまも、シカを捉えるために村までは作らなかっただろう」
「本当に罠だったのか、」
「いまさら」
小さな円い窓から、私たちが走った草原が見える。黒煙を上げる集落。新たに四つの閃光が目を射る。七四式艦上戦闘機の攻撃が続いているようだ。
「このあと、艦砲射撃を実施するそうだぜ」
「どっちが仕掛けた罠なんだか」
「俺たちは餌か」
「違うと思う?」
「どっちだっていい。とりあえず、危ないところだった」
南波が言い終わるかのタイミングで、機体が派手に揺れた。衝撃音。
「なんだ?」
シートから落ちそうになり、南波はとっさに対衝撃姿勢を取る。
「対空砲火だ!」
CIDSのヘッドセットに、コクピットからの音声が届く。
「対空砲火?」
南波。
「奴らそんな装備、」
機体後部に衝撃。同時に、激しく機は動揺、大きく左に傾く。簡易寝台に載せられていた72Sの負傷兵がうめく。コクピットから警報が聞こえる。
「なんの音だ、谷井田少尉」
「火災警報だ、おそらく」
私は窓に張り付いた。
「入地准尉、よせ。窓から離れろ」
南波が私の腕を引いた。
「第四エンジン火災(ファイア)。みんな、掴まれるところに掴まれ」
パイロットが叫んだ。
「小銃弾じゃねえぞ」
南波が顔をゆがめて私に怒鳴った。私はCIDSをオープンにした。機外を向く。索敵モード。前線管制機からの情報が瞬時に表示される仕組みだ。
「あいつだ」
「姉さん?」
「SDD-48」
「まさか」
南波はわずかに窓から離れ気味にして外を向く。
視界。
森の中から、ゆっくりと現れたのは、縫高町で友軍の八二式戦闘ヘリコプターを空沼川に沈めた、あの自走対空砲だった。三五ミリ機関砲を備え、地上掃射も可能な車両。
「いまごろお出ましか」
「近接航空支援であぶり出されたんだ、おそらく」
「なんで最初から出てこなかったんだ」
「奴らに訊いてくれ。とりあえず運が良かったってことにしておこうぜ」
三五ミリ機関砲の曳光弾が見えた。
この九六式装甲輸送機は、図体こそ大きかったが往路で乗った七七式改ヘリコプターと固定武装面で大きな違いがなかった。せいぜい、ありあまる推力の恩恵で、機体にぶ厚い装甲を施していることか。小銃や重機関銃の銃弾ならば堪えられないこともないだろう。しかし三五ミリ機関砲弾の直撃を防げるとは思えない。三五ミリ弾を確実に止めようと思うなら、戦車の装甲が必要だ。
「早く、海の上まで急げ……! 射程の外へ」
南波は視線を窓からはずさずに一人呟いていた。
「第二エンジン火災(ファイア)!」
パイロットの叫び。
左舷側のエンジン二基が火を吹いている。
「バランスを失う……」
私は思わずつぶやいていた。
「姉さん、掴まってるか、何かに」
「墜ちるとしたら機体ごとだろう、意味ないよ」
『バス』は明らかに動揺し、迷走を始めた。低空を飛び続けている。高度を上げられない。だいたい高度を上げれば、SDD-48の三五ミリ機関砲の餌食になってしまう。
「陸軍さん」
谷井田少尉の声に南波が振り返る。
「南波少尉だ、谷井田さん」
「南波少尉。我々が帰還できなければ、艦隊は即座に艦砲射撃を始める」
「なに?」