トモの世界
極地で見る夢。極彩色の夢。オーロラに彩られた、儚くも切ない夢。私は漠然と、氷と雪に閉ざされ、一日中太陽が昇らない極地のベースキャンプで、ぶ厚いシュラフにくるまって見る夢のことを思っていた。傍らにはボルトアクション式のライフルが、しっかり銃口をカバーして置いてある。テントの中に入れておいては銃が結露してしまうから、外に置く。量販店で売られていて街人が好んで使う白灯油を使ったランタンはやたらとやかましい音がするから、祖父たちは昔ながらのランプや、先住民(イルワク)たちは動物性油脂から精製した油で夜を過ごす。そこで見る夢。
極彩色の夢。
では、宇宙で夢を見るとしたら、どんな夢を見るのだろう。
すまし顔でディスプレイに向かう級友の横で、私は宇宙飛行士も高度二〇〇キロの衛星軌道から見る地球の映像もどうでもよくなり、軌道上で見られるかもしれない夢のことを考えていた。なぜかそのことをはっきりと覚えている。宇宙飛行士がなんと答えたのか、まったく覚えていないにもかかわらず。
「入地准尉、」
茂みの中で、私の意識は、二〇〇キロ上空の地球周回軌道に飛んでいた。もちろん、地上で索敵中の私の感覚器機はちゃんと生きている。聴覚もオープン状態。だから私を呼ぶ南波の声はちゃんと聞こえている。
「なんだ」
「行くぞ、」
「南波、ちょっと待って……少尉、おかしいって」
腰を浮かせた状態の南波に向かって、私は呼びかける。
私の脳内に開いていたサブ窓(・・・・・・・・・・・)が閉じる。
宇宙飛行士との対話。
中等科一年の秋。
蒸気機関車の煙。
長大な石炭列車の編成。
鉄橋。
ライフル。
それらイメージの霧散。
「本当にここで間違いないんだな」
「入地准尉、」
「なんだ」
「間違いない。リーダーミーティングでも指示されてる。緯度経度とも秒まで正しい。ここだ。敵空軍の一個飛行隊規模のパイロットが休息している村だ」
「人影がない」
「時間を考えてみろ。まだみんな寝てるんだよ」
「本当?」
「今何時だと思ってる?」
「煙が出てる」
「寒いからな。暖房だろう」
「灯りが点ってる」
「寂しがり屋がいるのさ。さすがにどの棟がパイロット宿舎かという情報まではない。……掃射する予定だからな、どれでもかまわない」
「姉さん、気になるのか?」
後から蓮見が囁く。
「蓮見、おかしいと思わないか」
「何がだ?」
「この村、おかしくないか?」
「私には、よくわからないけれど」
「入地准尉……姉さん、」
南波がこちらを向く。CIDS越しに彼の目が見えたような気がした。見えるはずはないのだが。
「何か感じるのか? 奇妙なことでもあったか?」
「上手く言えないが、……下手な猟師が仕掛けた罠みたいだ」
「罠?」
オウム返しは桐生だ。
「ここが?」
「上手く言えないけど、気配が変だ」
「気配がするか?」
桐生。
「しないのがおかしくないか?」
「けど、ここで間違いない。……煙突から煙も出てる。……熱源反応もある」
南波が言う。CIDSのモニターを切り替えているのだ。規模的には簡易なものだが、温度(サーマル)センサーも内蔵しているから、視覚に頼らずヘビのような狩りもできるのがこの機械だ。策敵モードをスーパーサーチにすれば、衛星か、近傍上空を飛行中の早期警戒管制機や観測機のデータともリンクできる。強力なセンサー情報で、建物の中の熱源反応もチェックできるのだ。南波はまだスーパーサーチに切り替えてはいないようだが……近接戦闘を考えると、スーパーサーチでは高感度すぎる……、確かに並ぶ家や小屋の中からは、複数の熱源反応があった。
「入地准尉、過敏すぎるぜ。いくぜ」
私たちはCIDSのコマンドモードをSTANDBYからREADYに切り替える。まさに戦闘機のマスターアームスイッチのようなものだ。戦闘情報が個々人の判断を待たずにサブ窓へ表示されたり、衛星や観測機からのデータを参照すると、目標をTDボックスが自動追尾する。
サブ窓が開く。温度センサー画像だ。煙突の排気口が赤い。建物内で火が焚かれている。
「いいか、最初に行くのは海軍さんだ。俺たちは外周から攻める……切り込み隊長は、第七二標準化群(72S)てことだ。奴らの撃ち方に続けばいい……姉さん、わかったな」
「わかった……」
カウントダウン、あと六〇秒。
私はまた茂みに潜り込んだ。茂みを透過して、さらには森の木々まで透過して、私の視界に友軍を示すピンク色のTDボックスが表示されているのは、海軍第七二標準化群の部隊だ。八名。彼らも同仕様のCIDSを装備しているので、向こうもこちらが見えているはずだ。
サブ窓。ズームしろと意識する(・・・・・・・・・・)と画面がズームする。彼らの姿をとらえる。
彼らは温度センサーにはほとんど反応しない。私たちと同じ仕様のスーツ。体温……言いかえれば赤外線を外部にまったく逃がさない。民生品の応用だと云うが、防寒性能よりも、赤外線を漏らさない点に神経が使われている。生きている証である体温……熱……赤外線を漏らすことは、戦場で死に直結する。クマはヒトの数万倍という嗅覚を武器にするが、ヘビのように赤外線は感知しない。だが、私たちのCIDSはそれができる。そして敵部隊にもCIDSに近い機能の装備がある。生きる証を狙い撃ちにしてくるのだ。現代の兵士は、生ける屍のように、生きていることを悟られないように、生きる。
4726自動小銃を膝撃ちの姿勢で私は構える。誰も伏せ撃ちの姿勢では待機していない。すぐに飛び出せるように。しかも低い姿勢で。できるだけ走りにくい場所を選んで。敵に狙われないように。
「目標は、武装している?」
「さあな。准尉、それは分からんよ。けど、いくらパイロットだっていったところで軍人は軍人だ。武器は持っているだろう。だが、重武装しているという情報はない。知ってのとおりだ。保養施設だからな」
南波の囁き。
そして。
炸裂音。
私の耳に届く、聞き慣れた音。
懐かしい音。
祖父が持っていたライフルと同じ口径……三〇口径弾の発射音だ。
一発目が合図だったかのように、次々に射撃が始まる。
「オールステーション、ターゲット・インサイト」
南波の囁き。
四倍率の光学照準器を覗き、私は右手親指でセレクターを安全位置から単発に。右手左手どちらからでも操作できるアンビタイプのセレクターレバーだが、レバーの長さそのものが短く、兵士たちからは不評だ。実際、私の小さな手……短い指では訓練しなければ素早く切替ができないのがつらい。もっともそうした操作のしづらさ、使い勝手のよくなさも、訓練が克服してくれる。慣れればどうってこともない。
発射音は断続的に、連続的に続く。CIDSは耳も覆っているので、射撃音が鼓膜を痛めることはない。銃声や砲声、爆発音と云った類の周波数を選別してフィルタリングしカットする機能があるためだ。人の声などの周波数は積極的に透過する。だから、銃声はマイルドなのに、撃たれた兵士の悲痛な叫びやうめきだけがやたらとはっきり聞こえるという状況があり得るということだ。まったく悪趣味極まりない。
射撃が続く。