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トモの世界

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 誰も出てこない集落。
 建物の中に、人の気配はあるか?
 気配?
 気配を感じるか?
 気配とはなんだ?
 4726自動小銃の光学照準器をのぞき込む。
 視界は明るい。光学補正をしているわけではない。レンズそのものの品質が高いのだ。光学照準器を銃に載せているマウントは、裸眼よりも出っ張っているCIDS装着に合わせて少々遠くセッティングしてある。なので、裸眼でのぞく際は、銃床の頬付け位置を少し調整しなければならない。
 照準器の中に、建物の灯り。
 窓。
 井戸だろうか……ポンプが見える。
 保養施設というより、南波の言うとおり木こりの村のようだった。簡素な木造の家と家の間隔は、この地域や北洋州の古い一般的な集落のそれと同じだ。およそ戦闘機パイロットの保養施設にふさわしくない外観以外に、不審な点はなかった。
「行くぜ。じゃあ戦闘機乗りっぽく言うか。オールステーション、『マスターアーム・オン』だ」
 CIDSと光学照準器はリンクしている。戦闘機のHUDやHMDシステムと同じように、目標を指示するとTDボックスが表示される。
「いきなり突入か?」
 私。
「いきなりだ」
 南波。
「第七二標準化群(ナナニー)は?」
 蓮見。
「方位二七〇。八名」
 南波。
「確認した。本当にいやがる」
 桐生。
「撃つなよ、一応味方だ」
 南波。
「誰が」
 蓮見。
「カウント、」
 南波。
「嫌な感じだ」
 私。
「とりあえず忘れろ」
 南波。
 私は分かる。南波の勘、皮膚感覚のようなもの。
 私は祖父に銃での狩りだけを教わった。
 ライフルの撃ち方と、シカの探し方、シカの生き方、歩き方、その他その他。
 けれど、狩りの方法はひとつだけではないのだ。
 祖父は銃の扱いに長けていた。銃を持たせれば、きっと今でも私は祖父に敵わない。敵うとすれば、クマと対峙するときの人のように、足りない機能を山ほど補い、むりやり対等な立場になるべく、光学照準器に衛星の支援、CIDSという野生の勘そのものを盛り込んだ機材を使ってだ。そうすれば、あるいは祖父よりも早くシカを見つけられるかもしれない。クマを見つけられるかもしれない。
 祖父の横顔。
 銃を使わない狩りの方法。
 嫌な雰囲気だと獲物に思わせたら、こちらの負けなのだ。
 嫌な雰囲気だと感じさせず、普段と何も変わらない山野を演出する。
 そこに、彼らの油断が入り込む。
 たなびく煙。
 木造の家屋。
 井戸のポンプ。
 暖色の灯り。
 では、この灯りはどこから供給されているのだ?
 集落には……発電施設はあるのか?
 電線も電柱も見あたらなかった。
 風力発電のブレードも、太陽光発電のパネルも、コージェネレーションの装置も。
 嫌な雰囲気の理由。
 考え出すときりがない。
「南波、」
「入地准尉、もうダメだ、行くぞ」
「これは、」
 もしかして。
 私は言うべきだった。
 この雰囲気は、猟に慣れない素人が仕掛けた、あれに似ているのだ。
 南波、これって、罠じゃないのか?

 私は茂みに潜みながら、こんなことを思い出していた。
 衛星軌道ステーションとの交信。
 中等科の一年生だった頃、特別授業で、軌道ステーションに滞在している宇宙飛行士と交信するイベントがあった。十三歳の私にとって、宇宙がどのようなポジションに位置する世界だったのかというと、あのときの飛行士には申し訳ない気持ちになるが、あまり興味のある世界ではなかった。私はもうその頃祖父と一緒に山を歩くようになっていた。ユーリと三人で。祖父は古びた村中式ライフルを、すっかり年季が入って柔らかくなった革製の負い紐で肩から提げ、白く息を吐きながら、風下から歩いた。禁猟が明けたシカを狙うとき、初日の山行きに、祖父は私を誘うようになっていた。だから、私にとって身近だったのは山野であり、鉄橋が二キロ近くも続く対雁(ついしかり)川であり、夕暮れ、ユーリの運転するマツシマ自動車製RS180の後部座席に斜めに座り、道路と並び、やや離れて渡河するくすんだ緑色のトラス鉄橋を、もうもうと煙を吐き出す蒸気機関車が牽引する石炭列車を眺める、あの風景だった。
(何か、宇宙飛行士にメッセージはありませんか?)
 教師ではなかった。
 イベントだったから、多目的教室の壁の全面ディスプレイにノイズ混じりで映し出された細面の宇宙飛行士のはにかんだような笑顔に向かって、気の利いた質問でもせよと、宇宙機関の人間か、イベント会社の人間か、はたまた新聞記者かテレビ局のディレクターか、制服姿の私たちに、引きつったような笑顔を向けながら、そう促すのだ。
 メッセージ?
 教師達はイベントの数週間も前から落ち着きがなかった。自身も宇宙飛行士を目指していたんだと、イベントを前にして初めて告白した理科担当の教師は、ぶ厚いレンズのメガネをかけており、とうてい宇宙飛行士の適性などはなさそうで、だから私は、私たちは、彼のコメントもまた、イベント用に用意していた台詞だったのだろうと思うことにした。
 人口百万人を越す大都市とはいえ、北洋州の州都たる柚辺尾市はしかし、帝都から二〇〇〇キロ近くを隔たっており、明らかに辺境の土地であり、「開拓」という言葉がまだここでは死語にならず、憧れと郷愁を持って語られていた。住民たちは素朴だったが、思慮に欠け、唐突に実施が決まった国家的英雄との交流に、平静を装えた人材はごくわずかだったに違いないのだ。
(宇宙では夢を見ますか?)
 級友がこんな質問をした。
 今にして思えば、危険な質問だった。宇宙飛行士は空軍や海軍のパイロット出身者が非常に多く、それは国家的エリートと同義であり、そしてすでにその時代から、国家的エリート集団に、第二世代選別的優先遺伝子保持者(PG)は確実に存在していたはずなのだ。実際、私たちが通信交流をした宇宙飛行士もまた、空軍で八一式要撃戦闘機に乗っていたエリートだった。軍隊出身者は危機管理能力が高く、厳しい訓練にも耐えられ、しかもパイロットたちは頭の回転が速く、何かに盲進するような一転集中型がいない。宇宙飛行士の適性は十分だ。だから、軌道ステーションのクルーの大半は、そうした空軍や海軍のエリートたちであふれている。そしておそらく彼女ら、彼らは夢を見ないのだ。
 当時読んだ本に、白夜や極夜の元で眠ると、極彩色の夢を見ると書いてあったことを思い出す。私たちの住む北洋州は、宇宙へ行くよりもその極彩色の夢を見られるという北極圏のほうが近かった。行こうと思えば、国際航路の貨客船に乗れば、夏休みや冬休みの「冒険」として行ってくることができた……北方戦役がここまで膠着状態に陥らなければの話だが。
(宇宙では夢を見ますか?)
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介