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トモの世界

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 南波は笹の茂みに身を沈めて、自動小銃を構え、首をゆっくりと巡らせている。南波の勘はCIDS以上だと私は思う。「嫌な雰囲気」を数値化できれば、きっとCIDSの性能も向上するだろう。だが、様々な経験則、要素、それらを瞬時に計算する人間の皮膚感覚や、そう、「勘」と呼ばれるものはなかなか機械化できないでいる。正確さには欠けるが精緻なこの感覚を、機械はどうしても再現できない。千差万別、新兵が感じる「嫌な雰囲気」は上官の顔色であったり、突発的な所持品検査の気配であったりするだろう。パイロットが感じる「嫌な雰囲気」は、雲間に見えたような気がする敵の姿だろう。敵の戦闘機の主翼が切り裂いた空気のかけらかもしれない。潜水艦を追い回す海軍の哨戒機の戦術員の「嫌な雰囲気」は、波間に見え隠れする潜望鏡やアンテナの気配かもしれない。戦車乗りの、ヘリコプターのガナーの、整備員の、将官の、それぞれが感じる「嫌な雰囲気」。私は思う。そんなものは数値化できっこない。兵士だけではない。なぜ私たちが戦場にいるのか。なぜ南波が4726自動小銃を構え、私が中腰姿勢でじっと茂みから目を光らせるのか。数値化できない何かがここにあるからだ。野生動物たちはそうした感覚をより強く持っているだろう。彼ら動物たちの戦術を理解することはできない。まず私たちの言葉が通じない。思考回路も世界観も何もかもが違う。もしかしたら、「死」の概念すらないかもしれない。彼らに「時間」の概念はあるだろうか。ないかもしれない。そんな連中の行動パターンを読めるか? 読めるはずがない。だから私はむしろ、祖父と巡った山野で追った動物たちの行動と比べて、ある一定のパターンを持っている兵士の動きのほうが読みやすいと思った。同じ人間だからだ。
 私たちが米飯を食べる代わりにやや酸味の効いた黒パンをかじり、やはり米でできた酒を飲む代わりに燃料(エタノール)のような酒を食らう彼ら北方会議同盟軍兵士の行動。生活様式や背景にしている文化が違えど、同じ人間である以上、動きは読めるのだ。さらに「兵士」というさらに特殊な職業に就いている場合はなおさら。
 私は優秀なハンターではなかった。繰り返すが、やはり銃を撃つのは苦手だ。
 祖父やユーリは、銃を撃った瞬間、当たるか当たらないかが分かると十代の私に言ったものだ。弾が当たるまで獲物を凝視し続ける必要などないのだと。必要なのは、獲物が次にとる行動を予測すること。初弾を外すことは論外としても、第二射に備えて、獲物の動きに追従できるよう、身体も銃も準備させなければだめだ、と。
 同じような話を、私は軍に入ってから、年老いた元戦闘機パイロットに聞いたことがあった。彼が乗っていたのはコンピュータが機体を制御している現在の戦闘機ではない、大排気量のレシプロエンジンを積み、プロペラを回す大洋戦争時代の戦闘機乗りだ。彼は言った。敵機を追いかけまわし、ジャイロ照準器に敵の主翼が、胴体が瞬間入りかけたときにトリガーを引き、曳光弾がすっと飛翔していくとき、もう狙っていた敵機の姿など見ていない、と。当たると確信が持てるときしか機銃のトリガーは引かない。だから、トリガーを引いたあとは、次の敵機を探すか、バックミラーを見て、別の敵機に背後を取られていないか警戒していた、と。
 そういうものかと思う。
 計算できない何かだ。
 いやいずれ計算できるのかもしれないが、不確定要素が多すぎて、これをアルゴリズム化してCIDSなりに組み込むことはできないだろう。そうすれば行動様式がパターン化されてしまい、逆に危険だ。そういう部分からも、軍は本気で兵士の「勘」を数値化しないのかもしれない。
「嫌な雰囲気だ」
 南波はぶつぶつと同じ言葉をリップマイクに吹き込んでくる。チームを動かそうとしない。
 目の前は、広葉樹と針葉樹がまだらに混じった森。その向こうに敵の保養施設が垣間見えている。
 目標だ。
 戸数、十一。
 衛星からの支援でも、ここが目標地であることが分かる。緯度経度すべて正しい。
「灯り、点ってるじゃない」
「だから余計怪しくないか。いまは戦争中でここは最前線だぞ。みたところありゃ平和でのんきな木こりの村って感じだ。気に食わない」
「考えすぎなんじゃないか。ここは、国境から五十キロも同盟の領土に入ってるんだ」
「ぶっ飛ばしたメタンハイドレー採掘基地は、海上の中間ラインから百五十キロもこっち側だったぜ。だけど敵さんは攻めてきた」
 と、南波。
「こことは別さ。このあたり、他にはめぼしい軍事目標は何もない。同盟空軍の前線基地までだってかなりあるぜ」
「目の前のはいちおう軍事目標だぜ。俺たちが来てるんだから」
「そうだな。上が目標だと言えば目標だ」
「棘のある云い方だ」
「そう感じたか」
「ああ」
「そのつもりで言ったんだ」
「おいおい、桐生。ハスミ病か」
「なによ、ハスミ病って」
「任務に疑問を感じるのか」
 南波が言う。平板な声音。
「感じない」
 蓮見。
「俺も、疑問など感じない」
「任務だからここに来た、なんていう奴はいないだろうな」
「いるわけない」
 蓮見。
「よし」
「で、」
 私。
「嫌な雰囲気ってどういうことだ」
 言うと、南波は全身を、水に潜るように笹の茂みに沈めた。私も倣う。
「本当にここに敵のパイロットたちがいるのか」
「情報に疑問が?」
「ない」
「なら、」
「ただ、感じるんだ」
「雰囲気?」
「そうだ。……あんたもシカ撃ったりしてたんだったら分かるだろうよ。この雰囲気がよ」
「私は何も感じない」
「錆び付いたか」
「麻痺かもね」
「勘弁してくれ」
「二人とも、何話してるんだ」
 蓮見がいぶかる。
「聞いてのとおりだ。蓮見、異常、なしか?」
「なんにもないよ」
「桐生、」
「オールクリア、ってとこだな」
「姉さん」
「クリア」
「オールステーション、オールグリーン。……行くか?」
「あんたがリーダーだ。南波少尉」
「了解、入地准尉」
 そう言いながらも、南波はまだ茂みに沈んだままだった。
「どうした」
 私が訊く。
「様子を見る」
「この期におよんで、」
「作戦決行時間(タイムリミット)まではまだある。早着したからな」
「いやなカウントダウンだ」
「同盟空軍パイロットの死刑執行って? 嫌なことを言うな」
「そのために来たんだろう?」
「ハスミ病が伝染(うつ)ったな」
「だからなによ、その『ハスミ病』って」
 蓮見の声。
「静かすぎないか。虫の声も聞こえねぇ」
 蓮見の不満げな声を無視して、南波。
「季節考えろよ」
 私。
「北洋州育ちらしくない返事だ。それも気に入らない」
「なんだ、絡むなよ」
「オールステーション、とりあえず待機(ホールド)だ。あと五分」
「そんなに?」
 蓮見が鼻を鳴らす。不満げに。
「蓮見准尉。リーダーは俺だ。これは命令だ。分かったな?」
「了解、南波少尉。……でもなんで」
 南波の頭がこちらを向いた。実際、衛星が監視しているので、ごく短時間目標から視線をはずしたところで危険度はさほど上がらない。チームの誰かの目が視界に捉えていればいい。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介