トモの世界
「先天的に目が見えない人間は、『見える』世界が理解できないだろう。俺たちが嗅覚数万倍の世界が理解できないのと同じように。CIDSはエコーロケーション機能まであるが、それだって、視覚的に音を表示しているだけだからな。コウモリやイルカのエコーロケーションと俺たちのそれでは、たぶんぜんぜん脳みそでの処理方法が違うんだろう?」
「そうだろうな」
と私。
「かといって、鼻が利かなくても、エコーロケーションができなくても、俺たちは困らない。……先天的に目が見えないってのも、もしかしたら困らないんじゃないか?」
「それは分からない……そうかもしれない」
「人工眼を先天的に視覚障害がある患者に装着させても、物理的には見えているが、視覚として感知できないって話を聞いたことがある」
南波はけだるそうなしぐさで言った。
「本当に?」
寝そべったままの南波に、蓮見が訊く。
「本当かどうか、これは別に俺はその手の論文を読んだわけじゃないから、ただの伝聞さ。ただ、何となくうなずける話ではあるかな、そう思ったのさ。どうだ、姉さん?」
「たぶん、脳の処理領域の問題なんだろう。……目が見えない、ようするに、視覚からの入力がない脳は、おそらく私たちの視覚野で処理している情報を、聴覚や触覚から分散させて擬似的に処理しているんだと思う。よく言われる、脳が平素は三〇%程度しか稼働していないっていうのは、あれはまるっきり間違いらしいから。身体に不要な要素はなにひとつないってことだそうだ。活動していないように見えていても、相互に支えあい、それぞれの区画が不可欠なんだと。……なんかに似てるな」
「そんな気がするな」
「人間関係か。それとも俺たちのチームのことか。いま俺が休んでるのがうらやましいか?
目が見える見えないの話は、俺も姉さんに賛成だ。俺もそう思うな。もちろん目が見えるに越したことはないだろうが、けど、極論、俺たちに犬の鼻を付けても、たぶん役に立たないだろう。それに似てるんじゃないか」
私。
「南波、」
桐生がバックパックを降ろした。休憩ターンの交代。あと二十分で休憩時間そのものは終了。再び北へ向かう。
「なんだ、桐生」
「お前と入地准尉は、いつもこんな話をしてるのか」
「いつもじゃないが、退屈しのぎさ。……蓮見の悩み相談室の方がいいか?」
「やめてよ」
「さっきは付き合ってやったろう。お前、案外繊細だな。本当に気をつけろよ。できれば俺はお前に銃を持たせたくないな。お前の銃、弾抜いて俺によこせ」
「バカ、」
「本気で心配してるんだ。頭を撃つなよ。お前のそのかわいい顔がグチャグチャになるのは見たくないからな」
南波はすでに半身を起こしており、タクティカルベストのハーネスをしめるのとブーツをはき直すのを同時にこなしていた。桐生はすでにバックパックもベストもはずしていたから、身繕いを始めた蓮見の横で、私も重いバックパックと予備弾倉ぎっしりのチェストハーネスをはずし、気が引けたがブーツも緩めた。
これだけで、身体が一気に軽くなる。
二十分。
きっと一瞬で終わってしまうのだ。
体感的な時間。
そういう機能は、すべての動物が持っているものなのだろうか。
時間という概念を持っているのは、私たちだけなのだろうか。
次の暇つぶしで、南波に仕掛ける話題を、なんとなく私は整理してみた。
最初から嫌な雰囲気だった。
私たちが森を抜け、わずかな空間から空が覗いていたが、それは、私たちが辿った細い獣道と、別の獣道が交差するジャンクションであり、そこから空が見えたのだ。
曇っていた。
CIDSを起動させているから、時間の割に空も森も明るい。むしろ濃淡がはっきりしない、コントラストの非常に弱い視界。けれどものの輪郭はやたらとくっきりしている。それは光学補正がかかっているからだ。極端な話、月の明りでもあれば昼間と同じ。星座が見えれば行動に支障はなく、しかしこちらの思惑としては、月の光も星の光も一切合切不要で、今のように曇り空、しかもぶ厚い曇り空で、雨など降ってくれると最高だ。雨が私たちの体温をすべてごまかしてくれる。敵も私たちのCIDSと同じような、野生の勘を機械的に再現して詰め込んだ装置を装備している。体温は恒温動物が生きている証であり、人間の体温は範囲がひどく狭く、その幅約二度前後。もし私たちが赤外線をほとんど放出しないこの特別あつらえのスーツを脱いだラフな格好でうろつけば、みんな似たような体温で似たような行動様式のサーマルデータが表示されることになる。いくら姿を隠したところで無意味だ。人の形をしたサーマルデータは、見る人間が見ればここに特殊訓練を積んだ兵士がいることにすぐ気がつく。もっとも、航空機や戦闘車両がレーダー反射に気を使った設計で、およそ従来の感覚からかけ離れた気色の悪い形に進化し、光学的電子的にあらゆる欺瞞対策を施したところで、それは盾と矛の関係であり、高性能なアルゴリズムを奢ったレーダーと解析装置があれば、小鳥サイズのレーダー反射面積(RCS)を誇る戦闘機とはいえ見破られてしまう。小鳥と戦闘機では実寸が違いすぎる。レーダー反射のベクトルや反射幅、そういったものを高性能で多大な犠牲の上に構築したシステムにかけると、あら不思議、真の姿が見えて(・・・)しまうのだ。
「嫌な雰囲気だな」
「何か見えるか」
私は彼に続いて二番手。
「保養所の入口ってところだろうな。小さい建物……小屋が見える」
「小屋だけか」
南波は前方を警戒。私は彼から一〇メートルほど方向で左右方向、どちらかというと左側を警戒し、その後やはり一〇メートルほどの距離に蓮見がいる。彼女も左右方向、どちらかというと右側を警戒している。桐生が最後尾で、後方を警戒する。全員のCIDSはスーパーサーチモードに設定してある。偵察衛星、早期警戒管制機からの情報を参照し、たとえば表面温度三五度前後の物体が接近した場合や、一〇〇度オーバーの吐息をまき散らしながら接近する物体が見つかれば、即座に警告してくれるはずだ。が、今は全員のCIDSが沈黙している。脅威判定はレベル一。作戦中の警戒レベルとしては最低だ。
「嫌な雰囲気だ」