トモの世界
私の隣で蓮見が言う。やはり耳に直接届く。ようするに私たちチームDの会話は、ヘリコプターのクルーには伝わらないのだ。しゃべっているのに伝わらない。秘密の会話。中等科の生徒だった頃にこの機材があれば、ずいぶん楽しい授業ができただろう。私や級友たちは、細かくちぎったノートブックの切れ端に細かな字を書き込んで、それを机から机に伝達させていた。あのころの教室には、そうした情報のやり取りのインフラができあがっていたわけだ。信書の秘密などは保持されるはずもない、やりとり。もっとも、お互いそれを理解してやっていた。読まれてもいいこと。読まれる前提で書いた。
私たちのCIDSに声に出さなくとも声になる機能が装備されているのは、必要とされるからだ。声は当然音であり、動物のうなり声や囁きと決定的に違うことは、まったく言語が異なる民族同士でも、私たちの会話が、意味は通らずとも「会話だ」と認識できてしまう。
私たちがあけっぴろげに発声し、会話し始めたら、それはあからさまに戦闘が始まったことを意味する。それは作戦終盤に差しかかった場合だけだ。多くの場合、目標に接近する段階で私たちは音声を発することができない。相手に気づかれるからだ。
「今から飛び降りてもいいぞ」
南波が言う。
高度、一〇メートル。この程度の高さなら、上手く降りればけがもしないかもしれない。しかし一〇〇%ではない。
「冗談、」
蓮見が言う。笑っている。微かなニュアンスも増幅・補正される。敵が実用化した<THINK>は本当に必要なのか。そう思う。発声しないメリットは何か。考えてもあまり浮かばない。南波に訊いたら、どうせろくでもない答えが返ってくるに違いない。
草の池だ。ヘリはダウンウォッシュをまき散らしながら、針葉樹の森の中にぽっかり開いた草の原……私は一瞬ここが湿地なのではないかと訝ったが……に着陸した。ヘリコプターのスキッドが草に沈む。南波が車から降りるような動作でヘリを出る。桐生、私、蓮見の順で続く。
「レラ、ありがとう」
南波が振り返り、きっちり発声して言う。無線通話。ヘリコプターのクルーと同じインターコムの周波数を使う。もっとも、あちらは機内に限っては有線通話だが。
「チームD、武運長久を」
機長がコクピットからこちらを向いている。ガナーが手を振っていた。
「武運長久を」
南波が返す。
上空の八二式戦闘ヘリコプターはほとんどローター音が聞こえない。それでも黒い影が横切るから、確かに彼らは存在しているのだろう。そして彼らは七七式改ヘリの護衛であり、私たちチームDの護衛ではない。ここから先は、お互いがお互いを、あるいは自分自身を護っていく。あらゆる脅威からだ。保持した4726自動小銃にしっかりとした重みを感じる。この銃は、自分自身を護る武器でもあるが、その前に目標を殲滅するための道具だ。今回の任務(ミッション)はあからさまに目標がソフトターゲット……人間だった。
「やっぱり、」
蓮見が言う。耳に直接届く。
「気が乗らないな」
蓮見は4726を水平に構え、光学照準器(スコープ)を覗いた姿勢で警戒。ダウンウォッシュが私たちに吹きつける。高度を急激に上げていくヘリコプターの腹が見える。地上に脅威が現出した場合、対処するのは私たちの役目だ。ただ、私たち四人に与えられている武器は、4726自動小銃とメルクア・ポラリスMG-7A拳銃、そして頭脳と肉体だけ。分隊支援火器(SAW)の類がないのが心細いといえば心細い。彼ら(ヘリコプター)が去るまでは警戒を続ける。ある程度の高度に達すれば、脅威の判定と排除は、あの頼もしい八二式戦闘ヘリが受け持つ。
「気が乗る任務(ミッション)がこの世に存在するか。面白いかどうかは別としてな。行くぞ」
南波が先頭。草は柔らかく、腰までの背丈があっても歩きやすかった。雪解けの水がこのあたりにはたまりやすいのだろう。それを目当てにした種類だ。もっと気温が上がり、地面が乾燥してくると、また別の種類の植物が背丈を伸ばすのだ。私が上空からここを見て湿地のようだと思ったが、靴の裏の感触はやはり柔らかく、あながちはずれてもいない感想だったようだ。
チームDは四人。私たちの最小行動単位は二名だから、ほぼ最小に近いユニットだ。この人数を投入するなら、八九式支援戦闘機を呼び込んで、目標を殲滅してしまった方が早いように感じるが、上層部はそう判断しかなった。生身の部隊を送り込み、兵士の持つ銃で、目標に弾丸を撃ち込む、その過程を重視したようだ。その行動そのものが敵に与える影響。爆弾で殺されるのと、間近に敵の姿が見え、その敵に射殺される恐怖感……それらをセットにしてひとつの攻撃と見なすのだ。万一作戦が失敗したとしても、失われる味方の兵力は一チーム四人だけ。……失われるスキルや経験値を無視するなら、確かに戦闘機一機よりはるかに安い。そして、いくらおりこうさまでかわいそうなGBU-8自己鍛造誘導爆弾でも、目標の姿形……表情まで判別して落下するわけではない。GBU-8は建造物などの施設や車両破壊を目的にした兵器で、たまたま建物の中にいた人間や、運悪く車両に乗っていた人間を「巻き添えにして」殺してしまうことはあっても……それが普通だとは思うが……人間だけを選別して殺すような機能にはなっていない。だいたい炸薬の量からして、人間一人だけを選別して殺害するようにはできていない。航空機が得意とする攻撃方法は、町ひとつを消し去るだとか、鉄橋を基礎ごと吹き飛ばすとか、発電所を更地にするとか、そうしたダイナミックでわかりやすいものなのだ。私たち人間が得意とする攻撃手段は非常に分かりにくく、せせこましい。
「目的地までは、」
「このスピードなら、三時間、てとこだな」
時速六キロ。結構な早足だ。走るわけにはいかない。走ってもいいが、消費したエネルギーの摂取が面倒になる。走るという動作は想像以上にエネルギーを消費する。走れば時速は八キロから一〇キロまで向上させられるが、途端に私たちの燃費が悪化する。たった時速二キロの違いだが、歩行速度時速六キロは堅持だ。
「こんな森の中を行くんだよね」
「蓮見、分かってることをいちいちしゃべらなくてもいい」
南波が前を向いたまま言う。
「行程は確認したろ」
「蓮見はわかってて言うのさ」
桐生。補正された声も低い。
「退屈なんだろう」
私が言ってみる。
「退屈なんかしないよ」
蓮見は平淡に答えた。
「誰がこんな作戦考えたんだ。パイロットの休息施設を襲うなんて」
蓮見。彼女の口数の多さは、おそらく年齢から来るのだろう。彼女はチームD最年少だ。良くも悪くも老成されていない。気になったことは口に出さなければ気が済まない。そういうタイプだ。
「上」
南波が答える。南波はいつでも、答えてくれる。私が相手でも、蓮見が相手でも。
「どうして考えたんだ」
「膠着した戦線を押し上げるため」
「押し上げてどうするんだ」
「戦争に勝つのさ」
「勝ってどうするんだ」
「戦争が終わる」
「どうせ次のが始まるんだ」
「次のが始まったら、また俺たちの出番だ」
どうでもいい問答だった。問答にすらなっていない。