トモの世界
随伴する八二式戦闘ヘリコプターは陸軍自慢の戦闘能力を誇る機体だ。黒に近いダークグリーンで染め抜かれた迷彩は、時間・場所・季節に従って、表面の迷彩色が自動変化する。今は針葉樹の森の色に近い。あるいは影か。液晶パネルの技術を転用したものだと聞いているが、装甲機能とどう両立しているのかは、私たちも知らない。高度な軍事機密だ。戦闘機の見た目が猛禽などの鳥類なら、戦闘ヘリは昆虫だ。しかも、オオスズメバチに代表される森の戦士たち。私は祖父に、クマよりもハチの怖さを教えられた。スズメバチは恐ろしい存在だ。飛行能力は高く、しかも速い。単体でも十分な脅威だが、彼らはフライト単位どころか大編隊を組んで襲ってくる。クマは厚い毛皮で何とかその猛攻をかわすらしいが、私たち人間はひとたまりもない。毎年、ハチに刺されて命を落とす人間が後を絶たない。八二式戦闘ヘリはまさにそうしたスズメバチのような印象があった。機首下面ターレットには、三〇ミリチェーンガン。これはハチの一刺しどころではない。劣化ウラン弾を秒間十発ずつ目標に叩き込むその威力は、装甲車を文字通りハチの巣にする。機体両舷のスタブウィングには空対地ミサイルを合計八発と任意で対空、あるいは対地兵装をさらに二セット装備できた。
「なに見てるんだ」
蓮見が私をつついてくる。
「頼もしい護衛」
私はCIDSを下ろしたまま言う。おそらく、機内天井を見上げながらのつぶやきなので、裸眼の彼女は不思議に思ったのだろう。
蓮見は膝の上に4726自動小銃を載せて、戦闘糧食から抜いたらしい高カロリーのスナックバーをかじっていた。二本食べたらそれで通常の食事一回分に相当する食べ物だ。けっして旨くない。それを蓮見は無表情でかじっている。横顔はまだ少女の面影があった。私は、彼女は<PG>だと思っている。彼女自身は否定しているし、南波も違うと話していたが、彼女が漂わせる雰囲気は、あの戦闘爆撃機のパイロット、伊来中尉とよく似ている。そう、Priority Genetic screening children特有の匂いだ。
もともと純粋培養とも呼ばれる「第二世代選別的優先遺伝子保持者」は、軍が始めたわけでも、政府の優生政策が発端というわけでもない。一種の自然淘汰なのだと私は理解している。自然に生きる生き物はみな、より「優秀」な遺伝子を後世に残そうとする。それは強いわけではなく、有名な生物学者が唱えたように、「変化に強い」遺伝子が生き残るのだ。<PG>の子どもたちは、生まれながらにして、この生き残りにくい世界への順応性を備えている。多様性よりもシンプルさ。不要な機能一切をはぎ取り、身軽な身体能力と精神性を備えた子どもたち。一種の遺伝子操作なのだ。富裕層を中心として遺伝子のブランド化が秘かに高まっているが、それに近い。遺伝子的に「戦場ストレスに強く、適応力に長け、人並みはずれた集中力を持つ」という特性。後天的な訓練をしても限界があるそうした能力を、<PG>の子どもたちは生来のものとして備えるのだ。自覚症状もなく。
私は蓮見に夢の話をしてみたいと何度か考えたことがあった。けれどしなかった。彼女が<PG>系だろうが原生種だろうが、チームメイトとしての不足は何もないのだ。個人的興味から彼女にいらぬ質問をする必要はなかった。
「なに、姉さん」
蓮見が私を見とがめる。
「旨いか、それ」
「姉さんも持ってるじゃないか。食べればいいんだ」
「味がくどいんだ。あまり好きじゃない」
「私は好きなんだ。……ほら」
ひとかけらちぎって私に差し出す。薄茶色の瞳。丸みを帯びた頬。二重。少女そのものの顔だった。
「いいから、自分で食べな」
私はCIDSを下ろしたままだ。サブ窓にはまだズーム中の八二式戦闘ヘリが映っている。電子制御で微動だにしない飛行姿勢。作戦本部とはデータリンクで繋がっている。データリンクは私たちの上空一万メートルを飛行中の早期警戒管制機のレーダー情報を元にしていて、早期警戒管制機は、戦域を交代で二四時間哨戒飛行中の戦闘機の交通整理も行っているはずだ。
「あと、四八時間だな」
向かいの席から桐生が言う。腕組みをして、じっとこちらを見据える。CIDSはアップした状態。猛禽のような目をした男だ。階級は私や蓮見と同じ准尉だが、軍歴は南波より長い。年齢もいちばん上だ。私より六歳年上。なので南波より八歳年長。桐生は唯一の三十代だ。
「正確には、四八時間と五六分」
南波が足を組んだ姿勢で言う。4726自動小銃のグリップに右手を添えている。こいつはいつでも戦闘態勢だ。スイッチが入ると、なかなか切れない。だから頼りになる。私の相棒(バディ)。
「気乗りしない」
蓮見がスナックバーの最後のひとかけらを口に入れて言う。拗ねたような口調。
「いつだってそうだ」
桐生。
「どうせ最後はお祭騒ぎさ」
「それは願い下げだな」
私が桐生に言う。お祭騒ぎとは、縫高町戦がそうであったように、収拾がつかなくなった戦域をまるごと消し去るという近接航空支援をさしているのだ。確かに私たちの作戦の大部分はそうした幕切れが多い。
「『癇癪娘』の声なんて聞きたくない」
蓮見。戦闘服のジッパーを顎の直下まで上げて、ヘッドセットの装着具合を確かめている。
「聞いたか、」
南波。
「なにを」
桐生。
「空軍が大陸で核攻撃をしたって話だ」
「本当か」
「ああ。酒保で第一中隊連中から聞いた。もっともこれは測候所が観測した地震波の解析らしいが」
「更地を作っちまったか」
「鉱山都市まるまるひとつを消し飛ばしたってわけだ」
「鉱山都市か。……発掘に行くとでも?」
「さあな」
二人の会話は有線をオフにして話されている。帝国軍が敵の工業中枢を狙って戦略爆撃を行っているらしいとは聞いていた。堅牢な岩盤と切立った渓谷に守られた鉱山都市の攻略に難儀しているらしいという噂も。そうか、核攻撃という手段に出たのか。
「報復は?」
「事前通告をしているらしいからな。……鉱山技術者とその家族含めて四万人は確保したらしいぞ。捕虜として」
「捕虜? 移民だろう。ご丁寧に」
「だから報復があるとすれば、」
南波は言葉を止めて私を見た。
「北方戦域だと?」
私が訊く。
「メタンハイドレートの採掘基地をぶっ飛ばしてるしな。俺たちは」
正確には、私たち、ではなく、友軍が。伊来中尉が参加した作戦の一環だ。
「だだっ子みたいなもんだ」
桐生が隔壁に深く背を預けて言う。
「奪還できなければ破壊せよ」
南波が続ける。
「わかりやすくて結構だ」
蓮見。
「わかりやすいか?」
南波が聞き返す。
「わかりにくいか?」
「今回の作戦がわかりやすいか?」
「少尉、わかりやすいと思うよ」
蓮見の口調は、ことさらゆっくりと発音した。南波に言い聞かせるように。
「敵戦力の無力化」
南波が4726自動小銃を肩に立てかけた。
「確かにそれだけ言うならわかりやすい。けれど、いい気分はしない。だいたい、核攻撃なんぞで方がつくなら、俺たちの出番がない。それは俺たちの存在意義が疑われてるってことだ。はなはだ不愉快極まりない話だと思わないか、姉さん」