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トモの世界

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 おそらく祖父は私が見つけるのを待っていたのだと思うが、しびれを切らして私の肩を軽く叩き、そして示した。あまり身体の大きくない鹿が、向こう五十メートルほどの斜面にいた。こちらには気づいていない様子だった。
「やるか」
「うん」
 まだ遠い。祖父はそう感じただろうが、私はいまが好機だと思っていた。
 左膝を立て、そこに左肘を載せ、銃を保持する。銃床を右肩胛骨のあたりに当て、右手の人差し指はまだ用心金の外だ。照星と照門を合わせる。呼吸を落とす。口をそっと開けた。息を吐きながらの方が、不思議と命中率が高かったからだ。
 鹿はまったくこちらに気づいていない。
 右手。
 引き金に人差し指を当てる。
 引き金とはいっても、指で引くわけではないのだ。撃鉄を落とすための動作。そう思って、指を動かす。狙う私は、両目を開いたまま。片目を閉じてはいけないと教わった。
 発砲。
 七.六二ミリは反動が大きい。わずかな時間で速射するのは、ボルトアクションの性質からも無理だ。だから一撃必中が要求される。
 反響。銃声は思った以上に拡散するのだ。
 硝煙。当たった。
 斜面に鹿が倒れていた。私は吐き続けていた息を最後まで吐き出し、そして吸う。秋の日の冷たい空気が肺に染み渡る。立ち上がり、歩もうとしたとき。
「あ」
 動かなくなった目標。その傍らに、駆け寄る何かの姿があった。
 子どもだ。子鹿。息絶えようとしている……おそらく母親に駆け寄り、懸命に顔を寄せている。初めてだった。親を撃った。五〇メートルもない先の斜面で、子は親に呼びかけていた。仕草で分かった。言葉がなくても。言語がなくても。
 私は目を背けず、その様子を見た。
 そして。私は身体を落とした。
 片膝を立てる。左肘を乗せる。ボルトを引き、排莢。次弾装填。構える。私は子鹿に狙いを付けた。人差し指を、引き金に……。
「よせ、やめろ」
 祖父の声だった。初めて聞く声音だった。
「なぜ」
 私は構えたまま言う。
「殺す必要はない」
「どうして」
「お前こそ、なぜ撃つ必要がある。一頭で十分だ。……子どもは逃がせ」
「かわいそうだ。……皆殺しにする」
 私はそう言ってしまった。
「馬鹿なことを……」
「お祖父ちゃん」
「やめろ。無用な殺生はするな」
「あの子、生きていても仕方ない。親を殺されて、悲しそうじゃないか」
「ならば殺していいのか」
「その方が、あの子のためだ」
 私の視界で、まだ子鹿は母親の横にいた。
 はたして鹿の知性が、親子の情を解するのかどうか、それは分からない。ただの本能的動作なのかもしれない。が、子鹿は顔を母親に寄せ、何度も足踏みをし、周りを歩いた。
「今なら、」
「やめろ」
 祖父は言うが早いか銃を構え、親子から離れた斜面へ向けて発砲した。
 反響。銃声に驚いた子鹿は、一瞬私たちに顔を向けると、跳ねるようにして母親の元を離れた。
 銃声。祖父が第二弾を発砲した。子鹿わずかな躊躇いはそれで霧散した。子鹿は一目散に母の元から駆けだした。
「お祖父ちゃん」
 私は構えをといた。
「それは、間違いだ」
 漂う硝煙の匂い。祖父が私を見下ろしていた。叱られると思った。
「それは、優しさではない」
「でも」
「それは、違うよ」
 低い声だったが、刺々しくはなく、私を非難する口調でもなかった。
「殺す必要はない」
 ユーリも私を見ていた。私は、じっと祖父を見上げた。答えが分からなかった。今でもそうだ。あのときの私が間違っていて、祖父が正しかったのか。それとも逆か。
 私があの子鹿だったなら。そう思った。私があの子鹿だったなら、いっそ射殺された方が幸せだったに違いない。
 それから、しかし祖父は私を避けるそぶりもなく、あらためて諭すようなこともなく、冬になる前に三人でまた二度ほど山に入った。別の親子が私たちの目の前に現れることもなく、あのときの子鹿に出会うこともなかった。
 私は間違っているのだろうか。
 ボルトアクションの古びたライフルから、衛星との通信機能まで奢られた自動小銃に持ち替えてもなお、私の疑問は晴れないのだった。



   九、


 ターボシャフトエンジンは三基。もともとは戦術輸送を担う目的で開発された七七式改汎用ヘリコプター。汎用型の七七式をベースに、エンジンを追加、さらに、機体には装甲を加えた。七.六二ミリはおろか、一二.七ミリを被弾しても即墜落には至らないという豪華仕様のヘリコプター。その分重い。だから強力なエンジンがいる。エンジンが三基になったのは、そうした要求の結果だろう。とうぜん機体価格も張るから、一般部隊でこのヘリコプターを見かける機会はほとんどない。
 私たちチームDが乗り込んだのは、コールサイン「レラ〇二」。こちらの先住民の言葉で「風」という意味。私たちの乗機よりやや高度を取って、おなじみ八二式戦闘ヘリコプター二機が護衛(エスコート)についている。レラ〇二を前後から挟み込むようにして。密集しては飛ばない。二〇〇メートルほどの間隔を取っている。
 夜明け。しかし空は曇っている。典型的なこの地の初夏の天候で、地表近くには霧が巻いている。視程はかなり悪い。が、電子の目や衛星の誘導や、人間には本来備わっているはずのない動物的勘(・・・・)を満載した私たちには、霧などあってもなくても関係なかった。少なくとも飛んでいる間は。パイロットはCIDSを通じて、真昼のような視界を得ているだろうし、そもそもバイザーに表示されるステアリングキューに従えば、安全に飛行できるし、旅客機並みのオートパイロットまで付いているのだ。人間は微調整役であり、緊急時に複雑な判断を瞬時に行う有機的センサーとしての側面が大きい。いくらコンピューターが進歩し複雑なアルゴリズムとアーキテクチャを組み合わせても、動物……人間も動物だ……が持ち合わせている精緻な「勘」までは再現できないからだ。人間はときに見ているものを認識せず「見落とす」が、逆を言えば、コンピューターにはそうした芸当ができない。瞬間的かつ多様な判断を迫られても、コンピューターはそれなりの反応にとどまるのだ。
 私はCIDSの拡張機能を展開させて、バイザー裏に表示される視界から、ヘリコプター本体をすべて透過させた。衛星や早期警戒管制機(AWACS)とのリンク機能がフルに生きているとこういう気色の悪い芸当ができる。まるでゲームだ。ワイヤーフレームだけになったヘリコプターを透かして、流れる空気や雲や霧、針葉樹の森と、前方を行く八二式戦闘ヘリコプターが見える。ズームしろ、と考えると、視線入力で戦闘ヘリをTDボックスが囲み、サブ窓でズーム映像が見られる。メイン窓でズームしないのは、それがすなわち視界を妨害することと等しいからだ。考えるだけで通話ができる同盟軍の<THINK>には及ばないが、CIDSは装備者の脳波を検知し、簡単な操作だけなら考えるだけで出来る。視線入力の補助役に過ぎないが、慣れればかなり楽に操作できた。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介