小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

トモの世界

INDEX|32ページ/126ページ|

次のページ前のページ
 

 祖父に直接訊いたことはないが、祖母は言っていた。私たちの家系は、かつての武家政権時に疎外され、幕藩から離脱せざるを得なかった武士の血筋なのだと。本当なのかは分からない。北洋州に入植した民は、そもそもそうした家系がほとんどだ。たいがいがそれぞれの地元にはいられなくなった落ちぶれ武士の類。それに私の家が武家だったのは二〇〇年以上も前のことだ。私は今の自分に興味があるだけで、過去の家系に興味がなかったからだ。けれども、銃を手にした祖父の姿や、ナイフで鹿にとどめを刺すときの眼差しに、その面影を感じていた。
 私には長姉のような商才も、次姉のような人望を集める術もなかったが、やはり、というべきか、射撃に対する抵抗感はまったくなかった。ただ、上達したかと言われれば、私は今でも射撃は苦手だ。私が姉妹の中では異端だったように、祖父も猟師の血を引いているわけではなく異端だった。私の中には狙撃兵の血もなく、猟師の技量もなかったと思う。それでも祖父は私に銃を教えてくれた。三〇〇メートル先の標的は小指の爪よりも小さかったが、射撃を続けるうちに当てることはできるようになった。引き金を引く。反動と銃声が暴力的に射手を襲い、遅れて標的に弾丸が命中する金属音。標的は命中が音でわかるように鉄でできていた。
「射撃の腕の上手い下手は、どうでもいいのさ。お前は、殺すってことを分かってる」
 祖父とユーリと三人で実際に山に入り、獲物を探して歩き始めた頃、祖父が私に言った。
「でも、ぜんぜん上手くならないよ」
「的には当たるじゃないか。錬成すればいい。針の先を狙う必要はない。お前は、自分が銃を撃てば、それがきちんと獲物に当たるのだとわかるようになればいい。それが自信だ。当たるかどうかもわからないままの技術程度で銃を持つ方がよっぽど危険だからな」
 そう言う祖父と森を歩いた。森の中は静かで独特の匂いがする。射撃場での標的なら、三〇〇メートル先に確かに存在する。見れば分かる。けれども、森の中の「標的」は、どこにあるのかが分からない。なにが標的なのかを見極める技術が要求された。
「そっちの技術の方が難しい」
 祖父は中腰になり、笹藪に半身を沈め、じっと森の中に目を凝らす。風上から歩くな。そんなことを言いながら。
 祖父は銃に光学照準器(スコープ)を取り付けずに森へ入ることが多かった。最初は私の銃にもついていなかった。簡素なアイアンサイトだけ。しかしそれで祖父は三〇〇メートル先の鹿を仕留めた。頭を狙わないのは、即死させず、心臓を動かし続け、全身の血を抜くためだった。そしてナイフでとどめを刺す。
「お前、やるか」
 祖父はギラギラと生々しく光る解体用のナイフを私に渡した。祖父自身が砥石をかけて、生き物の肌のような艶めかしさを持つナイフだった。私は十六歳になっていた。
 私は射撃を始めてまだ一度も獲物に弾を当てたことがなかった。森の中で発砲もできなかった。私には獲物がどこにいるのか分からなかったからだ。第一撃を放ち、獲物を仕留めるのはいつも祖父の役目だった。
「私が、」
「できるか」
 つぶらな目。
 鹿は息も絶え絶え、私たちを見上げていた。今失われようとしている命が目の前にあった。
 祈る必要はない。
 かみさまを孤独にしてはいけない。
 口に出さなくても、心が伝わるように。
 もしかすると、祖父はこの地の先住民(イルワク)たちとも交流があったのかもしれない。あるいは祖父に猟を教えたのは彼らではなかったか。祖父は帝が祈るような物語に彩られた神を知らなかった。知っているのは木々や川や動物たちに宿る、たくさんの「かみさま」だけだった。
 私はナイフを持ち、祖父に示された急所に刃を突き立てた。
 悲しくはなかった。
 怒りでもなく、もちろん恍惚であるはずもなく、私の心は不思議とフラットだった。
 躊躇いもなく、私は鹿の急所にナイフを突いた。
 あっけなく。
 あまりにもあっけなく、鹿は目を閉じた。
 息も絶えた。
 体温は残っていたが、森の中で、私がひとつの命を奪った。
 その後、鹿を森から運び出し、祖父とユーリが鹿を解体した。真冬は湯気が上がるのだという。あたりは血の臭いでいっぱいになる。森の中で解体すると、いらぬ動物たちを呼び寄せてしまう。命を奪ったことをあけっぴろげに知らしめる必要はない。祖父とユーリはひっそりと鹿を解体した。私も手伝った。両手が血で染まった。
 私が猟に同行することを、はたして父や母や長姉が賛成していたかというと、そんなはずはなかった。遠回しに、私ではなく祖父を責めていたと思う。私が自分の銃で獲物を仕留めるようになった頃、そんな雰囲気を感じた。
 私は祖父を擁護した。私が望んで森に行くのだと。母が悲しそうな顔をしていた。父が首を振っていた。長姉が眉を顰めていた。
「いい、俺が始めたことだ」
 祖父は低く言うだけで、言い訳もなにもしなかった。私は十七歳になっていた。
 私は祖父が好きだった。父よりも好きだった。父は嫌いではなかったし、その商才を尊敬もしていた。言葉の使い方が上手く、言葉を使って商売をしていた。祖父は言葉を操るのが上手くない。多くの言葉を駆使して自分を表現しようともしない。まるで引き金で主張しているようだ。でも数少ない祖父の言葉一つ一つを、私は取り逃さないようにしっかりと掴まえた。
 そんな祖父だったが、たった一度、私は祖父と意見が対立したことがあった。
 それが祖父の優しさだったのかどうか、今でも私には答えが見つからない。
 十八歳になった頃だ。私は高等課程の三年生で、すでに進学先を都野崎の帝国大学に絞り込んでいた。名実共に、この地を離れる決心をしたあとだ。都野崎へライフルは持っていけないから、私は猟からも離れる決意をしていた。
 秋の日だった。祖父とユーリ、私で森に入った。
 見事な紅葉だった。
 済んだ青空と、不純物が何もない空気はずっと遠くまで見渡せた。山の頂は真っ白に雪化粧。ユーリの瞳が空の蒼さを写しているように見えた。丘陵と森と。本当にきれいだと思った。
 私はM七〇〇ボルトアクションライフル、祖父は村中式。ユーリはいつもライフルは持たないが、マグナム弾を装填した長銃身のリボルバーを腰から提げていた。クマ対策だ。冬に備えたクマはいま、目の色を変えて食べ物を集めているに違いない。ふだんからユーリはリボルバーを持っていたが、秋になると右手は常に銃に触れていた。
 その日も鹿を追っていた。
 祖父が弾薬の消費も少なく、猟の成功率が高いのは、遠距離射撃をしないからだと気付いた。わずか三年では私には身につくはずもない技術だ。敵をアウトレンジするのは容易いが、仕留めるのは難しく、リスクも高い。目標に接近して撃てば、弾の威力も高いまま、そして命中精度も上がる。祖父は風下から上手に獲物に接近し、そして仕留めるのだ。
 ユーリは勢子役を引き受けていた。私が先頭で、祖父が続く。森の中には木イチゴの類がたくさん実っていて、時々つまんで食べたりした。おいしかった。
「いた、」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介