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トモの世界

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 彼女たちの中にあって、私だけが異端だった。私は外で遊ぶのが何よりも好きだった。本を読んだり、絵を描いたりすることももちろん好きだったが、私は祖父に連れられ、山野を巡るのが楽しかったのだ。祖父も私の性向を見抜いていたのだと思う。初等科に入学し、高学年になると、自らの猟に私を同行させるようになった。
 祖父はライフルの名手であり、銃の扱いに長け、それ以上に自然に対する畏怖を知っていた。一人で山に入るようなことはほとんどなかった。彼はいつも、同年輩の男を連れていた。祖父はその男をユーリと呼んでいた。青い眼、枯れ草のような髪、祖父より頭半分ほど高い背。そして彼の話す言葉を私は理解できなかった。けれど言葉が通じなくても、ユーリの私に向ける眼差しは優しく、私の手を握る彼の体温は暖かかった。彼は北洋州のさらに北……彼らが今「祖国戦争」と呼ぶ北方戦役で私たちが銃口を向ける、彼の国の出身だった。
「昔は、一緒に山に入り、飯を食ったもんだ」
 大洋戦争でも彼らと銃口を交えたはずだが、祖父はユーリにも優しかった。
 祖父は木訥で、友人は少なかったように思う。社交的で明るく、開けっぴろげな優しさがわかりやすい祖母とは対照的で、自宅での祖父は、暖房用の薪を、武士のように黙々と割続け、食事のときも、私たち三姉妹の賑やかなおしゃべりに文句も言わずにそれを聞いていた。祖父もまた、私たちの家では、服飾販売を広く手がける実業家の父……祖父の息子だ……や、華やかで女学生の印象すら未だ漂う母、そして私たちの間にあり、確実に異端だった。疎まれていたわけでもなかったが、長姉も次姉も積極的に祖父に関わろうとはしなかった。
「お祖父様が持ってきてくれるお肉は好きよ」
 次姉はそういって笑っていた。食卓に並んだ肉料理を頬張りながら。長姉も次姉も、その肉が料理される前、血を抜かれ、解体される前……山野を駆け回っていた頃の姿を知らない。おそらく知ろうともしなかっただろう。私はだが、料理が食卓にならぶ一週間ほど前、祖父の引き金に斃れた獲物が、どんな目をして私たちを見上げていたか、それを知っていた。生きるものの命を奪い、それを私たちが戴く、その過程を私は祖父に教えられた。
 なるべく一撃で倒すこと。
 手負いの獣が手強いこと。
 あくまでも銃を持って初めて、私たちが獣たちと対等に渡り合えるのだということ。
 それですらわずかな均衡の崩壊は、容易に私たちの命を奪うのだということ。
 銃弾を撃ち込み、鉈のように大振りのナイフでとどめを刺す祖父の横顔は、いつでも謙虚だった。十二歳の私にも分かった。テーラーで買い求めた上物の背広を着て高級な外国製の自動車に乗り、それでも客を「お客様」と呼んで商売をする父を私は好きだったが、父は謙虚ではなかった。傲慢でも不遜でもなかったが、目で見てわかるほどに自信を身体にまとっていた。祖父が仕留めた獣の肉を食べる父の横顔はただの笑顔で、自然への畏怖はどこにもなかった。
 私があの実家に次第に違和感を覚えるようになったのは、だから祖父の影響が非常に大きい。父も母も長姉も、私が柚辺尾の州立大学に進学するものだと信じていた。成績は悪くなかったからだ。北洋州……さらに北部自治域全体で北洋州州立大学は地域的エリートが量産される学校だった。だから高等課程をあと半年で終えるという秋、私がはるか南、都野崎の帝国大学を受験すると言い出したときは、まったく不思議な顔をしたものだった。
 私は柚辺尾の街を離れたかったのだ。拒絶とは違う。距離を置きたかった。
 吐く息が即座に凍りつき、ダイアモンドダストとして散っていくこの地の冬からも、短い盛夏を惜しむように催される夏至祭からも、緑柱石のような色で満々と流れていく対雁の川からも、何もかもから離れたかったのだ。
 祖父からも。
 私が初めて祖父から銃を渡されたのは、十五歳の時だった。猟場ではない。そこへ向かう途中の射撃場だった。
 その日、祖父は厳重に鍵をかけてあるガンロッカーから、一挺のライフルを取り出し、合計二挺を肩から提げて、車に乗った。
「触りたくなかったら、それでいい」
 射撃場はユーリと祖父、そして私の三人しかいなかった。対雁川を渡る長い長い橋を越え、空軍のレーダーサイトを間近に見上げる山間部の場所。祖父から渡されたライフルは、海外ではベストセラーだというボルトアクション式の七.六二ミリ口径。祖父がいつも携えているのは、国産のライフルだ。村中四七式。無骨な印象だった。
「お前はいつも俺についてきてくれた。お前は銃を知るべきだ。俺はそう思う」
 祖父の銀髪が春風に……あれは新緑の季節だった……なびいていた。静かな目だった。命を奪う者の目。それは本当に静かな色をたたえているものなのだ。
 私は、何もいわず、祖父からライフルを受け取った。
 思えば、このときが私の現在を決定づけたのだ。
 柚辺尾の街を出ること。
 北部自治域を離れること。
 言葉について学ぼうと思ったこと。
 そして、軍隊に入ろうと思ったこと。
 私は運命論を否定する。けれど、転機は必ず存在する。将棋のように。はるか以前の一手が大局を決するように、あのときの転轍機を越えた瞬間、進む道はあるべき方向へ分岐する。そうした運命なら、私はあると思う。
 祖父が私にライフルを手渡したとき、ボルトはホールドオープンになっていた。まず、薬室に弾薬が入っていないかどうか、それを確かめろ。銃には必ず弾が入っているものだと理解しろ。便利な道具だが、使い方次第でどうにでもなる。銃口は破壊したいものだけに向けろ。
 両手で抱えたライフルは重かった。重量だけなら、三〇口径仕様でCIDSに四倍率光学照準器、フラッシュライトにレーザーポインタを装備したヘッツァー4726の方とたいして変わらない。そして銃本体が重いことは、必ずしもデメリット一辺倒にはならない。第一に強烈な反動を受け止めてくれる。しかし、祖父が私に託した銃の重さは、おそらく精神的なものだ。私はその時点で、銃が生ける命を奪う道具だとはっきり自覚していたからだ。祖父は猟師であり、かつての狙撃兵であり、連装式の散弾銃で標的射撃をスポーツとして楽しむ父やその仲間たちとはまったく違った。祖父は錬成を除いて標的射撃などまったくやらなかった。そして消費する弾薬も、標的射撃を楽しむ父よりもはるかに少なかった。私はそんな祖父の姿勢を、なぜか刀の柄に手を当てていながら決して抜かず、じっと時機をうかがう武士……侍の姿に重ね合わせていた。相手に刀を抜かせないための修練。ただし、自らが刀を抜いたときは、眼前の敵を一撃で倒す、古来からの武士の姿。帝国陸軍将校の多くに今も息づく武士の姿だ。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介