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トモの世界

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 日が暮れていく。縫(ぬい)高町(たかまち)鉄道橋は国鉄木(き)須加(すか)線では最長の鉄橋で、巨大なカンチレバートラス構造となっている。標準軌、複線の線路がまっすぐ続き、しかし走る列車は途絶えたままだ。ここから南へ十五ロほどの湿原地帯で、D63蒸気機関車二両に牽引された二〇両編成のコンテナ貨物列車が敵の戦車部隊に襲われた。空挺降下する際に私も南波もそれを見ている。暗闇だったが、そのときはCIDSが有効だったから、真っ昼間みたいになんでも見えた。
「近接航空支援までは?」
 とりあえず訊いてみる。
「あと一〇分」
「間違いなく?」
「ディスプレイには<READY」の表示がある」
「<STANDBY>じゃなく?」
「<READY>だ」
「信用してもよさそうだね。脅威判定レベルは?」
「三から下がらない」
「今どんな感じだ?」
 訊くと、南波はほとんど体勢を変えず、低く言う。
「七時方向、屋根が吹っ飛んでる食堂のところに、自動小銃を持ったのが二人。九時の変電所の向こうに、動くのかどうかわからん戦車二両、随伴する歩兵が六人。鉄橋にロケラン持った奴らが四人。区間高速の料金所の裏に、エンジンが冷え切った戦車、それと……SDD-48対空砲が一両、そんなとこだ」
「一時間前から変わらず、ね」
「こちらの戦力を把握し切れていないんだろう。まさか俺たちだけだとは思っていないのかもしれん。撃ち込まれたら一瞬でおしまいなのにな」
「ようするにこっちの存在は気づかれてないってことかね」
「いや、電磁衝撃波(EMP)攻撃がまだ効いてるんだ。目つぶしされたまんま、奴らは動こうにも動けなくなってんだろうさ」
 二日前、友軍は戦術核を当地上空一〇〇キロで炸裂させた。高高度核爆発(HANE)。核爆発の核出力そのもので目標を破壊するのではなく、発生する強力な電磁波を利用する兵器。電装品がオシャカになる魔法の兵器。初期のそれと比べて、どういう原理かよくわからないが指向性がやたらと強いEMPを発するようになっている。地上への影響は電磁波だけ。衝撃波も熱も何も来ない。
「奴らの戦車はどうして動くんだ? EMPシールドが強力なのか。その割には効果的な砲撃をしてこないけど」
「原始的な構造なんだろうよ。コンピュータがなくても砲塔は動くし、撃発もできるからな」
「それで、あの川原にいる敵の攻撃ヘリも離陸できないんだな」
 古びた火力発電所が見えるが、その敷地に敵の攻撃ヘリコプターが二機いるが、いまだエンジンに火が入る様子もない。あわよくば奪い去って、機銃であたりを掃射してやりたい衝動に駆られるが、私も南波も操縦資格(ウィングマーク)を持っていない。ヘリを奪取しても、エンジンの掛け方すら分からないのでは、チェーンガンを駆動することもできない。結局飛べないヘリコプターはただの棺桶だ。
「退屈になってきた」
 南波が言う。望むところだ。
「ウルリッヒ・グリマーっていう地質学者が、イリアン諸島を訪れたのが、けっこう最近の話でね」
 グリマーは母国で地質学を専攻しているが、言語学にも興味を抱いていた。自身が植民地の生まれで、雑多な租界界隈で話される様々な言語に触れた経験を持つからだ。大洋戦争で従軍したときも、前線部隊には派遣させず、もっぱら通訳として後方支援に当たっていたという。従軍記は彼の母国でいまでも売れている。
「グリマーはその頃イリアン諸島に赴任した。そして、ハルマヘラ族に出会うことになったわけだ」
「それまでに島を牛耳っていた連中とは別の国の軍隊だな」
「そう。そして、グリマーはそれまでの連中とはちょっと違い、言葉に興味を持ったわけだ。曰く『彼らの言葉には、文節というものがなかった。感嘆詞しか存在しないように聞こえた。およそ形容詞というものも存在せず、固有名詞を口々に話すだけで、彼らとは会話が成立しなかった』。それはそれはグリマー博士は驚いたわけだよ。戦争が終わって、グリマー博士は、イリアン諸島をふたたび訪れる。そして見つけたわけだ。彼らの文字を」
「文字を」
「そう、文字だ」
 ハルマヘラ族は文字を持っていた。ジョンストン以来の船乗りたちが、筆談に近い形で会話をしたのは、実は理にかなっていた。グリマーが発見した文字は、すべてがいわゆる表意文字であり、表音文字はひとつもなかった。そして特筆すべきことは、彼らハルマヘラ族の文字は、その大部分が発音することができないという事実だった。
「発音できない?」
「そう。文字は存在するが、発音できないんだ。その表記体系は猛烈に発達しており、私たちの言葉よりも複雑で、文字数は数千を超えることがわかったんだけれど、そのほとんどに音が割り振られていなかったんだよ」
「どういうことだ?」
「発音できないのさ」
「そんな文字があるのか?」
「あったのさ。イリアン諸島に」
「ちょっと待ってくれ。文字はあるが、それはようするに、文字があるのに話せないということか?」
「そういうことらしい。ハルマヘラ族の文字は、それが文章と呼べるほどに文法もあり、かなり多種多彩な言語であることがグリマーの研究でわかったんだけれど、ハルマヘラの彼らにいくら聞いても、文字を指さすだけで声を出してくれない。音声が存在しないんだ。視覚だけでしか機能できない言語だったんだ。ようするに、文字に対して音が割り当てられていなかったんだね」
「初めて聞いた」
「南波、お前には子どもは、いないよな」
「結婚もしてないからな。馬鹿にしてるのか。お前も独身のくせに」
「そんなつもりじゃない。妹がいたよな。歳の離れた」
「ああ。いる」
「言葉をしゃべるようになったのはいつ頃だ」
「二歳頃だ」
「それまでは、どうしてた。かわいい妹とのコミュニケーションは」
「取れてたさ。ああだこうだと声を出すからな」
「ようするにそういうことだ」
 私が言うと、南波は理解したのか、黙った。
「しゃべる必要がないってことか? 言葉を」
「事実、冒険家ジョンストンたちの時代の船乗りは、複雑な会話をしなくてもハルマヘラとコミュニケーションできていた。絵を描いてね。音声としての言語、文章として成立する必要なんかないんだよ。単語だけ、数少ない音声単語だけで、それはどうも固有名詞だけのようだったけれどね、それだけで成立してしまうんだ」
「本当かよ」
「事実お前は妹と文章なしの会話を成立させたんだろう? 腹が減った、トイレに行きたい、のどが渇いた、痛い、かゆい、寂しい、遊びたい、嬉しい。それらに複雑な文法が必要か?」
「うむ」
「ハルマヘラの発声はそれだけなんだ。音楽みたいなものだ。実際、私が映像で見たハルマヘラ族の『会話』は、小さな子ども同士の会話のようだったし、歌のようだった。彼らは発声はできるんだ。私たちと同じ人間だからな。けれど、文字を発声しない。必要最低限なことは、簡単な、ものすごく簡素化された音声で取る。そして、複雑なコミュニケーションは、文字で取る」
「しかし、文字に音がないなんてこと、あるか」
「お前、絵は描けるよな」
「馬鹿にしてるのか」
「してない。たとえの話だ。お前、よく落書きをしてるじゃないか」
「ああ」
「音にしてみろ。お前の絵を」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介