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トモの世界

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 樋泉大尉が大別刈少佐を引き継ぎ、プロジェクター前に立った。合わせるように照明の照度が戻る。
「なんだかよくわからん作戦だ」
 南波がつぶやいた。
「いつものことだ」
 私が答えた。
 作戦はいつも、手短な説明から始まるのだ。任務完了までは途方もない時間を要して。

 一週間後、任務に合わせた訓練を終えて駐屯地を出、最後の休息に丘から見下ろした港に、重巡洋艦の姿も駆逐艦の姿もなくなっていた。南から吹き込んでくる風は暖かく、宿舎を出る私の頬をなでる空気は微かだが甘い匂いがした。どこかでひっそりと咲いているに違いない花の匂いだ。
 夢を見たような気がしていた。
 悲しい夢だったと思う。
 断片的にでも何か思い出せないかと思ったが、目覚めたときに見えた天井の白さと、窓から差し込む陽射しの暖かさにすべてが消えた。思い出そうとする努力もやめた。思い出す必要がないと思ったから、私は「夢の録画」を怠った。それでいいと思った。ただ、止めどなく涙が溢れて困った。子どもが泣くように、大粒の涙が次から次へと私の目から流れ出した。夢の記憶は残っていないのに、そのときの感情だけは残滓として私の涙腺を刺激し、夢は確かに存在感を主張しているのだった。
 私は身繕いをして、ドアから出るとき、ふと部屋を見渡した。いや、見渡すほどの広さもない。本来は二人部屋。両側の壁にベッドがあり、その手前側に無愛想な木製のデスク。相部屋だった彼女……チームBの嶋田准尉……はもう二度と戻らない。北東自治域からやってきた嶋田はお国訛りも抜けきらず、きれいな目をしていた。私たちが『センターライト降下作戦』に出撃する直前、敷花(しきか)市防衛戦に参加して、そのまま帰ってこなかった。
 デスクはきれいに片つけられていた。ベッドにはマットレスが載っているだけで、シーツも布団もブランケットも何もない。小さなロッカーも空っぽだ。私たちは、いつでも私物を実家へ送り返せるように荷造りさせられている。そのへんもシステマティックになっているのだ。嶋田の私物はだから、たいして同僚たちの手を煩わせることもなく、すんなり送り返されたに違いない。私が出撃する前は、まだ彼女の残り香のようなものがあったが、今はもう何も残っていない。
 いずれ私もそうなるのだろうか。
 私は私生活というものにさほど興味を抱いていないせいもあるのだが、デスクもロッカーも何もかもが素っ気なく、整えられたベッドを無視すれば、この部屋に生活感は漂っていなかった。
 いつから私は刹那的になったのだろう。
 帰れない可能性を考えはじめてからだろうか。
 南波は、部屋を散らかり放題にして出発するという。わざと片つけもせず、ロッカーの中もデスクの引き出しの中もめちゃくちゃで、私物の整理もまったく手を付けない。彼は孤独な神を信じることもなく、験を担ぐ習慣もないという。けれど、私から見れば、部屋を片付けもせず、また戻ってくることを前提に生きている彼の生活そのものが、やはりなにかに支配されている気がしてならないのだ。南波は強固に否定するだろうが。
 わずかに嘆息してから、私は部屋を出た。
 出撃前の最終ミーティングはすでに終わらせていたから、待機室で南波と顔を合わせたとき、彼はもう装備を調えつつあった。私も倣い、武器担当から今回の作戦で使用する装備一式を手渡された。
 CIDSは新品。私の「体調」と癖に合わせて調整が済ませてある。これを怠ると、作戦中に私が囁いても、南波の耳に意味のある言葉として届かなかったり、サブ窓が私の視界正面に開いてしまうことになる。戦場で倒れた仲間から即座にCIDSを調達できない理由はそこにあった。使用者に特化した微調整が必要だからだ。そしてその微調整は戦場(フィールド)では行えない。私のパーソナルデータは軍のサーバーに保存されていて、やはり専用のツールを使って私自身が「読み聞かせ」を行うことで、それはダウンロードできる。その設備はあえて前線には設置されない。それなりの設備が要求される。前回のバックアップポイントまでの情報が、CIDSにロードされ、新品の機材は私のものになる。
 チェストハーネス、メルクア・ポラリスMG-7Aセミオートマティック拳銃。拳銃と自動小銃のの予備弾倉、バックパックには戦闘糧食(レーション)その他の戦場お役立ちグッズが詰め込まれて、ずっしりとした重さが気を引き締める。ベンチに座った南波が自動小銃をいじくり回していた。
 ヘッツァー4726。前回の風連奪還戦で私たちが使用したタイプの口径違いだ。今回はメンバー全員が三〇口径……七.六二ミリバージョンを使用することになった。歩兵部隊などの一般部隊ではほとんど配備されていないタイプで、ごく一部の選抜隊員や特殊任務に就く部隊に配備される。七.六二ミリ口径は反動も大きく弾薬もかさばるため、とりわけ近接戦闘が想定される一般部隊などではほとんど使用されない。連射のコントロールも難しいからだ。だから特殊作戦などで登場する。私たちはその特殊任務に就く部隊であり、今回の作戦の方向性がそれで何となく分かった。
「見敵必殺ってことかね」
 南波が光学照準器をのぞき込んで、CIDSとのリンクを調整していた。照準に関しては個々人がそれぞれ事前に零点規正(ゼロ・イン)を行っているので、問題はない。
「七.六二ミリなんて久しぶりだ」
 私もベンチに腰かけ、銃口の方向に注意しながら構えてみる。五.五六ミリ版の4716と基本的なフレームやレバー類の操作系は変わらないが、銃身(バレル)は太く、長い。弾倉も大きいので、銃本体側の弾倉受け(マグウェル)も広い。もちろんマグウェルは弾倉交換しやすいように、ファネル状に広がっている。全体的に4716よりは重く大きいが、弾薬の威力もまた七.六二ミリライフル弾は大きい。銃口エネルギーは五.五六ミリ弾の三倍ほどだ。弾道も非常に素直で命中精度も期待できるが、なによりの違いは、その打撃力に尽きた。三〇口径のライフル弾を被弾したなら、おそらく衝撃でもう身動きができなくなる。身体の末端ならまだしも、基幹に近いところに命中すれば一発でノックアウトだ。たとえるならば、五.五六ミリ弾ではクマを手負いにするだけだが、七.六二ミリならば斃すことができるということ。対人であればなおさらだ。撃たれたことはないが撃たれたいとは思わなかった。
「気が進まないか」
 口数少ない私に南波が笑う。
 敵が占拠した建物を制圧したり、拳銃弾でも届きそうな近距離での戦闘でなら、三〇口径など必要ないし、こんなに全長の長い銃は不要だ。この銃は野戦向きなのだ。今回の作戦は、比較的長距離の交戦域を想定している。そして、発砲したからには、南波の言うとおり、一発で相手を仕留める必要があるのだ。怪我をさせるのではない。一撃で射殺だ。
「近接航空支援を要請して爆弾を降らせる方が気が楽だな」
 南波。まだ小銃に弾倉は装着していない。これから私たちは、ヘリコプターに乗って移動する。北へ向かうのだ。ふたたび。
「もうあの金切り声は聞きたくない。なにが『癇癪娘』だ」
「俺も嫌だな、あれはな」
「でも、」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介