トモの世界
空調がよく効いた一室に、第五五派遣隊北洋州分遣隊の四チームが招集されている。簡素な椅子が並べられ、デスクはない。一同はチームごとに腰を下ろし、ブリーフィングが開始されるまでのひと時、低い声で雑談している。学校の教室程度の広さのブリーフィングルームは、それ専用に作られたわけではないが、もっぱら分遣隊各チームのブリーフィングに使用されている。天井には蛍光灯、窓にはブラインドが下ろされ、さらにスラットも降りているから、外の様子は全く見えない。見えたところで、まことに無愛想な駐屯地の風景がそこにあるだけなのだが。部屋の正面は一面が巨大なプロジェクターで、入力ツールであるライトペンを使えば自由筆記もできる。必要な情報を表示されることもできるし、Iidを使って動画を見ることもできる。その機能も学校で使われているものとほとんど同じだった。だからここは一種の教室だ。生徒たちはそろいの制服を着て、教師役の上官が登場するのを待っている。チャイムは鳴らない。事前に知らされている時刻五分前には上官が現れて、「授業」が始まる。
「今度は何かな」
私の隣には南波少尉。席順は決まっている。階級順。同階級ならば先任が前に座る。ここが学校と決定的に違う。この教室では生徒同士や生徒と教師が話し合うことはない。授業はいつも教師から一方的に行われ、生徒が考える場を与えてくれない。軍隊とはそういう場所だ。教師が生徒に与えるのは命令だ。それに疑問を挟む余地はない。下命されればそれに最適な行動で応えるだけだ。
「海峡の向こうへ南下するってことはないだろうな」
隣席のチームC、柄垣少尉が表情を一切変えずに言う。
「まあそれはないだろうな」
南波が受ける。腕を組み、鷹揚な表情をわざと作ってみせる。
しばし、南波と柄垣は三つ四つの言葉を交わしていた。会話には聞こえないレベルの情報交換。私の左隣は南波少尉だが、右隣は空席だ。第二中隊に属するチームは四つ。チームEは現在存在しない。中隊の隷下がいきなりチームというのも相当に変則的な編成だが、各チームのリーダーが少尉なのがその特異性をある程度説明しているかもしれない。少尉はふつう小隊長だからだ。ようするに、一チーム四人で、通常二〇人で構成される小隊規模の作戦を要求されているということだ。
「集まっているか」
授業開始五分前になったということだ。中隊長の樋泉大尉が顔を出した。隙のない軍服姿。教室の生徒全員が瞬間的に立ち上がり、敬礼。脱帽しているから挙手の敬礼はしない。大尉が「休め」と続け、私たちは着席した。この部屋で日直は必要ない。
「紹介する。情報担当の大別刈(おおべつかり)少佐だ。情報本部から派遣されている」
部屋に上背の高い、しかしさほど鍛えられた筋肉を感じさせない男が入ってきた。ふたたび一同は起立し、敬礼。
「情報担当の大別刈だ。今回の作戦を説明する。よろしく」
言うが早いか、黒板代わりのプロジェクターに衛星から撮影された静止画が表示される。同時に部屋の灯りが絞られる。
「国境付近だ。センターライト降下作戦、風連奪還戦、およびS号作戦……敷花防衛戦で、敵の主力は国境線南北十キロ圏から撤退しつつある」
衛星画像の中央部分がズームされる。ライブ映像ではなく、静止画だ。シェルコヴニコフ海に面した東岸地域で煙っているのは、私たちが脱出し、八九式支援戦闘機がとどめを刺した縫高町だろう。南北に細長い椛武戸島のほぼ中央部でくすぶっているのが帝国領土最北の都市である敷花市だ。人口四万人の炭鉱都市だが、炭鉱設備そのものを標的にした同盟連邦軍に一時占領された。市民は事前に大多数が逃れていたが、彼らにもう帰る家はない。六四式戦闘爆撃機が炭鉱もろとも破壊しつくしてしまった。
「発電所の奪還が成功したことで、当地のエネルギー供給そのものを帝国が支配しているのは大きい。送電は条約により同盟側にも流れている」
だから同盟軍は全力を挙げて発電所の奪取に乗り込んできたのだ。くすぶっている敷花市の南側にある灰色に焼け焦げた一帯が風連発電所だ。風連発電所の奪還作戦と敷花防衛線はセットになっている。負けてはいないが、決して勝ってもいなかった。北方戦域全体に言えること。それは、戦線が著しく膠着状態に陥っているということ。
「友軍は、戦車連隊を主力にした一団が当地を制圧している。今のところ散発的な戦闘が発生しているが、君らが遭遇したような大規模な戦闘は発生していない。とりあえずは、だ」
画像がさらにズーム。友軍部隊が展開しているのがわかる。国境を越えて同盟ともつながっている区間高速道路のサービスエリアが、陸軍部隊の宿営地と化していた。戦車部隊に補給部隊が確認できる。大別刈少佐がコマンドパッドを操作すると、ズームしていた画像がふたたび引きの画に戻る。戦車や歩兵戦闘車を主力にする機甲部隊からだいぶ離れて、自走砲を装備する砲兵隊が展開しつつあるのが一瞬見えた。戦車が槍の穂先ならば、自走砲などの野戦砲部隊は遠方から砲弾を雨あられと降らせる投石機のような存在だ。戦闘機は滞空時間が限られているが、地上に展開する砲兵部隊は火力を投射できる持続時間が桁違いだ。だから今でも砲兵部隊は最前線から頼りにされる。
「鉄道や道路などのインフラは、あえてこちら側からは攻撃していない。わかっているのか、向こう側も積極的にそれらを標的にはしてこない」
そうだろう。いずれ戦争が終結したら、当地を実効支配する側が結局補修せざるを得なくなるのだ。破壊された都市を修復するのに道路を啓開するところから始めるのでは気の遠くなるような時間がかかる。血管が切れれば、臓器は死ぬ。
「大規模な戦闘がおこっていないということは、どういう状況かはわかると思う」
「戦力の再編成。反撃の準備」
南波少尉が発言。
「そのとおりだ。我々も同盟側もだ。戦況的には、国境を挟んで南北二十キロのエリアでは、我々が優位に立っている。だが、それは一時的なものだろう。再展開しつつある敵部隊から戦闘能力を奪わなければ、一気に逆転されるだろう。大陸で同盟軍が移動している姿が確認されている。本国から増援が向かってきているということだ。合流されれば、やっかいだ」
「けっきょくは大陸から海を渡ってくるわけでしょう。それをつぶせばいい」
瀬里沢が言う。
「もちろん、敵増援部隊に海は渡らせない。だが、椛武戸に展開している敵部隊を無力化できれば、全島を帝国が実効支配することもできる。そうすれば、戦況は大きく変わる。増援部隊を送り込んでくる理由も消滅する」
本当に帝国政府がそこまで考えているようには思えなかった。どちらかといえば、戦力の逐次的投入をしているように感じられるほどだったからだ。それは戦闘では絶対に行ってはいけないことだ。
「盛大な戦闘は、機甲師団や空軍に任せる。君たち五五派遣隊の任務は、よくわかっていると思う」
「祭りの輪には入りませんからね」
南波は言いながら、だんだん姿勢が崩れてきている。授業が始まり、集中力が早くも切れかかっているだらしのない男子生徒の姿のように。