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トモの世界

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 駐屯地は州道に面している。ゴトゴトと路面を響かせながら、市街電車がやってくる。坂がちなこの街にあって、市電が縦横に走っているのは私から見るとめずらしかった。私の故郷の柚辺尾にも市電がある。路線延長は高泊よりもずっと長い。が、柚辺尾は河口近くの広大な平野に開けた街で、高泊と比べると圧倒的に起伏がなかった。高泊の市電は、真冬でも、凍りついた軌道の上を、なんでもないようなそぶりで、ゆるい坂道を上っていくのだ。
 CIDSも4716自動小銃もMG-7Aセミオートマティックも一切合切所持しない身軽な私は、しかし携帯電子端末(ターミナルパッド)はコートのポケットに入っている。しっかりランヤードで身体と固定されて。あくまでもこれは端末であり、「本体」は軍の管理する電算機のどこかにあるのだろうが、これが私の身分を証明してくれる。そして、電車に乗るにもこれが必要なのだ。決済機能も内蔵しているからだ。機能や形、メーカーは様々だが、民生版を市民のほとんどが持っている。通話もできるし、一秒と狂わない時計もついている。あらゆるメディアと通信ができる。むしろ所持していないデメリットのほうが大きい。私の持っているそれが一般市民が携帯するものと多少違うとするなら、堅牢性と、対電子防御機能が奢られている点だろう。電子戦機によるECMを受けようが、上空一〇〇キロで戦術核兵器が炸裂しても、私のターミナルパッドは決して沈黙しない。バッテリーもCIDSと同じ、固体高分子形燃料電池で駆動、民生品よりはるかに長時間、すべての機能がフル稼働するのだ。その分ちょっとだけ重いのは許容範囲にしておこう。ちなみにこれは官給品。もし私が軍を辞めたら、これも制服や装備のたぐいと合わせて返却しなければならないし、紛失すれば始末書を覚悟しなくてはならない。
 停留所は砂っぽかった。昼過ぎ、平日。こんな時間に電車を使うのは、のどかな一日を信じて疑わない人々だ。およそ戦争中とは思えなかった。戦域の南端までは三〇〇キロ。戦闘機なら三十分足らずで到達してしまう距離なのに、恐ろしく穏やかだった。月に一度の防空訓練が実施されるが、それは柚辺尾の街でもそうだったし、都野崎でもそうだったから、特段この街が最前線に近いという空気は感じられない。軍人の姿がやたらと目立つのは、海軍の停泊地があり、陸軍の駐屯地があり、郊外に空軍基地があるからだ。それ以外はまったくもって国内の地方都市の風景と変わらない。任務から帰還した翌日、私はこの落差にいつも戸惑うのだ。そして、この戸惑いを経験しなければ、私は私に戻れない。
 海外旅行から帰ってくると、自分の国の風景に違和感を抱くという。私はそれほどの長期間、旅行をしたことがないのでよくわからない。この話をしたのは丹野(たんの)美(み)春(はる)だ。電車を待ちながら思い出す。日常で経験した記憶は、非日常の世界より、こうした日常世界へ帰還してからのほうが思い出しやすい。
(あのね、話す言葉から、まず変な感じがするの)
 あれは南沢教授の研究室だったか、いや、学生食堂だっただろうか、紀元記念公園だったろうか。このあたりが曖昧だ。それでも丹野美春の声は鮮明に思い出せる。
(きっと、頭の中には、言葉の切り替えスイッチがあるんだと思う。それまでは湾口域(わんこういき)の言葉で考えていたのに、いきなり空港のゲートを出るとね、こっちの言葉であふれかえっているでしょう)
 停留所の私。思い出しながら、周りを見る。プラタナス並木。石造りのビル。トロリー線。自動車。若い母親に連れられた小さな女の子。
(一瞬ね、戸惑うんだ。あ、私、何語を話したらいいのかなって)
 対向車線、カーブを曲がって、電車が来る。フランジが軋む音。私の側の電車はまだ来ない。
(すぐに思い出すんだけど、それでも何となく、向こうの言葉でも考えちゃうの。並列処理しちゃうんだね。頭が勝手に)
(そんな器用なことができるの?)
 私の声だ。私の声も同録されていたのだ。
(もちろん、無意識なんだけど。でも、空港から家に帰る途中の電車でね、もう向こうの言葉では考えなくなるの。そしてね、見えるでしょ、風景。それがぜんぜん違うの)
 風景。落ちた鉄橋。煙を上げる港。びっしり並んだ遺体。発電所、制御室、南波、上半身が消し飛んでしまった野井上。
(上杏(ジョウアン)の街って、もっとごちゃごちゃしてて、ほら、物乞いとか普通にいるのね。電波塔の下とかに。見たことあるでしょ、あの電波塔。租界があったあたり。わかるよね。あの辺、お金持ちもたくさんいるのよ。なのに、物乞いもたくさんいるの。建物も家もね、なんだか汚れてて、そういう風景に馴染んでしまってるからなのかな。帰りの電車から見える都野崎の街がね、変に見えるのよ)
 SDD-48に蜂の巣にされたヘリコプター。ソニックブームを叩きつけて飛び去る友軍の戦闘機。黒煙がにじむ夕焼け空。言葉を話さない敵の兵士たち。
(身構えなくても平気なのにね。カバンとか、気がついたらしっかり抱きしめてたりして。それもね、北三番街の駅を出たら、すっかり忘れちゃうのよ。都野崎には物乞いなんていないし、すごいお金持ちもいないし。果物屋さんでリンゴを買ったり、持ってるカートが重いなぁなんて考えて、家のドアを開けたら、忘れちゃうのよ)
 丹野美春のおっとりした口調と、京訛りが耳の奥で再生され続ける。
(風景が違うって、そんなに気がつくものなの?)
 私の声だ。
(ううん、すぐに戻っちゃう。意識していないと、分からないかも。でも、空港を出て電車に乗っていると、ここは上杏じゃないんだ、都野崎に帰ってきたんだなぁって、はっきりわかる)
 戦車部隊。小谷野大尉。保呂那川と、六四式戦闘爆撃機。ああ、この音は、GBU-8自己鍛造爆弾が空気を切り裂く音だ……。私の頭が混戦気味だ。
(適応っていうのかな。きっと人の脳って、そういうふうにできてるのね。今まで普通だと思ってた風景も、別の街に長くいると、普通じゃなくなるって。でもそれも、元の場所に戻ってくれば……)
 それが馴染みの場所であればあるほど、元の適応性が発揮されて、違和感もすぐに霧散する。そうなのか? 丹野美春はそう言っていた。
 レールが軋む。顔を上げる。電車が来る。私は回想のスイッチを切る。丹野美春の声が途切れた。途端に私は、初夏の高泊の街に戻される。私の日常はいくつあるのだ? 機能までの日常は、やはり地続きでここにあるのだろうか。
(でもヘリコプターで帰ってきたからな。地続きじゃないね。空を飛んできたわけだからな)
 南波の声が聞こえた。なぜ? 南波はそんなことを言わなかった、と思う。これは私の脳の創作だ。
 南波なら言いそうなこと。
 私が感じたことを、私自身の声で言わず、南波の声が代読した。
 昨日。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介