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トモの世界

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 私はチョコレートを口に放り込み、無理矢理咀嚼して、それをコーラで流し込んだ。もう少しゆっくり味わいたいと思ったのは、口の中にチョコレートの余韻を確かめてからだった。


   六、


 私たち第五五派遣隊の北洋州分遣隊が駐屯する高泊市は、シェルコヴニコフ海を望む広い湾に面していた。一年を通して風が強いため、街を望む丘陵には笹の葉がびっしりと自生していて、背の高い木々はほとんど生えていない。それでも、こうした荒れる気候に強い庫裏流(くりる)諸島原産の桜や、入植者が植えた広葉樹や針葉樹の類が、防風林のように続くのだ。
 人口四十万人。
 北洋州と海峡を挟んでこちら側、椛武戸(カバプト)と呼ばれるこの南北九〇〇キロに及ぶ島の中で、北緯五〇度以北の同盟国領土をひっくるめても、椛武戸の中心都市・富原(とみはら)市に次ぐ人口と規模を誇っている。これより都会を探すとすると、北洋州本島の私の故郷、柚(ゆ)辺(べ)尾(お)市まで南下しなければならない。港からは大型フェリーが何隻も行き来し、帝国海軍の停泊地にもなっている。市街地は丘陵地とわずかに開けた海岸線の平地にあり、夜は高台から望む夜景が名物だ。陸軍の駐屯地は、中心部から車で十五分程度、市電なら三十分弱ほど離れた丘陵地の中腹に位置している。
 ほぼ十日ぶりの「帰還」だった。砺波大尉の七七式汎用ヘリコプターに便乗し、到着した頃は日が傾き、街の灯りが瞬いていた。私はどうにもこの時間帯が苦手だった。それを南波に言っても理解されないだろう。そして理解しようと努力する過程で、私が彼に説明しなければならないその雑多な手間を考えると、なおさら南波に話そうとは思わなかった。それに彼も私の身の上話には、興味を抱かない。戦闘地域から離れればなおさらだ。
 リポートは携帯電子端末(ターミナルパッド)でも作成できたが、ひとまず三十分程度、私と南波は上官に口頭での報告と説明を行った。そして任務終了が告げられた。この作戦における私たちの任務は、ここで完了というわけだ。
 一週間以上着たきりの服をすべて脱ぎ洗濯室に出すと、私は浴室で全身を洗った。髪を洗い、全身の汚れと匂いを落として、私は気分がよくなった。浴室を出てスウェットに着替え、談話室を通りかかると、ソファに南波がいた。
「よお、姉さん」
 サイダーの瓶がテーブルに載っていた。彼もさっぱりした顔をしていた。
「飯、喰ったか」
「いや、」
「余り物だけど、もらえるぞ。食堂に行ってこいよ」
「もう休みたいんだ」
「そんなことだろうと思った。ここへ来いよ、」
 南波は傍らからスチロール製の容器を差し出した。
「もらってきた。食べるといい。姉さん、痩せたぜ」
「それはありがたい」
 何がありがたいのか。痩せたことか。食べ物のことか。言っていて自分でよくわからなかった。
 談話室には南波の姿のほか、兵士が数名いた。全員が五五派遣隊の隊員だ。この建物は派遣隊がすべて使用しており、一般隊員の姿はほとんど見られなかった。向こうもこちらも、互いを意識的に意識しないようにしている。五五派遣隊が「特殊」なのはそうした性向の隊員が多いことに尽きるかもしれない。
「やるよ」
 南波の隣に腰かけると、別のサイダーの瓶を渡された。瓶はうっすらと汗をかいている。南波が栓抜きで開けてくれた。
「グラスはないからな。そのまま飲んでくれ」
 瓶をあおった。強い炭酸。南波は炭酸飲料が好きなのだ。コーラにサイダー、その類をよく飲んでいる。酒を飲んでいる姿は見たことがないから、アルコールがダメなタイプなのかもしれない。
「蓮見(はすみ)准尉が生きてたぞ」
 南波も瓶をあおりながら、言う。
「本当か」
「樋泉(ひいずみ)大尉に聞いた。風連と縫高町の途中の国道で救出されたそうだ」
「中隊はどれくらい生き残ってるんだ?」
「三分の一ってところだろうな」
「三分の一か。それは全滅だ」
「そうだな、全滅だ」
「でも、発電所は取り返した」
「そうだな。縫高町もあんな形だが、制圧したしな」
「成功か、」
「どうだか」
 南波は瓶を天井まであおり、サイダーを飲み干した。喉が鳴ったのが分かった。
「次の作戦指示、もう聞いたか」
「明日聞く」
「俺もだ」
「次があるってことだよな」
 私も飲む。淡い緑色のガラスの瓶。懐かしい。夏休みの味がした。
「そりゃ、あるだろう」
「戦況は、どんな様子なんだ」
「高泊がここまで平穏なら、悪くないんじゃないのか」
「楽観的だな」
「戦況なんて俺には関係ないからな……ひとつひとつの任務がすべてだろう、姉さん」
 そのとおりだった。私たちは戦車部隊が激突する最前線にも、戦艦が艦砲射撃をする上陸作戦にも、表だっては参加しない。あくまで、メインイベントの直前だったり、直後だったり。私たちはキャンプファイアの火付け役か、火消し役か、あるいはキャンプファイアが「ここにあるぞ」と知らせたり、さもなければよその団体が火を点けようとしているところを、消してしまうとか、そういう役回りばかりなのだ。そして、キャンプファイアの周りで手をつないで踊ったりなど絶対にしない。
「とりあえず、姉さん……入地准尉」
 ふと見た南波の横顔はやはりげっそりと痩せていた。石鹸の匂いが漂っているのがアンバランスだ。
「しっかり寝てくれ。明日は指示を受けたら半日はオフだ。しっかり休もう」
「了解。……まだここにいるのか」
「なんだか、脳みそにやすりを掛けられた気分だ。Iidでも見るさ。新作が配信されているかもしれない。チェックしなくちゃな。ウェルカム・トゥ・日常世界って奴だな」
「北方戦役のニュースが割り込みで入ったらどうするんだ」
「一般市民のつもりで見るさ」
「……おやすみ、南波少尉」
 私は飲み干したサイダーの瓶と南波から受け取った容器を持って、立ち上がった。
 南波は私を見ることなく、電源の入っていないモニターをじっと睨んでいた。

 午後の風は穏やかだった。
 海流の影響か、高泊は風は強いが比較的冬が暖かい。ただし、夏はその分なのか、冷涼だった。今朝の空はどこまでも澄んだ青い色で、陽射しが気持ちよかった。
 私服に袖を通したのは相当に久しぶりだった。IDを警衛に見せ、私は駐屯地を出た。ゲートの向こうは、埃っぽいが穏やかな日常がどこまでも続いていた。昨日までの「私たちの日常」を無理矢理思い出させようとするのは、空軍の戦闘機の爆音だ。おそらくは哨戒飛行に向かう戦闘機。ただ、高度がかなりあるので、探そうと思って見上げないかぎり、音のした場所に首を向けても、機影は見えなかった。CIDSを装備しない外出。戦闘情報も脅威判定も表示されず、サブ窓も開かない視界。私は度の入らない赤いフレームのメガネをかけて、小さなショルダーバッグを肩から提げ、通りを歩く。髪型も作戦時とは変えてある。できるだけ同年代の女性と同化できるように。似合わないのを承知で言うなら、「かわいらしく」見えるように。なるべく「戦士」に見えないように。それでも、見る人間が見れば、私たちの職業など一目瞭然だという。姿勢が違う、歩き方が違う、何より視線が違う。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介