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トモの世界

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 信じられないことに、私は彼らの今作戦でのコールサインを失念している。本名で通話しあうなんて考えられないはずだった。
「先行している。大丈夫、ついてこい。いつもどおりだ。何を怖がってる。お前らしくない」
 ブーツがしっかりと地面を掴まえた。全身が水を吸って思い。水路潜入用にはドライスーツに似た機能の戦闘装備が指定されるが、いまの私が着ているのは、いつもどおりのチェストハーネスに、黒っぽい迷彩の戦闘服だった。装備がすべて水に浸かっている。自動小銃も、拳銃も、予備弾倉も、何もかも。本来ならすべて防水処理をした上で隔離されていなければならないのに。
「……、」
「南波」
 南波が銃を構えている。その前に、なんて言ったんだ?
「南波!」
「静かに、……!」
 私の名前だ。名字ではなく、南波は私の名前を呼んでいる。
「行くぞ、……」
 なぜか、そこだけ音声として聞こえない。なのに、彼が私を名前で呼んでいることがはっきりと分かる。なぜだ。なぜ。
 目の前が真っ白になった。
 足許も、両手も、南波も、何も見えない。
「……南波!」
「……!」
 相変わらず、南波は私の名前を呼んでいる。やめろ。私を名前で、呼ばないで。
 不意に照明弾でも撃ち込まれたか、それとも敵の拠点からサーチライトでも照らされたか。サーチライト? そんな設備?
 ……!
 南波を呼んだはずが、まったく音にならない。CIDSも沈黙している。真っ白だ。何も見えない。私はCIDSをあわてて跳ね上げた。それでも視界は真っ白だった。真夏の日なたのような、まぶしさだった。
 身体が重い。
 耳のすぐ横を、何かが空気を切り裂いた。
 銃弾。
 撃たれた。やや遅れて発砲音。
 見つかってる。
 潜入は失敗だ。
「南波、ダメだ、撤退しよう」
 南波?
 いない。
 破砕機のような連続音。機関銃で撃たれている。私はとっさに伏せたが、相変わらず何も見えない。白い。
 南波、ダメだ、行こう。
 どこへ?
 すぐそばを次々に銃弾が掠める。
 着弾。
 完全に私は敵の射線に入っている。撃たれるのは時間の問題だ。
 南波!
 彼が私を呼ぶ声も聞こえない。
 聞こえない。
 遠くから凄まじい雷鳴が聞こえる。
 私が南波を呼ぼうとする努力も、その長く響く雷鳴にかき消されてしまう。
 そこで……、目が覚めた。

 汗の臭いがする。
 簡素なベッドに、私は横になっていた。窓が近く、傾きかけた陽が差し込んでいてまぶしい。毛布一枚を戦闘服の上からかぶり、私は横になっていた。
 大きく息をついた。肺の中の空気をすべて入れ換えるつもりで。
 ……帝国空軍豊滝前線基地。
 自分の現在位置を思い出すのにわずかなタイムラグ。私眠っていたのだ。そのことに気付くのにもわずかな時間を要した。
 私は腕時計を見る。伊来中尉とエプロンで別れてから、一時間半。砺波大尉に言われた連絡機の出発まで、あと三十分ほどだった。
 仮眠室だから、設備は恐ろしく簡素で、スプリングがキイキイ言うようなマットレスのベッドが四つ並んでいて、仮眠室というよりは病室に近かった。天井の蛍光灯は点っていなかったが、ペラペラのカーテンが半分開いていて、そこから陽射しがあるのだ。二重のガラス窓の向こうは兵舎なのだろう。木造の建物がいくつか見えた。そしてその向こうが滑走路だ。凄まじいアフターバーナーの轟音は、窓を閉めていても地面から響いてくるようだった。
 半身を起こす。
 南波と二人、基地の厚生係に案内されてここへ通され、とにかく仮眠を取ろうという話で合意した。チェストハーネスを解き、防弾ベストをはずし、ホルスターもはずし、戦闘服の上も脱いだ。アンダーウェアも汗やら汚れでひどい有様だった。ブーツを引っこ抜くようにして脱ぎ、ソックスも脱いだ。両足はふやけたように真っ白になっていて、凄まじい異臭がした。それを見て南波が笑っていた。ひどいもんだなぁ、と。またこのソックスとブーツを履くのは正直憂鬱だったが、南波はまったく気にしないようで、両足の指を閉じたり開いたりと器用なことを私にしてみせた。ズボンからベルトも抜き、とりあえず大きく息をついた。
 厚生係からもらった水を飲み干し、トレイに載せられた簡単な食事ををもらい、私たちはそれらを瞬く間に胃の中に入れた。やたらと大きく分厚いパンに分厚いチーズとハムをはさめたサンドイッチだった。あの国道脇の農園で戴いたトマトは旨かったが、体力の足しにはあまりならなかったようだ。食べ物を胃に入れただけで、血流が幾分早くなったように感じた。何より、パンの持つうまみと微かな甘さが沁みた。
 そして、私は言葉もなく、ベッドに横になったのだ。吐息が漏れた。そして、横になった瞬間に意識を失ったのだろう。CIDSに頼ることなく、私の身体の判別する脅威判定レベルはゼロであり、警戒スイッチも何もかもが切れた。そして私は眠った。
 一時間ほど眠ったことになる。ただ、私自身の主観では五分も経過していないように感じる。なのにその間、しっかり夢を見ていた。
 私はよく夢を見る。
 だから、私は少なくとも、<PG>ではないということだ。もとより私は自覚症状もなければ、私の実家に第二世代選別的優先遺伝子保持者を育てる由縁もなかったろう。もっとも、自覚症状の件は、「新型」の<PG>に付加された新機能に、「夢を見る」という項目が追加されていなければの話だが、そこまで疑うと、私の存在理由が脅かされる。もはや生きていくことができなくなってしまう。私にとって、夢を見ること、そしてその見た夢を鮮明に覚えていることは、当り前の自前の機能だった。
 南波の姿がかなった。彼が寝ていたベッドはきっちり整えられていた。まるで、最初から私しかいなかったかのように。
 南波。
 夢を思い出す。
 夢は……現実世界に戻ってきた瞬間から劣化していく。憶えていようと努力をしなければ、見た夢は端から劣化し、夢の中の時系列もバラバラになっていく。それを防ぐには、覚醒したとき、できるだけ詳しく見た夢を思い起こし、それを意図して記憶していかなければならない。私は勝手に「夢の録画」と呼んでいた。憶えようとする努力が不要なほどに印象的な夢ももちろんあるが、だいたいの夢は、現実世界に戻ってくると、時間を追うごと、加速度的に霧散していくのだ。
 南波。
 私はもちろん水路潜入の経験はない。そうしたMOSを持っていないからだ。実際水路潜入が必要な任務があれば、別斑が充てられる。私や南波が出撃することはない。
 ベッドに腰かける。この部屋に鏡がなくてよかった。私は今の自分の顔を見たくなかった。……泣いていたら困る。泣くって? 私が?
 一時間でも眠ると違う。水と空軍式の巨大サンドイッチも効いているのだろう。明らかに身体が楽だった。そして、頭もすっきりしていた。幾分緊張も緩和されている。
 私はふだん、あまり任務の夢を見たことがない。
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介