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トモの世界

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 何も、一兵卒から地べたをはいつくばって、穴掘って歩こうなんて思っていないんだろう? 士官学校にでも入隊するのかな? 違う? なんで? ますます分からないな。
 物好きなんだな。
 あんた、休みの日は何してるんだ? この街はいいところだな。なんでもある。暖かい。
 あんた、どこ出身だ?
 柚辺尾? ずいぶん寒いところから来たんだな。
 そうか、土地勘があるんだな、北洋州に。それでスカウトされたのか?
 俺みたいに南出身だと、あっちの寒さにはついていけない。雪がきれいだとか食い物が旨かったなんてのは、最初の一週間だけさ。あんたには悪いけどね。
 戻りたいとは思わないよ。だから訊いてるのさ。もし陸軍に入ったなら、あんたは間違いなくあっちに飛ばされる。人手不足らしいからな。いや、皮肉で言ったんじゃない。
 俺の祖父さんが、……大洋戦争のあとの動乱でね、北洋州に派遣されて帰ってこなかった。俺の祖父さんもパイロットさ。血なのかね。戦闘機に乗ってた。プロペラ機さ。分かるかね。二二式戦闘機ってね。水冷十二気筒エンジンの、すごい奴さ。機銃は二〇ミリと七.七ミリでね。機会があったら俺も乗ってみたかったな。低空だったらきっと気持ちがいいだろう。
 そう。
 飛行機ってね、あんまり高いところを飛んでも気持ちよくないんだよ。飛ぶだけでいっぱいになっちまうからな。二万メートルとか。もうそのへんまで行くと空じゃないね。
 本当に飛んでるって実感するには、まわりに何か見えた方がいい。雲でもいい。まあ、でかい積乱雲なんてのは願い下げだけどな。分からないか。分かる? あんなかに飛び込んだら、そりゃ洗濯機の中みたいなもんだ。グルグル。そんなのが真夏はね、太鼓叩いて次から次へとやってくるんだ。空に壁ができたみたいにね。遠くから見る分には、真っ白できれいなんだけど。
 飛ぶなら、そうだな、この街のタワーくらいの、あれ、何メートルあるんだ? 電波塔さ。五〇〇メートル? 案外低いんだな。下から見てるともっと高く見えるけど。上ったことはないけどね。あんた、あるのか?
 一人で?
 そりゃよくないね。あんた、学生さん、若いんだから。本当は彼氏の一人くらいいるんだろう? 聞かなかったことにするよ。
 あの塔、おれは上ったことがないんだけどな。まあ、あれくらいの高さで飛んでると気持ちがいい。道路を走ってる車も、煙吐いて走ってる汽車も見える。結局、人間は雲の上を飛んでると不安なのかもしれないね。地面が遠いからね。俺だけかもしれないが。
 結局は戻ってこなくちゃならない。
 パイロットって仕事はね、敵を撃ち墜とすだけじゃダメなんだ。必ず帰って来なきゃならない。貴重な飛行機、そして自分自身が貴重な存在だからな。無鉄砲な命知らずは、実はパイロットにはいちばん向いてないんだよ。
 そんな話はどうでもいいって顔しているな。
 あんたが俺の話を聞きたいってのは、北方戦役に参加するからか。そういうことなのか? だったらあんまり役には立たないかもしれない。それとも、「天国」の話が聞きたかったのか? このあいだ話したとおりだ。
 俺は本当に行った。
 帰ってきた。
 見たんだよ。
 だから、あれは天国じゃない。祖父さんもいなかった。妹もいなかった。誰もいなかったよ。俺だけさ。天国ってのは、死んだ連中がごまんといるんだろう? 誰もいなかった。俺しかいない天国ってなんだ? そんなところ、天国であるはずがないじゃないか。
 そう思わないか?
 だから、あの場所は、本当にあるのさ。
 偵察機?
 そんなことをしていたのか。無駄な話だな。
 空から見た地上ってのは、狭く見えるもんさ。もしかしたら、俺はあの場所を相当広く感じていたのかもしれないけど、本当は狭かったのかもしれないな。俺は正気だったが、普通じゃなかったから。そりゃそうさ。ためしにあんたも撃ち墜とされてみれば分かるよ。普通じゃいられないからな。
 海の上じゃなくてよかったさ。
 海の上だったら帰ってこられなかった。きっとね。
 冬も夏も、あっちの海は冷たいからな。地面の上で助かった。
 まあ、どうでもいいか。
 あんたは、向こうに行って何がしたいんだ?
 天国でも捜しに行くのか?
 そんな場所、言っておくがないぜ。
 ……疲れたな。
 よくもまあ、……学生さんだから暇なのか。こんなところまで来るもんだ。
 中庭? ああ、ここの中庭か。アトリウムって言うんだって? 固有名詞じゃない? あの温室だろう? ときどき行くよ。あんたによく似た女の子がいるんでね。知り合いか? 違うのか。俺は寒い場所は嫌いだな。あのアトリウムはいい。水も流れているし、木も草も生えてる。奥へ行けば果物も成ってるじゃないか。柵があるから入れないけど。
 そうだ。
 今度、一緒に行くか。
 ワタスゲの原じゃない。アトリウムだよ。俺はこの建物からはなかなか出してもらえないからな。
 おっと、そろそろ時間かね。いい時計をしてるじゃないか。嵯峨精工舎のマーク?って奴だ。俺の航空時計も嵯峨精工舎だ。高いけどな。一秒も狂わない。自動補正されてるからだって? それでもいいじゃないか。故障知らずなんだ。あんたのもだろう。……もらい物か? 学生さんが買えるような値段じゃないからな。しかもそれ、男物だ。
 いろいろあるんだな。あんたも。幸せそうな顔をしてるが、人間、外見じゃわからねぇ。
 じゃあ、また来ればいい。


   五、


 水路潜入は経験がなかった。
 私が持つ軍事特技区分(MOS)に、水路潜入のスキルは含まれていないからだ。ヘリコプターからのリペリングや空挺降下、迷彩装備を生かした隠密潜入など、そうした訓練はやってきた。が、水路潜入はチームが違う。そのMOSを持った隊員は別チームで編成されているのだ。私や南波がこうした任務に就くことなどあり得なかった。
「シグナス、シグナス、ゼロワン」
 南波の声がCIDS……ヘルメットと一体化されたイアフォンから聞こえてくる。作戦本部を呼んでいる。なぜだ。無線封鎖しているはずだ。私たちが許されているのは、衛星からの一方通行で得られる情報の表示と、高度に暗号化された個々人の体内に埋設された生体マーカーの発報だけだ。
『ゼロワン、シグナス。花は咲いたか』
 信じられない。応答が来る。
「種を蒔いた。花はあと十五分で咲く。カウントダウン」
『ゼロワン、シグナス。了解した』
 それにしても、私は……ここはどこだ?
「ゼロトゥ、」
 私は南波を呼ぶ。声帯を発振させず、口から吐息を漏らすように言うだけで、CIDSのリップマイクが解析・増幅して、相手に伝える。
「どうした」
 南波は私の前方五メートルほどを先行している。あたりは一面の水。足先がつくが、ほとんど泳いでいるような状態だ。何も見えない。暗闇だった。おかしい。CIDSを装備しているのに、なぜ見えない。水の感覚も怪しい。私は自分が相当に疲労しているか、あるいは精神的平衡感覚を失っているのではないかと一瞬恐慌に駆られそうになる。まずい。
「ここは、どこ」
「入地、」
 作戦中に、南波が私の名前を呼んだ。
「岸から上がるぞ。もうすぐだ」
「蓮見や野井上は」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介