トモの世界
「違うさ。俺がそうだったからさ。……撃ち墜とされっと、怖いもんね。飛ぶのがさ?」
CIDSもヘルメットバイザーも上げた彼の左の眉が分割されていた。大きな傷がある。外科的手術で目立たなくしているのだろうが、完全には消えていない。
「あの子は<PG>だからな」
パイロットの言葉に私は勢い、振り向く。
「やっぱり?」
「見ただけで分かるさ。どうせあんたもわかってたんだろうよ」
そうだ。伊来中尉は、間違いなく、<PG>だと感じた。遺伝子的エリートだ。生まれながらにして将来を拘束された存在。国家的エリートとして生を受けた子どもたち。
「空軍には多いんだ?」
パイロットは機長側のシートにもたれて言う。「陸軍さんには、いないのか」
「……俺の中隊にはいなかった」
「あんたは。それっぽい顔はしてるけんど」
パイロットが私を向く。飛行服のネームには、砺波とあった。砺波大尉だ。
「私は、違います」
「本当はそうだったりしてな」
南波が平淡に言う。
「やめろ」
「気づいていないだけかもしれないぜ」
「南波、」
「そういう話も、聞くなぁ」
砺波大尉が言う。
「本人が気づいていないって、あり得る話か?」
南波。私に言ったのか、砺波に言ったのか、両方か。
「いや、いずれ気づくらしい。……だいたい中等課程に入学するあたりで」
私が答える。
「なんでだ」
南波が知らないとは思えなかったが、もしかするとこの手のたぐいの話には「興味がない」のかもしれない。興味がなければ強制的に教育されない限り、知識は得られない。そして、遺伝子的エリート……<PG>の存在は、いわば公然の秘密であり、一種のタブーだ。誰もが知っていながら触れてはいけない話題。そういうたぐいの話。
「夢を見ないんだそうだ」
私は彼に答える。
「夢を見ない?」
「そう。寝ても夢を見ない」
救難ヘリの副操縦士はいつのまにか機体を離れて、私たち三人になっていた。
「それで訊いたのか、」
南波が砺波大尉を向く。
「まあ。実際、あんたァ、俺のヘリん中で目ェ閉じてたしな、顔見りゃ分かるべ。あんたァ違うって」
「俺は違うか」
「あんたは違う顔してるから、すぐわかる」
「そうか」
「いやァ、実際そうなんだわ。顔見りゃ、分かるからなぁ」
「あんたは、……砺波さんは、<PG>が嫌いなのか」
「好きとか嫌いってンじゃないべなぁ。まあ、気持ちの問題だ?」
「気持ち?」
「気の毒なんだ、」
気の毒。ちょっと違うとは思ったが、私もおおむね砺波の言葉にうなずいた。
第二世代選別的優先遺伝子保持者。Priority genetic screening children……PG。
夢を見ない子どもたち。
遺伝子的に精神的補強がされていると言われている。……言われている、というのは、今のところ政府も厚生省も<PG>の存在を公式には認めていないからだ。存在は間違いないが、見て見ぬふりをしている。夢を見ない子どもたちは、極限状態に生来強いからだ。
「フラッシュバックしない。……夢を見ないからな。悪夢も見ない。もちろん楽しい夢も見ないけど」
「うなされるってことがないのか」
「原理的には」
「そりゃめでたいな」
「南波、あんたでもうなされるなんてあるのか」
「俺は繊細にできてるからな」
「嘘をつけ」
「姉さん、ひでぇなそりゃ」
「けど、あんたらァ、耐えられっかね。夢ェ見ない人生なんて」
「俺は……夢を見たかどうかなんて、憶えてないぜ」
「でも夢を見たことはあるはずだろう」
「まぁな」
「<PG>の子たちは、まったく夢を見ないんだ」
「だったら……さっきの伊来中尉だって、また飛べるだろう、いくらでも。撃墜されたショックなんて、なんとも感じないってことだろう?」
「そう、思うべなぁ」
砺波はヘルメットを取ると、腹の前で両手で抱えた。ヘルメット一体型の航空用CIDSのインターフェースはディスコネクトされている。砺波はヘルメットを抱え、私たちは自動小銃を抱えていた。空軍基地において自動小銃を扱うのは、基地警衛の兵士と、基地防衛隊の隊員だけだ。やはり私たちは相当にここでは異質に思えた。少なくとも、<PG>のパイロットよりも、特殊作戦部隊の隊員のほうがはるかにめずらしい存在だろう。
「夢ェ見ないってことは、逃げ場もねェってことだべ?」
砺波が言う。
「逃げるって、どこに逃げる? 夢の中に逃げ込むのか? おいおい、そりゃ危ないぜ。病気だ。兵隊向きじゃないな。転職をお勧めするぜ」
南波がまぜっかえす。
「夢の世界は精神的な防御反応の避難先としては有効なんだよ」
私が答えると、南波は口を半分開き、あきれたように聞き返す。
「夢の世界?」
「そう。夢の世界」
「そんなに……、眠いのか。空軍にベッドでも借りて寝るしかないな」
「本当の話だ」
「なにがだ」
「……夢を見ないってことは、追体験も『予習』もできないってことなんだ」
「なんだそれ」
「南波、自分が死ぬ夢、見たことあるか」
「……」
「自分じゃなくてもいい。私でもいい。いや、家族でもいい。そういう夢、見たことあるだろう」
砺波は黙っている。
「……お前が殺られる夢なら、死ぬほど見てる」
「そうか、」
「俺も、何回殺られたか分からないな」
「なるほど」
「それがどうした」
「それが『予習』だ」
「なにが『予習』なんだ」
「お前の脳が、勝手に予習してるんだ。私が戦死するときの体験、自分自身がやられるときの体験を」
「どういう効能があるんだ、そんなもん。……悪夢なんだぞ」
悪夢。そうだろう。悪夢だ。
「耐性ができる。免疫みたいなものだと思えばいい。精神的な」
「免疫?」
「私が殺されるときの、シーン、とでもいうのか、それをお前は何回も『予習』して、現実に備えているわけだ」
「俺は……お前を戦死させるつもりはない」
「わかっている。けれど、夢の中での体験で、お前はもう、私が殺られたらどんな感情を抱くか、もう知っているわけだ」
「……そうだな」
「自分が殺られるときのシーンも、憶えているわけだ」
「憶えてる」
「何度も何度も見れば、……夢を見ているあいだはそれが現実としか思えないだろうが、目が覚めればそれが夢だったと分かる。夢で人生が変わることだってあるだろう」
「あるべな」
砺波が口を開く。
「それが夢の世界だ」
「伊来中尉は、それがないっていうのか。それがどうしたんだ」
「精神的耐性がないってことだ」
「強いんじゃないのか」
「フラッシュバックしない、悪夢で精神疾患を誘発する心配がゼロ、そういう面では強い。はるかに私たちより強い。けれど、『体験の予習』……これは私の言葉じゃなくて、グスタフ・ロールバッハっていう精神科医が言い出したんだけど……これがあるのとないのでは、予見される『悲劇』を実体験したとき、一部のグループで、精神的破綻を呼び込むことが分かったんだそうだ」
「なぜ、」
「その『悲劇的体験』を、あとになってから、現実と区別不能の夢として脳が追体験して、ヒトは過去にしていくわけだ。分かりづらいと思うが」
「ようするに、辛い体験をしても、何回も夢で見れば、免疫ができるってことか? 」