トモの世界
ヘリコプターの騒音が凄まじい。翼断面形状を改良し、ローターの羽ばたき音そのものが過去の機体と比べて大幅に低減されているとはいえ、ドアを開けた状態のヘリコプターはそれなりに騒々しい。ターボシャフト・エンジンの排気音やタービンブレード、圧縮機が空気をこねくり回す音もかなりのものだ。私たちはインターコムを付けていなかったから、大きな声を出す必要があった。伊来の声は周波数が高く、私の耳によく届いた。南波がぼそぼそしゃべっても、彼女の声ほどには届かないだろう。
「京には、……昔行きました」
学生の頃だ。都野崎から高速鉄道に乗り、桜の季節に行った。都野崎の桜も美しかったが、首都……京の桜は格別だと聞いていたからだ。丹野美春が京の近郊の出身だった。だから丹野美春の言葉には、独特の訛りがあったことを憶えている。都野崎から七〇〇キロ。私の生まれた北部自治域の中心都市・柚辺尾からは二五〇〇キロ近い距離。もはや別の国だ。私が育った自治域では、一度も首都へ上京せぬまま、北の果てで朽ちる者も多いのだ。
「上洛してなにを?」
「桜を見ました」
「……そうか」
人口三〇〇万人を超える大都市だが、帝国の首都として一三〇〇年以上の歴史がある。地下鉄工事をすれば数メートルおきに遺跡が出土するとまで言われる都市で、世界的にも貴重な寺院や神殿が連なる街だ。一度として外患の危機にさらされたことはなく、経済の中心地として発展した都野崎とは別の雰囲気があった。
「准尉は、」
伊来が私を向く。薄い茶色の目。南波が何か言ったようだが聞こえなかった。もう、よせ?
「私は北洋州出身です。……見慣れた風景ですよ。こういうのは」
ヘリコプターはペースを変えず、しかしゆったり旋回していた。ぶ厚い雲も、ところどころで割れ、『天使の梯子(ジェイコブス・ラダー)』と呼ばれる光のカーテンが垣間見えていた。
「殺風景ですけどね。こういうのは悪くない」
針葉樹と湿地と原野が続くその上空から、天使の梯子が下りてくる。正面左の奥側は線を引いたように真っ平らで、それはシェルコヴニコフ海の水平線だ。ずいぶん飛んだ。当初私たちが目指していた拠点など通り過ぎている。このまま空軍の前線基地まで運ばれるのだろうが、私と南波が原隊に復帰するなら、さらに高泊までいく必要があった。が、友軍の拠点までたどり着くことができれば、連絡を取るのもたやすく、また足の確保もどうにかなるだろう。まずは食事をしたかったし、わがままを言えば、シャワーも借りたかった。そして、一時間でもいいから横になりたい。南波はヘリのキャビンで目を閉じたりしていたが、眠っているわけではないだろう。ときおり頭が私を向く。
会話はそれで止まった。南波がまた私を見ていた。
(話しすぎだ)
明らかに表情はそう言っている。同盟軍の<THINK>などなくても、この程度の思考は読める。むしろわからなければ、私たちは相棒(バディ)たり得なかった。
(反省してる)
私は話しすぎるのだ。南波相手でもだ。彼はそれをわかって付き合ってくれているし、私が果てしなくしゃべる、トーキングマシンのようなものだと理解した上で、彼なりの疑問や話題を私に向けても来てくれる。本来は必要ないのだ。私たちはバディだが、それは戦闘地域や任務中だけの話で、それ以外の時間を共に過ごしたことはない。南波は非戦闘地域……本拠地にいて、完全に任務からはずれて休息しているとき、市内の料理店を廻り、肉料理を食べるのを何よりの楽しみにしているようだが、どちらかといえば私は肉より魚が好きだったし、そもそも外食は好まなかった。だから彼と食事に出かけたこともない。駐屯地の食堂で同じテーブルに着くことはあるが、それは同じチーム、同じスケジュールで行動している故の話であり、南波がいくら食堂の肉の味付けや焼き方に文句を言おうと、普段彼がどのような調理を好んでいるのを知らないから、相づちの打ちようもなかった。それでも私に最も近い人間は誰かと訊かれれば、南波だと答えるだろうし、そう答えるしかないのだ。現実、私たちは幾度となく死地を踏み越えてきたからだ。
南波はふたたび目を閉じていた。眠らなくても、目を閉じているだけで、少なくとも眼球から入力される情報は遮断できるから、その分の脳の処理能力をセーブできるだろう。意図的に耳をふさぐことができれば完璧だろうが、人間にそのような機能はなかったから、意識的にこのやかましいヘリコプターのターボシャフトエンジンの咆哮と、空気を切り裂く周期的なローター音を無視するのだ。コンピュータがなかなか模倣しきれない人間の脳の機能の一つに、「関心を寄せる対象以外を無視する」ことがあげられるという。気づかなかった。見えなかった。聞いていませんでした。感覚器としての目や耳や鼻があっても、それらから入力された情報を処理するのは脳だ。脳が関心をよせなければ、入力された情報は処理の優先順位を下げられる。
いま、南波は最低限の情報を除いて、外界から自らを遮断しているのだろう。ヘリコプターが前線基地に到着したといっても、わずかな時間しか休息は取れまい。いまはなにより歩く必要もなければ、警戒の任務はこのヘリのクルーが負っている。私も南波も休めるのだ。事実私の身体は、一種心地よい疲労感に満たされはじめていた。まずい、とも思った。この心地よい疲労感に絡め取られると、ふたたび歩くこともできなくなる。身体を再起動させるのに凄まじい労力を必要とするのだ。新兵時代の訓練でそれは身にしみて分かっていた。南波はそのあたりの切替が上手いのかもしれない。過酷で知られる陸軍の遊撃戦闘訓練を経て、その資格を持っているのだから。
私はしかし、目を閉じることなく、ヘリコプターから北洋州の殺風景極まりない晩春の風景を眺め続けた。よく見れば、湿原や原野の日なたには、可憐と形容するのが一番似合う野花が咲いている。桜よりも健気で、桜よりも目立たず、そして桜ほどに愛されないが、毎年必ず春が訪れると、桜よりも早く花弁を広げる。南向きの斜面一面を埋め尽くす、淡い青や紫のカタクリやエンゴサク、残雪の間から気も早く顔を覗かせるフクジュソウ、内地では高原でしか見られない草花……。艶やかな、という形容よりも、可憐な、という言葉が似合う草花たち。
都野崎や京の風景、雰囲気が懐かしくないはずがない。私は北部自治域の厳しい冬が好きかと訊かれれば、ためらわずに嫌いだと答える。マイナス三〇度を下回る厳冬期、溶いたばかりの青い絵の具を、エアブラシで塗ったような空、日を浴びてきらめくダイアモンド・ダスト、まばゆいばかりの新雪の平原、そうした景色を美しいとは思うが、私は冬が嫌いだった。土地の言葉で言うならば、身体の底まで「凍(しば)れて」しまうからだ。
マイナス三〇度を下回ると、空気中の水分はみな音を立てて凍りつく。車のエンジンはなかなかかからず、人家もまばらな街道を行く自動車の故障は、大げさでもなく死を覚悟させる。盛大に白い息を吐きながら歩く住民たち、凍りついた川、流氷に埋め尽くされる海、わずかな間しか顔を出さない太陽。