トモの世界
声に振り向くともう南波が私たちに合流していた。恐ろしい機動力……というより体力だ。息も上がっていない。
「狙い通りだ」
「ひきつけてどうする」
「モールリーダーからレラフライト。敵部隊を捕捉した。イルミネーターで位置を指示するから、三〇ミリでやっつけろ」
『レラフライトリーダーからモールリーダー。敵部隊の捕捉を了解。イルミネーターでロックされた目標をこれより射撃する』
「少尉、なんだって」
「引き離してやったのさ。狼煙でも上げて、もう反撃するのは止めるように伝えろ。弾の無駄だ。いや、命の無駄だ。……そこの青い目の兄ちゃんを伝令にやれないのか。戦車を穴だらけにできる心強い奴らがすぐに来るぞ。巻き添えにならないうちに行かせろ」
すでにあたりにはローターがはばたく音が届き始めていた。八二式戦闘ヘリコプターが接近しつつある。私たちが足で歩いて走った距離は、ヘリコプターにとっては無きに等しい。
「イブゲニー、ドミトリ、アベ・フチ」
ショウキが青い目の三人を呼ぶ。そして、イルワクの、というより、北方会議同盟共通語で、いくつかの文節を強く、撃ちこむように言った。
「こいつらを伝令にやる。戦闘ヘリに撃たないように伝えてくれ」
ショウキは全力疾走の影響が収まっていない。息が荒い。
「射撃が始まったら保証できない。今すぐやれ」
返事の代わりに、ショウキは目でイブゲニー、ドミトリたちに指示を出す。間髪を入れず、三人は駆けだした。ショウキがフルオートで4716自動小銃を撃つ。三十発を三秒足らずで吐き出してしまう短い弾幕だが、撃っているあいだ、敵は頭を上げられない。南波はそれを一瞥すると、4726自動小銃を構えた。銃把の右手親指の先にあるモード切替スイッチは、銃本体のシアを開放する位置ではなく、光学照準器と連動したイルミネーター切り替え側になっているのだ。ここで引金を引いても弾は出ない。
「始まるぞ。もう十数えたりはしないからな」
「二人が火線から離れるまで待てるか」
「三十秒で抜けることを祈ってくれ。ヘリはすぐに来る」
銃を構え、目標をロックしながら、南波が言った。
「ショウキ、悪いが、このあたりの家は何軒か更地になる。それはあきらめてくれ。すまないな」
ショウキは応えず、4716小銃を構えていた。敵の銃弾は確実に私たちを捉えている。援護射撃のために遮蔽物から身を乗り出していたショウキも、地面が弾け、空を鋭い音を立てて銃弾が切り裂くのを感じ、身体をひっこめた。
「来た」
蓮見。私も振り向く。
八二式戦闘ヘリコプター二機は、集落を縫うように、およそ航空機とは思えない高度で進入してくる。電線があれば引っかける高度だ。ダウンウォッシュでトタンの屋根がめくれあがっている。敵はこの二機の存在に気づいているのだろうか。おそらく気づいているだろう。私たちはその場に伏せた。
「始まるぜ」
伏せた南波の横顔には、ぎらついた目と、白い歯が見える。笑っているのだ。
『レラフライトリーダーからモールリーダー。目標確認。射撃を開始する。伏せていろ』「もう伏せてる」
『それも見えてる』
「頼んだ」
パイロットが応える代わり、八二式戦闘ヘリコプターの機首下部ターレットの長く伸びた砲身から、眩いマズルフラッシュが瞬く。三十ミリ機関砲の射撃が開始された。連射速度は装甲車両車載の重機関銃と同じくらいだが、音がすさまじい。ヘリコプターは空中に静止し、ダウンウォッシュと空薬莢と射撃音とエンジン音を暴力的にばら撒いた。砲身は機体の動揺に関係なくまっすぐに目標を向いている。敵の射撃は当然止んだ。マズルフラッシュと射撃音が私たちを襲い続ける。土煙が舞う中私は目を細め、向かって左前方に建っていた二軒の家が、射撃訓練の紙製の的を撃つように、大きな穴が一つ二つ三つと連続して空き、そして崩れていくのが見えた。ヘリの射撃手は機体を家に隠しながら、さらに家をぶち抜いて発砲したようだ。目標は南波が捉えてロックしたので、絶対的な座標がデータリンクを介してヘリコプターの火器管制システム(FCS)に送られる。ガナーは完全なオフボアサイトで射撃が可能だった。
『目標沈黙』
射撃が止んだ。私は目を開く。ヘリコプターのローター音。ダウンウォッシュ。それらの音が暴力的なのは変わりないが、射撃音がないだけで静かに感じるほどだった。
私はCIDSで敵分隊が存在していた場所を確認する。脅威判定、なし。敵を殲滅した模様だ。
「ありがとう、レラフライト」
『最初から呼んでくれ。五分かからずに片が付いたのに』
パイロットの声はいくぶん不機嫌そうだった。
「村を見てみたかったのさ」
本気なのかどうか、南波が私を向いて笑って見せた。こちらは肉声だ。オフラインでしゃべったのだ。
「さて、ショウキさんよ。あんたの天敵が悪い奴らをやっつけてくれたぜ」
ショウキが元戦車兵であり、戦車の天敵が戦闘ヘリコプターであることを揶揄した言葉だ。
「悪い奴かどうかは知らないが、礼を言うよ。……シカイたちに撃たれる前に、ヘリを下げてくれないか」
「恩人を撃つのか?」
「俺たちにしてみたら、同盟軍も帝国軍もどっちも同じだ。味方でないからな。なら敵だ」
「そりゃないぜ」
「俺は礼を言った。だかシカイたちはそう思わない。村を戦場にして、帝国と同盟が戦っているだけだ」
そうかもしれない、と私は思った。だか口にはしなかった。
「本気で言ってるんだ。撃たれたら、あんたらのヘリは撃ち返すだろう。あの三十ミリで」
「そうだろうな」
「なら下がってくれ。……あんたらも帰ってくれ。国に」
「ショウキ、最後に訊きたい。……本当に帰る気はないのか。あんたの国に」
「何度も言ってる。俺のクニはここだ。ここが俺の居場所なんだ。帰る場所はここなんだ」
硝煙の匂いが立ち込めている。南波はしかたがないな、と苦笑して首を振り、ショウキの肩を一度だけ叩いた。
「姉さん、帰るか」
まっすぐに私を見る南波の目。私にも問うているようだ。帰るよな? 俺たちの国に。
私はなるべく時間をおかずに、やはり目で返事をした。
「モールリーダーからレラフライト。瀬里沢、聞こえるか。帰るぞ。迎えを頼む」
『警戒!』
耳を打ったのはヘリコプターのパイロットの声だった。
『方位(ヘディング)三〇〇、脅威目標接近、脅威判定レベル三、FCSレーダーの照準を確認』
「なんだって、」
『上空へ退避する』
言うが早いか、二機の八二式のターボシャフト・エンジンの排気音が急速に高まり、ローターの回転が上がる。南波がパイロットの示した方角に照準器を向けた。
「こちらからは捕捉できない」
『早期警戒管制機(AWACS)からの伝送、機種不明だが地上に戦闘車両らしき移動目標を確認した』
「入地准尉、蓮見、ここから動くな。ショウキ、伏せるんだ。姿勢を低くだ」
私たちはいっせいに伏せ撃ちの姿勢を取った。
『森の中だ。森の中にいる』
『南波少尉、瀬里沢だ。敵は中隊規模だ。あんたらのいる場所へ向かってる』