トモの世界
「十五分で行って帰って来られるわけがないだろう」
ショウキが振り向かずに言う。
「方便だよ、方便。連中は三十ミリをぶっ放したくてうずうずしてる。そんなことをしたら、敵がかえって勢いづいちまうぜ」
「あんた面白いな。少尉殿」
「面白いからこの職業についたんだ」
「変わってる。俺は……戦車に乗りたかっただけだ。戦車で闘いたかったわけじゃない」
「不純な動機だな」
「少尉殿、なんであんたは陸軍に入ったんだ。それも五五派遣隊なんかに」
「もともとハケンにいたわけじゃない。俺は一般部隊出身だ。この姉さんや蓮見のお嬢ちゃんみたいに、選抜されたわけじゃない。志願したんだ」
「なぜ」
「年中最前線にいられるからだ」
「なに?」
「飽きない。俺は退屈したくなかった。死ぬほど銃も撃てるしな」
「一番死にやすいんじゃないか」
「違うさ。第五五派遣隊は、隊員あたりの戦死者は少ないんだ。負傷者もだ。質が高いんだ。だから場数を踏める。場数を踏めば踏むだけ、精強になれる。いろんな現場に行けるからな。毎日毎日鉄砲をばらして組み立てて穴掘ってなんて日常に飽き飽きしていたんだ」
「志願して配属させる部隊じゃない。どういう力を使ったんだ」
「それは秘密だ。ショウキ、原隊に復帰したら応募の方法を教えてやる。どうだ、魅力的だろう。俺たちと一緒に、最前線巡りの旅をしてみないか」
「あんた、いかれてるよ」
「俺への賛辞ってことでいいな、姉さん?」
私は応えなかった。南波がどういう経緯でこの部隊にいるのか、しかも一般部隊出身で二六歳でなぜ少尉なのか、その辺の話は今まで一度もしたことがなかった。私たちは南波が言うとおり、常に最前線を渡り歩いてきた。戦死者も少なからずいる。だが、人数あたりの戦死者が少ないのは本当だ。チームが全滅した作戦もあったが、小隊規模で全滅する一般部隊とはボディカウントの桁が違う。実際、死傷者数の「割合」が全部隊中最小に近い数値なのは事実だった。裏を返せば、どんな戦場に放り込まれても生き残り帰れるような訓練を叩き込まれているということ。戦場にいないあいだも地獄のような訓練が私たちを迎えてくれる。それは非日常であり、日常だった。
「少尉殿、もうすぐだ。見えた」
ショウキは言いながらも駆けつづける。けっして止まらない。銃声が近い。
「ショウキ、俺たちの接近を悟らせるなよ。もっと低くだ。青い目の兄ちゃん三人にちゃんと伝えるんだ。発砲は厳禁だ。撃ったら撃たれる。撃ち返す間もなくやられるってな」
南波が言わんとすることは、軍隊経験のあるショウキにはよくわかるのだろう。鋭く後続の三人に伝え、さらに姿勢を低く、私たちは進んだ。
「白兵戦になったらどうする」
誰に言うともなく、南波の声が耳に届いた。生々しい。CIDSでノイズをフィルタリングし、言葉の持つ力が増幅された南波の感情そのものが私の耳に届いてくる。
「そこまで接近するのか」
私が返す。
「姉さん、あんたは猟をやっていたんだろう。猟も狙撃も通じるところがある。それはなんだ」
「ここで兵学校の講義か」
「そんな講義はない」
「じゃあなんだ」
「姿勢を低くしろ、茂みを利用しろ……、猟も狙撃も、敵にいかに近づくか、それだろう。違うか。弾なんてものは、遠ければ遠いほど当たらない。接近すればそれだけ当たる確率は上がる」
「弾数を増やせばいい。撃ちまくれば」
「姉さん、そんな答案じゃ零点だ」
「じゃあなんだ」
「だから言ってるだろう。近づけば近づくほど、敵を倒す確率は上がるってことだ」
「南波少尉。普段と言ってることが違う。『戦いは多勢が無勢を袋叩きにするのがセオリー』。『敵が気づきもしない遠方から一方的に攻撃して、さっさと逃げる』。そんなことばっかり言ってるじゃないか」
「建前だ」
「じゃあ、いまもギリギリまで接近したいのか」
「近づいたら、斃せるな。ぞくぞくしないか、こういうの」
私はそこで気づいた。南波はまったくもっていつもどおりの南波だった。戦場が好きなのだ。とにかく、戦闘が好きなのだ。フレグランスよりも硝煙の匂いが恋しいのだ。投機的作戦に投入されたとき、彼は最も生き生きとした表情で、しかし、困り果てたふりをして、ある時は空挺降下に備え、ある時は水路潜入を行う。そしてときにこういう。
「旅行だって遠足だって作戦だってなんだって、目的地に行くまでが一番楽しいんだ」
前方でまた激しい射撃音が響き渡る。銃口が彼我どちらに向いているか、慣れればわかるようになる。銃声は銃口から弾けるからだ。スピーカーの後方よりも前方で、音はより大きくまっすぐに響く。
「警戒、低くしろ」
南波の声に私は地面に伏せるように身体を低くする。光学照準器を覗く。敵の姿は見えないが、音だけはよく聞こえた。
「南波少尉、どうするんだ。少尉殿、このまま敵の正面に回るのか」
ショウキが南波のわずか後ろについて言う。
「それは自殺行為ってもんだ。いまは、無勢に多勢だ。敵の戦力が我々を上回っている」
「後方に控えていらっしゃるあのヘリコプターをなぜ呼ばない」
「強力すぎる。連中が本気になったら、ショウキ、あんたのお仲間も無事じゃすまないぜ。それは困るだろう」
「じゃあどうする」
「せめて無線でもあればな。……撃ち返してるぜ、あんたのお仲間が。まさか、ボルトアクションのライフルしか持ってないってことはないだろうな」
「いや、それに近いと思う」
「よし、姉さん、蓮見、俺が十数えたら突っ込む。あそこに見える窓に白い花を飾ってある家のところまでだ。いいな、十数えたらだ。合図はしないぞ。俺が数え終わったら全速力で走れ。走るだけだ。撃つな」
「わかった」
私が答える。蓮見もうなずく。
「数えるぞ。いち、にぃ、さん」
数えながら、南波はにじり寄るように歩き始めた。
「よん、ごぉ、ろく」
やけに間延びした言い方だった。まるで、そう、子供が裏路地で遊ぶときのような。そう、かくれんぼか鬼ごっこだ。
「なな、はち、きゅう、じゅう」
言い終わると同時に、私と蓮見、そしてショウキたちはダッシュ。南波は続かず、その場で膝撃ちの姿勢を取り、三点射で射撃を開始した。乾いた銃声が響く。
「姉さん、止まるな、そのまま走れ!」
私は応えず、走った。足場は茂みで悪い。道もない。が、こういう場所は慣れている。散々訓練でも走らされ、私たち全員が道なき戦場を走り回ることが当たり前になっている。白い花を窓辺に飾ったあの家まで、全速力で十秒。私は走りながら目算する。この足場と装備なら、五十メートルと少々。振り返らず、走る。振り返りながら走ると、軌道がずれる。南波の射撃音は、私たちが家にたどり着く寸前に途絶え、耳に南波の発する言葉にならない声が届いてくる。まるで鬨の声だ。
「近づいた、さあ、トモどうする」
ショウキの顔に汗が浮いていた。
「少尉を待つ」
「姉さん!」
蓮見が鋭く言う。CIDSに警戒情報。敵がこちらに気づいた。移動目標複数、分隊規模だ。遮蔽物に身体を隠すが、イルワクの建物は木の板で作られているから、気休め程度にしかならない。ライフル弾なら貫通する。
「こっちに来たか」