トモの世界
「手段は使いこなせて何ぼだ。姉さんも蓮見だって、ずいぶん歩いてあの村にたどり着いたんだろうが」
「そうだな。歩いたな」
ヘリコプターはまだローターを回している。回転翼は翼端形状を分析することで、より騒音を減らす構造になっている。理論は以前から存在していたが、実現には、複雑な形状を現実のものとするための複合素材の開発を待たねばならなかった。だから、私たちのヘリコプターは、思った以上に騒音は少ない。むしろ、ターボシャフトエンジンの排気音が耳に届いてくる。高周波は直進性が強い。だが遮るものがあれば音は届いてこなくなる。ふとヘリの存在感が薄れたのは、私たちの進路が変針したからだ。
「そろそろ入り口ってやつだな……人の気配がしないぜ」
すでに数戸の家が見えている。だが煙突に煙がない。確かに人の気配がない。私の肩ほどまでに伸びた草が視界を限定する。着陸地点はよくなかったかもしれない。ここは村の北側だ。滞在中もこちら側に来たことはなかった。
「南波、すこしゆっくり行ってくれ」
「なんだ、」
「……確かに誰もいない」
私はCIDSのサブウィンドウからコマンドを選択し、衛星からの情報を参照する。軍事偵察衛星は、写真を撮影するように上空から狙う光学衛星と、戦闘爆撃機が搭載するものと同じ原理を用いる合成開口レーダー衛星がペアとなる。衛星は空軍と情報本部が管理しているが、たえず戦域に滞空しているわけではない。地球の周回軌道に乗っているからだ。しかし、衛星は一組だけではない。北方戦域全域を二四時間体制で監視するため、複数組の衛星が椛武戸上空を通過するシフトになっていた。私は最新の衛星情報を呼び出す。
CIDSは衛星とダイレクトにつながっていない。情報本部で解析、抽出された画像を、各個人の端末がダウンロードする形だ。もちろんほぼリアルタイムといっていい更新頻度だが、本来はこれに早期警戒管制機や偵察機の情報も加味される。全面反攻を目前にしたいま、私たちが行動しているイルワクの村は、その網の目がより狭まっている地域に該当しているはずだ。
「村は……誰もいない」
ディスプレイに表示された情報には、少なくとも、私が過ごしたときのような、人の動きはなかった。
「おい、どういうことだ? わざわざ知らせに来る必要はなかったんじゃないのか? お前に弾の缶詰をプレゼントしてくれたっていう戦車乗りはどうした?」
南波は立ち止まり、姿勢を低くしていた。警戒。
「南波、」
続けようとして、私はその場に固まった。茂みを掻きわける小さな音がしたからだ。
「Замри(ザムリ)」
低い声。ブーツが草を踏みしめる音。
私は両手を4726自動小銃から離した。
「入地准尉、」
「南波、動くな……」
私は両手を肩の高さまで上げて、足音へそっと頭を回す。
「ショウキ……」
「あ?」
南波が振り向こうとした。そのとき、彼のすぐ右手脇の草むらから、銃身が伸びて、南波の首筋辺りを照準し、止まった。
「Замри」
ショウキだった。低い声でもう一度言われた。
「そっちの言葉で言ったほうがよかったか。『動くな』だ」
「待て、ショウキ」
ショウキは4716自動小銃を構えている。銃床が折り曲げ式の、光学照準器やフラッシュライト、イルミネーターの類でドレスアップしていない、戦車搭乗員が戦闘用に装備する五.五六ミリ口径の自動小銃だ。
「あんた、何しに戻ってきた」
不必要に間合いを詰めてこない。近接戦闘の訓練をある程度受けた者だけが知っている間合いだ。戦闘訓練を施された兵士が至近距離に接近すると、銃を使わずとも敵を倒す方法を少なくとも五つは瞬時に見いだせる。手足は言うまでもない。あるいはナイフ。その手の類のものなら、私たちが装備するもの以上に「実戦的」なものがいくらでもこの村にはあるのだ。ショウキが間合いを保つのは、私たちが同じような手段で相手を斃す訓練を受けていることを熟知しているからだ。
「……名目上は、ショウキ、いや、八田堀伍長。あんたを連れ戻すため」
「名目上? 俺は言ったはずだ。俺は帰れない。だからあんたにとっておきの道具をくれてやった。……あんなものは俺たちが持っていても使い物にならないしな」
CIDSのことだ。確かにアップグレードも何もしない状態では、シカを撃つのにも役には立たないだろう。
見るとショウキは、一世代前の帝国陸軍兵士の標準的な戦闘装備を纏っていた。ヘルメットこそかぶっていないが、首から下はまったく隙のない「着こなし」になっていた。国籍や所属部隊を示すパッチはすべて外されている。
「……あんたが脱走兵か」
南波が口を開く。
「南波、よせ」
左側の茂みからも、銃身がのぞき、そして銃を保持した本体……人間が姿を現した。
「驚いたよ。気配がしなかった」
南波も両手を、やや大げさなほどに上げている。
「あたんらは便利な道具に頼り切るからだ」
ショウキが言う。
「そうだな」
南波は首を振る。
「少尉殿、余計な動きはしないでいただきたい。両手は首の後ろで組んでくれ。あんたらの両手を自由にしておくのは危険すぎるんでね」
黙って南波は従い、首の後ろに手を回して組んだ。
「それでいい」
ショウキは銃を構えたままだ。茂みから現れた村人は、私が出会ったイルワクの伝統的衣装をまとっていなかった。防弾ベストにチェストハーネス。そこには予備弾倉がつめこまれている。戦闘服の迷彩パターンは、ショウキと同じ、一世代前の帝国陸軍のものだ。足元は毛皮の靴ではない。通気性と耐久性に防水性と、相容れない性能を最大公約数的に実現した軍用ブーツだった。手にしているのは4716自動小銃だ。まるで友軍部隊と合流したかのような錯覚すら覚える。だが正規軍のそれと決定的に違うのは、戦闘服もベストもハーネスも何もかも、相当にくたびれており、ほつれや破れまで見られるところだ。ずいぶんと野性的なスタイルで、むしろ私たちの最新装備よりよほど迫力がある。
「なんの真似だ。戦闘訓練か」
南波の口調は軽い。
「ボルトアクションの猟銃に、クマの毛皮でも着て現れると思ったか。それはステロタイプすぎるってもんた。俺たちもあんたらも、同じ時代を生きているんだぜ」
私の表情を見てか、ショウキが言う。怒りすら含んだ声音だった。
「だが、ヘリで軒先に着陸しなかったのは感心だ。さすが礼節の軍隊だな」
「下から撃たれても嫌だしな」
南波が合いの手を入れるように言う。
「少尉殿。俺の小隊長があんたみたいなタイプだった。あんた、武家の出か」
「武家? バカな」
「違うのか。少尉殿。あんたの立ち居振る舞いに口上は、武士の匂いがする」
言いながらショウキの銃はまったくぶれず、私を捉えたままだ。茂みから現れたのはショウキを入れて四人。よく訓練されている。私はそんな印象を持った。
「トモ。あんたも変な動きはよすことだ」
ショウキの目が鋭い。獲物を狙う猟師の目と、敵を捉える戦士の目。その両方が混ざっている。蓮見も完全にホールドアップ。背後から銃を突きつけられていた。もちろん、一定の間合いを保持したまま。
「訓練はあんたがやったのか」
私が問う。