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トモの世界

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「イメージが違うんだ。私が歩いた場所は確かにワタスゲの群生だったけど、撃破されて擱座した戦車もあった。撃ち落とされて地面に刺さったみたいな飛行機の尾翼も見えた。十字架みたいだった。けど、あそこは天国とは程遠い場所だったよ」
「それと日常がどう結び付くんだ」
「私の場合は、地続きだったんだ」
「地続き?」
「南波たちと分かれてから、蓮見と歩いて行った。一本、湿原の端から南へ、ずっと道が続いていた」
「道?」
「道路じゃなく、道。驚くほどくっきりと、人がひとり歩く幅で、ずっと続く道だよ」
「そんな道があるのか」
 意外そうな顔をして南波が言う。
「あった。蓮見と歩いたんだ。気づいたら、ワタスゲの原にいた。あのパイロットたちが言っていたような、見渡す限りのワタスゲの原だった。でも、私はそこが天国の入り口だとは思わなかった。疲れていた。とにかく国境まで歩こうとね。むしろ、朽ち果てた戦車のほうが脅威に感じたよ」
「案外まともな精神状態だったんだな」
「私を疑っているのか」
「瀬里沢じゃなくても、多少はな」
「心外だ」
「続けてくれよ。で、その風景がどうやってあんたの日常を喚起したんだ?」
「私が都野崎の病院で聞き取りをしたパイロットたちは、空中から突然ああいう場所に放り出されたんだ。突然彼らの日常は断絶されたんだ。円波少尉が言ったとおり、冬なら海に落ちなくても、十分に遭難する気候だから、初夏の印象が強くなるのは当たり前だと思う。……ワタスゲが一面に咲くのは、季節の中では短いんだ。ほんの数日、それくらいの短さなんだよ。ねえ南波、いままで北方戦役で戦死した味方の数は知っているか」
「知らないね。そうした数字にはあまり興味がない」
「一万三千人」
 蓮見が短く答えた。
「蓮見、お前そういう数字には強いんだな」
 南波のまぜっかえしに蓮見は応えなかった。
「傷病兵はその三倍以上だよ。戦闘中に行方不明になった兵士の数は二千名を下回らない」
「死者行方不明者数、一万五千人ってことか」
「メディア風に言えばね。けれど、死んだのと行方不明では天と地も違う。文字通りね」
「行方不明者は地面をうろうろしているかもしれないって?」
「自力で生還した者が、『帰還者』ってこと。……条件的には私も蓮見もそれに入るんだろうな」
「当り前だ。帰ってきたんだから」
「原隊に復帰しただけだ。『帰ってきた』わけじゃない」
「まだ姉さんは行方不明ってことかよ」
「どこへ帰るんだ」
「部隊へだ」
「部隊が私の日常?」
「蓮見流に言わせれば、非日常の連続かもしれないが。けど、俺にとってはこれが日常だよ」
「行方不明になって帰還した人数、知ってるか、蓮見」
「一割もいないんだよね」
「そうだ。そのうち、航空要員はさらにその半分以下だ」
「五十人くらいかよ」
「定義があいまいだから、行方不明者数にカウントされていない帰還者もいるようだけど。研究室時代に追跡調査しようと思ったけど、防衛機密とやらに阻まれて、せいぜいが帝大病院で聞き取りが許された程度だった。……みんな、現実感を失っていた」
 円波少尉は機長に促されて私たちからは視線を外していた。南波だけがずっと私を向いている。
「あのワタスゲの原と、イルワクの村は、地続きなんだ」
「それが、あんたの忘れものだと?」
「柚辺尾の街とあの村は何も変わらない」
「全然違うんじゃないのか」
「同じだよ。人が生活している場所なんだ。……私はパイロットたちが迷い込んだワタスゲの原……天国なんてものがあるのなら、その入り口を探してみようと思った。全員が共通して同じイメージを持っていることにも疑問を感じたんだ。合理的に考えれば、遭難時期がみな似かよっていて、たまたま撃墜された空域が近かっただけかもしれない。洋上で撃墜されたパイロットの生還率は極端に下がるし、敵勢力下に降下すれば、すんなり帰国できるわけもない。悪天候時は航空作戦が遂行される率も下がる。結果的に、初夏の好天時の作戦で、有視界戦闘に陥ったパイロットの被撃墜率が上昇し、それで同じようなイメージが共有されるのかもしれない」
「俺はそれが真実だと思うけどな」
「じゃあなんで北方戦役で遭難したパイロットはみんな、精神科にぶち込まれているんだ。みんな、それまでの日常を忘れてしまったみたいに、元の生活に戻れている人間なんてほとんどいない」
「偵察機が見つけられない『入り口』がまだあるのかね」
「湿原は低地にいくらでもある。どこだって同じだよ。……私たちは、唐突に時間軸をぶった切られると、日常を認識できなくなるんだ」
「パイロットたちはそれだと?」
「私はそう思う」
「それと猟師村がどう関係するんだ」
「瀬里沢や、南波が危惧したとおり、……あの村に取り込まれそうになっていたのは私だったんだと思う」
 私は抵抗した。そうだ、私は原隊に復帰することを、国境を越えることをただ第一に考えていた。あの村を拒絶しようとした。ターニャの家での最初の夜、それがこらえきれずにあふれだした。私はさらにそれを認めることを拒み、かたくなになった。結果、私の戦闘的な日常は、あの村で断絶された。
「私は……、高泊で訓練に明け暮れていた新人時代から、もういくつ目になるのかわからない今回の作戦まで、戦闘に参加するのが日常だと感じていた。空を見上げたり、風の中に匂いを嗅いだりするのも、戦闘行為だった。そうしないとやられるからだ。でも、私が陸軍に入った目的は、天国の入り口を探すことだった。それで、天国なんて存在しないって、自分に理解させようと思った。日常は私が死ぬまでだらだらと続くもので、それは北洋州から都野崎に出て、ふつうの学生として過ごしていたときも思っていた。
 でも、北方戦役で……天国の存在が兵士たちの間で話題になっていると知って、私は気になったんだ。天国なんて日常じゃないだろう。そこで私の日常を断絶できるかもしれない。いや、反対だ。私の日常を、天国の入り口まで維持できるかもしれない、そうすれば、私の世界は、不変なんだって」
「それでわざわざ志願して、俺のチームに来たのか」
「そうだ」
「蓮見の動機のほうが、よっぽど明快で分かりやすい」
「そうだな」
「で、猟師村の件は」
「……日常を断絶できていない人間が一人いるんだ。彼を、……連れ帰りたい」
「……何のことだ?」
「私と蓮見のように、戦闘中に部隊とはぐれて、そのまま天国の入り口を通り過ぎて、もう一つの日常に埋没した兵士がいるんだ。私に弾薬をくれた男だよ」
「脱走兵か」
「脱走していない。行方不明の一人だ。二千分の一だ」
「初耳だ」
「弾薬をもらった話はした」
「イルワクの連中が友軍の装備を持って行ってるんだと思っていた」
「元戦車乗りだと言っていた。彼を連れ戻したいんだ。その戦車乗りはまだ、あの村で夢の中にいるんだ」
「今度は夢か」
「私と同じ、地続きで天国の入り口を通り過ぎた人間だよ。日常を断絶できなかったから……平穏な村の風景を拒絶したから、夢を見ているみたいに、今を日常だと認識できていないんだ」
「……姉さん。いまのあんたもそうなのか」
「どっちがどっちかわからなくなってくる」
作品名:トモの世界 作家名:能勢恭介