トモの世界
「いったん高泊まで戻ったのか」
「三日かかったさ。部隊を再編制して、縫高町の北のはずれまで戻った。それがおとといだ。お前と苦労して奪取したあの町は、ようやく友軍勢力下だ。もっとも、建物らしい建物はろくに残っちゃいないが。橋も完全に川の中だ。……懐かしい話だな。あのときだったな、文字を持たないなんちゃら族の話をしたのは」
「そんなに時間はたっていない」
「俺にはもう何年も前のような気がする」
「私にはついこの間の話だ」
「時間ていうのは、」
南波がドアガンから身体を離した。すでに機体は海の上だ。
「時間ていうのは人それぞれ、相対的に流れているってのは本当なんだな」
「それは体感的な問題だろう。時間の流れは、この星の上にいる限りは絶対的なものだ」
「そうと言い切れるか」
「違うのか」
「リンゴは赤い。じゃあ赤い色を説明してくれ。そういう話だよ」
「なんか違う気がするな」
「どこも違わない。時間も、感覚も、ぜんぶ主観的なものだよ。私は南波の一時間を体感できない。南波が見ているリンゴの色を説明できない。時間の流れは確かに時計を眺めている限りは絶対的なものかもしれない。けれど、個々人にとってそれがまったく同じ尺度かというと、それはわからないよ」
「理屈っぽいのは相変わらずだな。安心したよ。それでこそ入地准尉だよ」
「なにがだ」
「イルワクの村にホームステイなんかやらかして、すっかり自然人に戻ったかと思っていた。お前、本当にイルワクの村にいたのか」
「いた」
「よく帰ってこられた」
「その前に、あの戦闘からの生還を褒めてくれ」
「戻ってきて当たり前だ。蓮見とお前ならきっと帰ってくると思っていた」
「私も、南波なら、」
私はヘルメットを脱いだ。スライドドアから吹き込む風は潮くさい。髪が乱れた。
「なんだ、」
南波がこちらを向いている。どこから湧いてくるのかわからない生命力にあふれた目。この男なら、ターニャの家に招かれたところで、夕食の鍋を一人で空にし、ベッドで大の字になり、翌朝には家を出ていくに違いない。
「お前なら無事だと思っていたよ」
「当り前さ。だが、戦車部隊にくっついて歩くのはもうごめんだな」
「徒歩行軍か」
「歩兵戦闘車(IFV)は満員だったんだ。あれの天井(ルーフ)に乗る気はしないからな」
「足並みが揃わなかったろう」
「前面から派手に撃ちこまれた。航空支援のない陸上部隊なんて、弱っちいもんだぜ」
「どうやって前線から後退したんだ」
「簡単さ、」
蓮見をちらりと見る。眠っていた。ヘルメットがかしいでいた。だが、手に持った4726自動小銃は離さない。
「部隊そのものが敵の攻撃をかいくぐり、後退したんだからな」
「撤退したのか」
「海軍さんが言っていた通りさ。敵のプラント攻撃に失敗したんだ。投入していた全部隊は一時国境の南まで戻るよう下命された。それに、砲撃支援をするはずだった艦隊までやられたからな」
「被害の状況は」
「重巡洋艦、二隻が沈んだ。一隻は大破。駆逐艦三隻沈没。空母一隻中破。空母が沈まなかっただけよかったな。戦艦は被弾したが、航行に支障はなく、高泊まで戻ったよ」
「で、いま展開している艦隊は」
「南大洋にいた第一艦隊さ。第二航空艦隊とセットで北上し、北洋艦隊の主力と合流して総攻撃する手はずだったのに、合流する相手がやられちまったから、とりあえず沖合で様子見。空母が二隻いるから、この間のようにはいかないだろう」
「海軍は何を考えているんだ」
「変わらずさ。敵のプラントを攻撃するのさ」
「なぜ私たちに奪取命令が出ないんだ」
「敵の部隊が強力すぎるのさ」
「それはいつものことだ」
「規模がデカすぎるのさ。向こうも北極艦隊がおいでになってる」
「艦隊決戦でもするつもりか」
「アウトレンジされて終わりだ。お船はな」
「手に入れられなければ破壊せよ」
「そういうこった」
「航空攻撃主力で行くんだな」
「いや、強襲揚陸艦も来ている」
「着上陸作戦か」
「だから、俺たちがこんなに早く姉さんたちを迎えに来られたんだ」
「陸軍も越境して?」
「二二師団の戦車大隊が国道を北上中さ。というか師団そのものが北上中。空軍も幌住(ポロスム)の空港を前線基地にしちまった。八九式支援戦闘機と八一式要撃戦闘機が二個飛行隊ずつ展開してる」
「本気ってことだ」
「そう、俺たちはいつだって本気だ」
「で、このヘリコプターはどこに向かってるんだ」
「洋上から、北へ向かう」
「北!?」
「南に帰ってどうするんだ」
「私たちを迎えにきたんじゃなかったのか」
「救出しに来た。そう思ったのか」
「違うのか」
「半分当たってる。姉さんのパーソナルビーコンが十日ぶりに復活した。俺はすぐにでも救出に向かいたかったが、たかだか少尉ごときの上申で、戦闘ヘリに七七式を飛ばすこともできない。ところがだ。プラント攻撃の前衛に、われらが五五派遣隊に出撃命令が下ったとしたらどうだ。姉さんにかわいい蓮見を拾い上げることも可能ってことだ。そういう流れだ。俺たちはこのまま、プラント攻撃の前線へ向かう。だから姉さん、休暇はもう少し後回しだ。悪いな」
「私は、いいさ。……蓮見ががっかりするな」
「蓮見も元気そうで安心したよ。……顔つきが変わったな」
眠り込んでいる蓮見を眺めて、南波が感心したように言う。
「そうか」
「険が取れた」
「だから心配なんだ」
「イルワクに取り込まれたか」
「……可能性はあるかも」
「本当に?」
「さあ……銃は撃てるようだから、とりあえずは大丈夫だろう。でも、今回はお前に張り付かせてやりたい……。私は不安だ」
ヘリは洋上を低空飛行。陸上でたとえるなら、地形追随(NOE)飛行に近い。波頭がすぐ眼下で砕けている。しぶきがメインローターで巻き上げられ、虹が見える。レーダーを避けるため、海面を舐めるようにヘリコプターは飛行していた。ひどく揺れる。機体は高度に制御されているが、パイロットの技量による部分もかなり大きい。空は晴れているが、波はうねりをともない、機体をレーダーから隠すにはちょうどよい状態だろう。
「どこまで行くんだ」
「またぞろ海軍さんの世話になるのさ」
「海軍第七二標準化群(ナナニー)とまた共同作戦か」
「いや、」
南波は私を向き、白い歯を見せた。
「もうすぐ見えてくる」
窓の向こうに顎をしゃくってみせた。私のCIDSが正常に機能していたなら、機体を透かして進行方向をビジュアルIDできただろうが、いまはそれができない。南波はそれを見透かすように私に言う。
「姉さんのCIDS、よく動いているな。どうしたんだ。修理したのか。俺のはEMPで回路を焼かれたぜ」
「予備パーツをもらったのさ」
私は小銃の棹桿を一度引き、薬室から弾を一発抜き、それを南波に渡した。
「なんの真似だ」
受け取り、そして表情をしかめてみせた。
「イルワクの村で猟銃の弾でももらってきたのか。ずいぶんと年季の入った弾だ。賞味期限が心配なところだな」
「私たちに配られているのと同じ弾さ。ただし、七年落ちだ」
「七年落ち? イルワクの連中が、俺たちの弾薬でも横流ししてんのか」
「もらったのさ。味方(フレンドリー)に」