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真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』

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 「何だよ? また俺変なこと言ったか?」
 「え、いやいや何でもないよ。ありがとうね。あと、呼び方は紗英でいいから。明坂秀」
 そう言って紗英は俺に笑顔を向けた。
 「じゃあ二人とも気をつけて。じゃね」
 紗英はそう言い残すと、小走りで向こうの建物の方に向かう。しかし、少し俺たちとの距離が離れた時、突然彼女はこちらの方に振り向いた。俺たちが訝しがっていると、紗英は躊躇いがちに、
 「ねえ、明坂秀!」
 と俺の名前を呼んだ。
 「なんだよ?」
 俺はそれに応じて答える。
 「……男ってさ、あ、あの……」
 榎本は何かを言いかけるが、声が小さすぎて俺の耳にはほとんど届かなかった。
 「男が、どうかしたのか?」
 「やっぱりなんでもない!」
 紗英は大声でそう言うと、今度こそそこから走り去ってしまった。

 彼女と別れた俺たちは、またさっきの駅から電車に乗り込んだ。電車はさっきと同じ風景を逆に進む。俺はいつしか眠りに落ちていた。
「起きて秀。着いたよ」
 耳元で真冬の声がする。俺は目を覚ますと辺りを見回した。
「どこの駅?」
「学校と私たちの駅の間の駅」
 要は俺たちの駅から一個目の駅ということだ。俺は真冬に手を引かれて電車を降りた。駅から数歩歩くと、眼前に大きな建物が広がった。それはマンションだった。しかもかなり綺麗な外装をしていることから、ほとんど新築であることが分かる。俺は相変わらず真冬に手を引かれ、そのままそのマンションのエントランスに入った。
 真冬は俺の手を引いたままオートロックの番号を入力し始める。押し終わると、数秒後に声が聞こえてきた。
 「……何か用?」
 気だるそうな声がエントランスに響く。
 「ちょっと用があるんだけど、いいかな?」
 返答はない。しばらくすると扉が静かに開いた。俺は思わず真冬の表情を窺う。だが彼女の様子に変化はない。真冬は普段と変わらない様子で「行こう」と言うと、やはり俺の手を引いて歩き出した。誰の家かは予想通りだった。プレートには『武内』と書いてある。真冬がインターホンを押した。
 しばらくして扉の向こうから足音が聞こえた。そして、ゆっくりと扉は開かれていった。暗闇の中に二つの光が浮かび上がる。俺は思わず後ずさった。
 「こんにちは日和。突然来ちゃってごめんね」
 真冬が申し訳なさそうに言う。すると玄関に明りが灯され、そこにいた人物の全体像がようやく明らかになった。髪の毛をショートボブにし、フレームの薄い眼鏡を掛け、テンションの低そうな顔に、上は学校で着ている薄黄色のカーディガン、下は丈の長い黒のスカート、そして足元はサンダルのその人は、俺たちのクラスメート、武内日和に他ならなかった。
 「用があるなら、とりあえず入って」
 武内は言葉少なに俺たちを室内に案内した。
 一人暮らしの部屋ということなのでワンルームを想像していたのだが、俺のそんなチャチな想像など余裕で凌駕するほどの光景が眼前には広がっていた。そこは一つの家族が暮らせるほどの広さだった。玄関から廊下を通り案内された部屋には、大きなテーブルが置いてあり、その周りには椅子がいくつも並べてある。テーブルの上は綺麗に片づけられていて物一つ置いていない。テーブルの向こうには大きなソファーがあり、その更に向こうには三十インチはあるテレビが置かれている。そして左手には襖があり、その向こうはどうやら和室があるようだった。部屋には物は全く散らかっていない。だが、綺麗に掃除されている、と言うには些か語弊があるようにも思われた。この部屋にはそもそも、物が置かれた形跡がないのだ。それはつまり、物が片付けられたのではなく、初めから物がないということだ。物はない上に、一人暮らしにはあまりに不釣り合いなこの広い部屋。俺はもう違和感を覚えるより他になかった。
 「あんまりジロジロ見ないでください」
 気付くと武内が俺の隣にいた。
 「あ、スマン。つい……」
 俺がそう言うと、武内はフンっと言って台所に向かった。
 「日和、手伝うよ」
 真冬は俺たちにお茶を出そうとしている武内に向かって言った。しかし武内は「いいから座ってて」と言って真冬を制した。俺たちはとりあえず椅子に座ることにした。
 しばらくして武内は俺たちにお茶を出してくれた。もちろん自分の分もある。武内は無言で、自分で淹れたお茶を啜っている。室内を沈黙が包む。いつもは賑やかな真冬ですら何の言葉も発しない。三人はただ黙ってお茶を飲み続けていた。
 十分近く経った時、ようやく武内は口を開いた。
 「それで、何の用事?」
 「ちょっと遊びに来ただけ」
 俺が思うにこれは真冬なりのギャグだったのだと思う。ちょっと遊びに来てこれだけ雰囲気が悪いなんてこと普通はあり得ないからな。だが武内はニコリともせずまた無言でお茶を啜り始めてしまった。俺はふと視線を武内の方に移す。武内の湯呑の横には文庫本が置いてあった。俺はその本の作者に心当たりがあった。
 真冬は言った。こっちから話しかければ答えてくれると。この嫌な雰囲気を打破するためにも、俺は彼女と会話をすることにした。
 「その本の作者、南かなえでしょ? その人の本面白いよね」
 俺は極力笑顔を作って言った。
 「…………うん、そう思います」
 再び空気が死んだ。俺はお手上げのつもりで横の真冬を見た。真冬は何も言わずにただ武内を見つめていた。
 「真冬?」
 心配になって俺が声を掛けると、突然真冬が声を上げた。
 「ねえ日和、あなたが納得できない気持ちは分かる。でも、彼は、あの人とは違うから……」
 「帰って」
 それは明らかな拒絶だった。真冬の言葉の意味は俺には少しも理解できなかったが、武内の短い言葉は、自分とは絶対に相容れない、それをはっきりと宣言するものだった。真冬は明らかに険しい顔をしている。あんなに表情を歪めている彼女を、俺は今まで一度も見たことがなかった。だから俺は動揺していた。多分そうなんだ。そうじゃなかったら、俺はこんな余計なことは言わないはずだから。
 この家に来た時から俺はあることが気になっていた。俺は、なぜかこのタイミングでそれを尋ねることにしてしまった。
 「武内、お前カーディガン逆さまに着てるぞ。ほらタグが外に出ちゃってる」
 俺は武内のカーディガンのタグを掴みながらそんなことを言っていた。
 「……………………!?」
 武内は何を言われたのかすぐに気付かずぼうっとしていたが、数秒後に物凄い勢いで俺から離れて行った。そして顔を真っ赤にさせ、襖を力いっぱい開け、その中に飛び込んで行った。
 数秒後、相変わらず顔を赤くしながらも、今度はカーディガンを裏表間違えずに着て、気まずそうな顔で彼女は和室から出てきた。
 「なんか、ごめん……」
 俺はなんとなく謝った方がいい気がしたので、一応謝っておくことにした。
 「あ、あ……」
 武内は何か言いかけているが、中々声にならないようだった。すると今度は突然眼鏡を外してカーディガンのポケットにそれを乱暴に突っ込んでしまった。