真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』
眼鏡を外した武内は、何と言うか、なかなかに目つきが悪かった。しかしそのせいなのかわからないが、彼女から殺気なのか、怒りなのか分からないオーラの様なものが発生している様に見えた。眼鏡を外すのは彼女なりの威嚇なのかと俺が思っていると、武内は一度大きく息を吸い込み、見えない目で俺を見た。
「あ、ありがとう、ございました。このまま外に出てたら、物凄く恥ずかしい思いをするところでした」
武内は頭を下げながらそう言った。意外と素直だなと俺は思ったが、続けざまにこうも彼女は言った。
「でも、それとこれとは話は別です。今日はもう、誰とも話したくないから、もう出て行って。お願い、真冬……」
そう、冷たい声で言い放った。真冬はしばらく無言だったが、最後には何も言わずにただ頷いた。そして俺の手を引いてそのままその部屋から飛び出した。
「真冬……?」
俺は不安になって真冬の顔を覗きこもうとした。だがその前に真冬は踵を返していた。
「真冬?」
「さ、行こう秀。今日はもう寒いから、家に帰って温かいコーヒーでも飲も」
真冬は一人で歩き出していた。俺は訳が分からず、しばし無言でその後ろ姿を見つめていたが、彼女がいつになっても俺の方に振り返らなかったので、諦めて彼女の後を小走りで追いかけていった。
5
マンションから出ると、外は雪がちらつき始めていた。
「本降りになる前に帰ろう」
真冬はそう言うと、一人で駅の方に歩いて行こうとする。俺はそんな彼女の背中に向かって言った。
「さっきの話は、どういう意味なんだ? 武内は何に怒っているんだ……?」
冷たい風が吹く。風が鬱陶しく俺の髪をかき乱す。俺は雪のように白い自分の髪を払いながら、眼前の少女を見つめている。
「なんでもない、ホントになんでもないから……」
彼女は一度もこちらに振り返らない。電車が駅に到着する。しかし、俺たちはそこから動けずにいた。どちらも何も言わない。電車が駅から出ていく。俺は無言でその姿を見送った。
「電車、行っちゃったけど……」
彼女の背中に話しかけても、やはり彼女は何も言わない。雪は徐々に激しさを増していく。二人の頭にも白い雪が少し降り積もった。不意に、洟をすする音がしたような気がした。俺は相変わらず無言で真冬を見ている。真冬が歩き始める。その後を俺が追う。
駅に着く。するとしばらくして電車はやって来た。扉が開く。中に風が吹き込むのか、乗客は一様に寒そうに身を縮込ませた。真冬はやはりこちらには振り返らずに電車へと入っていく。扉の前で佇む俺を、乗客が批難するような目で見る。俺は我に返って電車に乗り込んだ。
真冬は電車の先頭部分で吊革につかまっている。俺はその後ろまで行く。やはりお互いに言葉を交わさない。今の言葉の意味を聞こうにも、二人の間には目に見えない壁があるようで、俺は彼女に声を届けることができなかった。
電車が俺たちの駅に辿り着く。真冬はカードを通し電車を降りる。俺も同様にカードを入れる。
「ほら、行こう」
出口で真冬は俺に向かって手を差し出していた。俺はそれを掴まなければ、二度と彼女と話ができなくなるような気がして、物凄く不安な気持ちがして、急いで彼女の手を取った。その時俺は驚いた。手袋を取った彼女の手は、とても冷たかったのだ。彼女の手はいつだって温かかったはずなのに、今だけはなぜか異様に冷たかった。それだけに俺は一瞬、身体全体が震えあがるような感覚に襲われた。だが次の瞬間には、手はいつもの温かさに戻っていた。
彼女がようやく俺に笑顔を向けてくれた。俺はなんとかぎこちなく笑顔を作り、彼女の手を強く握り返した。
雪が、降り続いていた。
作品名:真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』 作家名:遠坂遥