真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』
「分かった。君の言う通りにする……」
俺がそう言うと、可憐な少女は初めてにこやかに笑ってくれた。こんな状況下でも、俺は少しだけ安堵することが出来た。だがしかし、そんな可憐で優しい美少女を見るのはそれで最後だった。なぜなら俺は、あれから一ノ瀬秋穂とはなんぞやということを徹底的に叩きこまれるのだから。あの容赦ない小悪魔によって。
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「……ねえ、ちょっと聞いてる? 秀……ねえってば!」
やかましい声で俺は急速に現実に引き戻された。
「なに?」
「なにじゃない! 今日の反省をするってさっきから言っているじゃない!」
真冬が怒鳴る。可愛い顔してこいつは案外声が大きい。俺は耳を抑えながら生返事を返した。
あの日から一ノ瀬秋穂とはこういった人でしたという話を俺は永遠聞かされ続けた。真冬の話によれば、秋穂は真冬とは正反対で寡黙な少女だったらしい。だが口数は少なくとも、まるで娘を見守る母親の様な優しさで、真冬のことを見守ってくれていたようだ。学校での評判は上々らしく、その美貌で同級生の男子の憧れであり、女子たちからも一目置かれる存在だったらしい。成績は優秀で、気まじめだったため教師たちからも人気があったそうだ。
正直俺はそれだけ聞いただけで頭が痛くなってしまった。理由は単純。そんな大和撫子みたいな女の子のフリをするなんて、しがないオタク大学生の俺にはそんなに簡単なことではないからである。よりにもよってなんでそんな人間の身体に転生してしまったのだろうか……。
俺が死んだのは、一ノ瀬秋穂と同じ十一月二十三日だった。その時のことを俺は全く覚えていない。さっきも言った通り確かに友人宅を目指していたということは覚えている。だがその日俺がどういった交通手段を用いて、どのルートを通ったのかすら思い出せなかった。まるで誰かによって前後の記憶がまるまる消去されているような、そんな気すらしてしまうほどに綺麗さっぱり記憶はなくなっていた。
事故の詳細は真冬から聞いた。どうやら中くらいの大きさのトラックが、ちょうど車から降りていた俺と偶然そこに居合わせた一ノ瀬秋穂の二人がいる所に突っ込んだらしい。俺は地面に頭を打ち付け即死だった。そして秋穂も全身打撲の大怪我を負ったらしい。記憶がないのはやはりそのトラック事故の衝撃のせいなのだろう。
秋穂の身体で目覚めた後、俺は親友の宏也にだけ正体を明かした。宏也にだけ教えたのは、他の人に教えたところで信じてくれるはずもないだろうと思ったからだ。一方真冬は、一ノ瀬家の人々や、彼女の親友の二人に特に詳細を伝えたようだ。その中でも親友二人に事実を教えた理由は単純だ。それは当然、学校において俺のサポートをしてもらうためだ。
「二人の名前は、榎本紗英(えのもと さえ)と、武内日和(たけうち ひより)よ。紗英は小学校からの親友で、とても明るい子よ。でも繊細ところもあるから気をつけてね。お姉ちゃんとはそれほど親密だった訳じゃないけど、私と同じくらい付き合いは長いし、それなりに気心も知れてるだろうから、秀もちゃんと仲良くしてよね」
真冬はそう言った。俺はそれを信じそういった感じで接しようとした。ところが実際、俺が話しかけると、榎本は妙に素っ気ない態度を取り、そそくさと俺から離れていってしまった。
「日和はあまり自分から人と話すタイプじゃないけど、話してみれば結構喋るから、話をするのはそれほど難しくないわ。お姉ちゃんも静かだったから、二人で喋ることはあまりなかったと思うけど、ちゃんと話せばすぐに仲良くなれると思うわ」
と、真冬は俺に言った。だから俺は話題を振った。
だが、彼女はどうやら読書に集中しているようで、俺の言葉に対してなんら反応を示さなかった。俺はどうしたらよいか分からず、教室の片隅で途方に暮れた。
「一体どういうことだ?」
俺は物凄く不機嫌な顔をして真冬に迫った。
「そういう日も、あるんじゃないのかな……」
真冬は何とも言えない表情をしている。
「俺はお前の言う通り接したんだが、まさかあんな反応を貰うとは思っていなかったよ。真冬さ、もしかしてお前の姉貴は、あの二人に嫌われてたんじゃないのか?」
「そんなことある訳ないじゃない! 多分、あんたの中身が男だっていうことに警戒しているんだと思うわ。そう、そうに違いないわ!」
真冬は自分を納得させるように言った。自分が納得してもこっちは納得できないんだけどね。そりゃ確かに、中身が全く別人って言うなら人間が違うことと同じだ。だから彼女らが俺を警戒することも分からなくもない。だが親友がサポートをしてくれと頼んだ訳だし、一応外見は長い付き合いの人間の姿な訳なのだから、もう少し仲良くしようとする努力くらいは見せてくれてもいいと思うのだが……。
「でも、クラスのみんなはちゃんと接してくれてたでしょ? お姉ちゃんの人気がよく分かったと思うんだけど」
真冬は勝ち誇ったような顔で言った。確かにそれに関してはその通りだ。クラスの人達は真冬が言うように、俺に対して羨望の眼差しを向けてくれていた。話しかければ事故のことを心配してくれたり、男どもはあからさまに媚を売るように俺を褒めたりしてくれた。まあ男に褒められてもちっとも嬉しくはなかったけども。
「お前の姉貴の人となりは分かったよ。まあこれならやっていけないことはない。だが、あの二人と話すのは嫌だぞ。この調子ならそもそも二人のサポートなんて必要なさそうだしな」
「二人は私の親友なんだから、あんたとも仲良くしてもらわないと困るわよ。二人にはもう一度言っておくから、お願い」
真冬は真面目に顔の前で両手を合わせている。俺は大袈裟に溜息をついた。
「ったく、分かったよ……。こっちも仲良くできるように頑張るが、向こうがあのままならちょっと考えるからな」
俺は顔に不満を表しながらも渋々頷いた。
「分かったって。じゃあ明日なんだけど、私に付き合ってくれない? 行きたいところがあるのよ」
「いいけど、どこ行くんだ?」
「ひーみーつ。明日は土曜日なんだから暇でしょ? いいからついて来てよ。お願い」
真冬はまたしても顔の前で手を合わせる。どうにも一々アクションが大きいな、この子は。言っても引かないのは分かっているから、俺はまた渋々言った。
「分かった分かった。ったく、しょうがねえな……」
その答に、真冬が満面の笑みを浮かべたのは言うまでもない。
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「さみぃ……」
俺は真っ白な息を吐きながら言った。俺は空を見上げる。見事なまでの曇天だった。夜にはまた雪が降るらしい。
俺は元々冷え症だったが、この身体になってから余計に寒さが身に堪えるようになった。今日は長めのスカートを履いているが、学校の制服のスカートは割と短めなだけに、俺にとって登下校は苦痛でしかなかった。どうして女の子はこんなに足を露出して平気なのだろうか?
作品名:真冬の幻 第2章『例えばこんな奇っ怪な日常』 作家名:遠坂遥