約束
「うん・・・」
孝太がもぞもぞと体を動かした。ゆっくりと目が開く。
「起こしちゃった? ごめんね。」
奈津美がそっと声を掛ける。
「ママ、夢を見ていたんだ。」
孝太が囁くような声で言った。
「どんな夢?」
「いつかぼくが一時退院していたとき、パパと3人でバーベキューに行ったでしょ。あのときのこと、夢に見てたんだ。」
「そう、楽しかったよね、あのときは。なかなか火が着かなくて、パパが焦っちゃって。」
「うん、また行きたいね。」
「そうね、今度退院できたら、また行こうね。」
奈津美がそう言うと、孝太は体の向きを変えて、奈津美に背を向けた。
「ママ、ごめんね。」
「どうしたの?」
「今まで、おやこーこー、何もできなくって。」
奈津美は不覚にも涙が出そうになった。
―― この子は自分がこんな状況なのに、親の私たちのことを思いやってくれている。
―― でも、この子の前では、絶対に涙は見せない。
奈津美は胸にこみ上げて来る想いと涙を必死に抑えた。
強いて笑顔を作り、孝太に答える。
「ねえ、孝太、知ってる?」
「なにを?」
「子供はね、3歳までに一生分の親孝行を済ませているの。」
孝太がゆっくりと体の向きを変えて、奈津美の方を向いた。
「なんで?」
「あのね、小さい子って、とってもかわいいでしょ。親は自分の子供がとってもかわいくて、子供と一緒にいると、とっても幸せなの。だから、かわいいって言うことが、子供の親孝行なの。」
「ふーん、そうなんだ。」
「子供が一番かわいいのは、3歳までなの。だから、3歳までに子供は一生分の親孝行をしてるのよ。」
「じゃ、ぼくはもうおやこーこーしたの?」
「そうよ。病気になっても頑張ってるから、今でも親孝行してるのよ。」
「よかった。」
孝太はそう言うと、病室の天井を見上げた。
「だけど、ぼくがびょーきじゃなければ、もっとおやこーこーできたよね。ぼくじゃなくて、もっとびょーきにならない子がママのところにうまれてくればよかった。」
奈津美は孝太の顔に自分の顔を寄せた。
「もう一ついいこと教えてあげる。」
「なに?」
「子供はね、自分でパパとママを選んで生まれて来るの。孝太も、今のパパとママがいいなって、パパとママを選んでくれたのよ。」
「ぼくそんなのおぼえてないよ。」
「ママのお腹にいるときは、それがわかってるんだけど、生まれるときに全部忘れちゃうの。だから、今は覚えてないのよ。」
「そうなの?」
「そうよ。パパもママも、孝太が来てくれて、とってもうれしいの。病気だとか、元気だとか、そんなことよりも孝太が孝太でいることが、とってもうれしいの。」
「そうなんだ。」
孝太の顔がぱっと輝いた。
「だったら、ママ、おねがいがあるんだ。」
「いいわよ、なんでも言ってごらんなさい。」
「ぼく、次にうまれてくるときもパパとママをえらぶから、そしたら、もう一度ぼくをうんで。」
「いいわよ。孝太も忘れずに来てね。約束よ。」
「うん、約束する。」
奈津美は孝太を思い切り抱きしめたかったけれど、点滴のチューブが邪魔でできなかった。だからその代わりに、孝太の右の頬にある小さなほくろを指先で優しく突いた。
孝太は、7歳の子供らしい笑い声をあげて笑った。
作品名:約束 作家名:sirius2014