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残り菊~小紅(おこう)と碧天~

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「あの頃から器量良しだったが、いっとう綺麗になったじゃねえか」
 悔やみの言葉どころか、真っ先にかけられたのがこんな科白だったとは。
「それに、色気も出てきたな」
 準平は小紅に近づいてくると、グイと顔を近づけてきた。酒臭い息をまともに吹きかけられ、反吐が出そうだ。
「あなた、真っ昼間から酒を飲んでるの?」
 準平はまだ小紅と同じ十五歳のはずである。
「俺の心配をするってことは、お前は俺に惚れてるのか?」
 唐突に問われ、小紅は笑い出しそうになった。
―誰があんたなんかに惚れるもんですか!
 威勢良く啖呵を切ってやれれば気持ちも軽くなるだろうが、叔父の手前はできない相談である。
 なので、当たり障りのない返事を返した。
「いとこ同士ですから」
「相変わらず、つれない態度だな。俺はお前がうちに来るって聞く度に、今日こそは逢えるかどうかと愉しみにしてたのに、当のお前と来たら、絶対に俺の側には来ねえ。いつも避けられてばかりだ」
 当たり前だ。あんな真似をされて、誰が近づくものか。
「マ、今となっちゃ、それもどうでも良い。お前は計画どおり、俺のものになったんだから」
 最後の一言が何故か心に引っかかったけれど、深く考えているゆとりはなかった。準平に人差し指で顎をクイと持ち上げられたからだ。
「ふうん? お前、まだ十五だろ? ガキの時分から妙に色気のあるヤツだったが、今は怖ろしいほどの色香だな。あの頃から胸も大きかったし、今はさぞかし豊かに育ってるだろよ。祝言なんて待つのは面倒だ。今夜、お前の部屋に行くから、そのつもりでいろよ」
 あまりといえばあまりの言葉に、小紅は準平の手を思いきり払った。
「ふざけないで! 私があなたとの結婚を承諾したのは、叔父さまには返せないほどの恩義があるからよ。間違っても、あなたに対しての気持ちからじゃないわ。いいこと、これだけは憶えおいて。私はあなたと祝言を挙げても、夫婦にはならない。本当の意味での女房になるつもりなんて、金輪際ありはしないの。ただ、形だけは、あなたの妻となって、これからは叔父さまのために一生懸命尽くすつもりよ。この難波屋のために働くことが叔父さまへの恩を返すことにもなるから」
 準平に再会するまでは、そこまで具体的に考えていたわけではなかった。何しろ準平と最後に逢ったのは十歳、五年も前のことになる。五年という歳月は人を変えるのに十分すぎる。しかも、当時、準平はまだ十歳の少年にすぎなかった。
 子どもらしい悪戯と片付けてしまえるような行為ではなかったのも確かだが、かといって、あの出来事だけで今の準平を判断することもできない。小紅は叔父に彼との結婚を承諾したときには、まだ準平と名実共に夫婦になるつもりがないとまでは思わなかった。
 昔はいけ好かないヤツだったが、今は改心しているかもしれないし、とにかく縁あって夫婦になるのだから、共に力を合わせてこの店を盛り立てて武平の心に添うようにできればと考えてまでいたのである。
 しかし、現実は何も変わってはいなかった。小紅は相変わらず色事しか頭にないような従弟に失望し、同時に言いしれぬ嫌悪を憶えた。小紅はまだ夫婦になるという行為が具体的にどういうものか知らない。
 大抵は年頃になると、女の子には母親か乳母がそれを教えるものだが、おさわは小紅に教える前にいなくなってしまった。だが、それとは関係なく、指一本触れられただけで鳥肌が立つような男と到底、一つ布団には入れない。
「親父親父と煩せぇな。お前は親父に惚れてるのか?」
 挙げ句には、そんなことを言われ、小紅は最早、呆れて二の句が継げない。
「もう良い。あなたみたいな人とまともに話ができるはずはないんだから」
 小紅がそのまま進もうとすると、いきなり手首を強い力で掴まれた。
「待て」
「まだ何かあるの?」
 瞳に力をこめて睨みつけてやると、彼に身体を壁に押しつけられた。彼が両腕を伸ばしたので、丁度、腕の中に閉じ込められた体勢になる。かなりの身長差があるため、小紅が準平を見上げる格好になった。
「良いか、これだけはよく憶えておけ。伯父貴が残した借金をすべて肩代わりしてやったたのは俺の親父だ。そして、親父が返してやらなければ、お前は今頃は吉原で夜毎、男から男へと慰みものにされる運命だったんだぞ? それを考えれば、この難波屋の若内儀(おかみ)になれるんだから、ありがたいと思わなくちゃな」
「―そんなことは百も承知よ。でも、私が恩義を感じるのは叔父さまに対してであって、あなたは関係ないでしょう。言われなくても、叔父さまのためにも難波屋のためにも、できるだけのことはさせて頂くつもりだから、心配しないで」
 また人差し指を顎にかけ、仰のかさせれる。
「判ってるのなら、俺の言うことにいちいち逆らうな」
 突如として男の手が背中に回り、グッと引き寄せられた。大きな手が後頭部に回り、唇が強引に重なった。
「や―」
 止めてと言おうとしたのか、いやと言おうとしたのか判らない。ただただ動転していて、小紅は小さな両手で夢中で準平の胸板を押し返した。
 しかし、逃れようにも後頭部をしっかりと押さえつけられていて、逃げられない。舌が入ってこようとしているのが判り、死んでも許さないと唇を固く引き結んだ。
 ほどなく小紅の身体は邪険に突き飛ばされた。勢いでよろめき転びそうになるのを必死で踏みとどまる。
「ふん、相変わらず誇りだけは富士山のように高い高慢な女だな。吉原で客に脚を開くのも、俺とやるのも所詮は同じことだろうに」
 準平がまたしても顔を近づけてきた。細くつり上がった眼はどこか縁日で売っている狐面を思い出して、怖いくらいの迫力がある。
「お前はうちの親父に金で買われたも同然の女なんだ。言ってみれば、俺のための専属の女郎みたいなもんさ。良いか、あのときのように俺から逃げられると思うな。今度ばかりは逃さねぇぞ」
 ?あのとき?というのが五年前の夏の日だとはすぐに判った。
「望むと望まざるに拘わらず、お前は俺のものになる運命なんだ、良い加減に観念しな。小紅ちゃん」
 互いの吐息の音までもが聞こえるほど―唇と唇が触れ合う手前まで近づき、準平は止まった。囁きにも似た言葉が熱い淫らな熱と共に小紅に注ぎ込まれる。
 準平が喋る度に、吐息が小紅の唇を掠めて、思わず肌が粟立った。
 わざと幼い子が呼ぶような無邪気な口ぶりで呼びかけられる。最後の呼びかけは五年前のあの日と同じように、小紅に耐え難いほどの嫌悪感を募らせた。
 悔しさに思わず両脇に垂らした拳に力が入った。こんな卑劣な男、女をただ快楽の対象にしか見ていない男なんて、ここで一発ぶん殴ってやったら、どれだけスカッとすることか。しかし、叔父の手前、それはできない。遊廓で放蕩三昧、女の尻を追いかけ回すことしか生き甲斐も能もない道楽息子でも、叔父にとっては可愛い倅だ。
 叔父が女房のおきさ亡き後、出来の悪い極道息子を以前にも増して大切にしているのは小紅もよく知っている。その叔父が大切にしている倅を無下にできるものではなかった。
「今夜、せいぜい覚悟しておけよ」
 準平は癇に障る笑い声を上げながら、勝ち誇ったような足取りで去っていった。