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残り菊~小紅(おこう)と碧天~

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 というのも、叔父の女房であるおきさをどうしても好きになれなかったからだ。おきさはこれといって目立つような女ではないが、とにかく性格のきつい女であった。一人息子の準平を猫かわいがりして、使用人には冷たく当たる。必然的に使用人たちの間でのおきさの評判も芳しいものではなかった。
 おきさが小紅に向けるまなざしも似たようなもので、あの細くて険のある眼にじいっと見つめられると、何とも居心地の悪さを感じてしまう。
 しかし、そのおきさも一昨年に亡くなった。義理とはいえ叔母であり、優しい叔父の奥さんなのだから、その不幸を良い気味だと思いはしなかった。以来、武平は倅の準平とともに寡夫(やもめ)暮らしを続けている。
 父と叔父の違うところは、女房に先立たれても酒浸りにならず、これまで以上に商いに励むところだ。小紅から見れば、おきさは武平にもいつもきゃんきゃんと煩い犬のように悪態をついていて、けして良い女房には見えなかった。
 それでも武平はおきさを大切にしていた。女房に先立たれて落胆していないはずはないのに、哀しみを見せず商売に打ち込んでいる。それこそが、まさに男のあるべき姿のように思え、小紅は何故、父に叔父のような度量の大きさがなかったのかと哀しく思った。
 父の残した借金の肩代わりを引き受けるに当たって、武平は一つの条件を出した。それは倅の準平と小紅が夫婦(めおと)となり、難波屋を継ぐというものだった。
 その話を聞いた時、咄嗟に小紅はいやだと思った。準平とおきさはよく似ている。のっぺりとして、印象の薄い顔立ちの癖に、どこか酷薄な雰囲気を漂わせている。面立ちだけでなく性格まで似ていた。子どもの頃、従弟になる準平とは一緒に遊ぶ機会が何度かあった。
 最後に遊んだあの夏の出来事は今も思いだしただけで、不快感と恐怖に駆られる。
 夏の盛りの午後、難波屋で近隣の子どもたち数人とで隠れんぼをした。小紅が隠れる場所を探していると、ふいに背後から手を掴まれた。
―こっちに良い隠れ場所があるから。
 準平にそういって連れていかれたのは、庭の奥まった部分にある物置であった。使われなくなって久しいらしく、荒れ放題ではあったが、小屋としての形は何とか保っている。準平は小紅の手を引いて、その物置に入り込んだ。
 本当は小紅は準平と来たくはなかったのだ。でも、有無を言わせぬ強い力で引きずられて、付いて行かざるを得なかった。準平は半年ほど遅い生まれだが、二人は同じ年である。もう十歳になっていれば、男女の力の差は歴然としている。しかも小柄な小紅に比べて、準平は大柄だ。
 何を思ったのか、小紅を物置に連れ込んだ準平はさび付いた鍵を内側からかけた。
 幼かった小紅は両膝を抱えて壁際に座り込むと恐る恐る周囲を見回した。薄暗い物置の中は雑然として、使われなくなった古い机や行灯などが山積みされている。大方は埃を被り汚れていた。
 急に心細くなってきて、小紅は立ち上がった。
―準平ちゃん、私、やっぱり、ここはいや。
 鍵を開けようと手を伸ばしたその時、小紅の小さな身体を準平が後ろから抱きしめてきた。
―小紅。
 髪を結い上げた白いうなじに生温い息が声と共に吹きかけられ、総毛立った。
―何するの!
―頼むから、大人しくしてくれ。おいら、小紅のことが昔から好きだったんだ。
 あまりのことに身を強ばらせていると、無抵抗なのを了解と勘違いしたのか、準平の手がそろりと伸びてきて、小紅の漸く膨らみかけてきた、いとけない胸を揉んだ。着物の上からでもはっきりと判る執拗な手の動きに、小紅は悲鳴を上げた。
―いや! 止めないと、叔父さんに言いつけるよ。
 強い口調で抗議したのに、準平は手を止めるどころか、小さな胸を揉む手はますます力がこもる。
―おいら、もう少ししたら、おとっつぁんに言おうと思ってるんだ。小紅が好きだから、嫁さんにしたいって。
―馬鹿!
 小紅の渾身の力には敵わず、準平は後方に吹っ飛んだ。小紅は泣きながら大急ぎで鍵を外し、外に逃れ出た。
 以来、難波屋に訪れることはあっても、準平とは顔を合わせたくなくて、できるだけ避けていた。
 それにしても歳の割にませた子どもだった。たかだか十歳の童が同じ年の女の子の胸に触れたりするなんて、今考えても、性的な方面ばかりが先走って成熟しているように思えてならない。
 あの夏の日、降るような蝉時雨の中、自分の小さな胸をしつこく揉んだ手の感触は二度と思い出したくもないものだった。そのときから、従弟は大嫌いになった。
 その準平との結婚。それは歓びをもたらすはずもなく、むしろ嫌悪感を呼び起こすものでしかない。しかし、大きな恩義のある叔父の申し出を断ることは考えられない。
 たった一人で生きていくことは難しいかもしれないけれど、不可能ではないはずだ。小紅はずっと裁縫の稽古にお師匠さんのところに通っていて、お針子として通用するほどの技術を持っている。その腕を活かせば、自分一人くらい生きていく稼ぎは得られるはずだ。
 だが、その程度の稼ぎで父の残した借金をすべて完済は無理だった。だとすれば、取るべき道はただ一つ。叔父の申し出を受け、準平と祝言を挙げるしかない。
 小紅は叔父の言葉に小さく頷き、その刹那、叔父はとても嬉しげだった。
 とはいえ―。果たして、それが良かったのかどうか。小紅は自らの選択をすぐに後悔することになった。直ちに叔父に呼ばれた準平がやって来て、二人は実に数年ぶりに再会することになった。
 小紅の記憶にある準平は背丈も大きかったが、その分、横幅も大きかった。母親に溺愛されて菓子ばかり与えられているせいか、醜く太った子どもだったのに、数年の歳月は少なくとも準平の外見だけは良い方へと変えていた。
 長身にすっとした身体、どこか幼い頃の面影は残してはいるけれど、それなりに整った面立ちは若い娘にはモテそうである。
 が、格好良くなったのは外側だけらしく、中身はてんで変わっていないのはすぐに判った。彼はおきさに似た細い眼を酷薄そうになお細め、値踏みするように小紅を眺め回した。
―嫌な眼。
 小紅はまたしても準平が嫌いになった。準平にとっては血の繋がる伯父が亡くなったのだ。まずは最初に悔やみを言うなり、それらしい言葉を口にするのが礼儀ではないのか。
 しかし、準平は常識など端から無視するつもりなのか、そんなことも思い浮かばないのかは知らないが、何も言わない。
 流石に武平もその場の雰囲気を察したのか、取り繕うように言った。
「まあ、夫婦になると言っても、そこは従姉弟同士。満更、知らない間柄ではないし、気心も知れている。今日のところはこれくらいにして、後日、若い者同士でゆっくりと語らうことにしよう」
 着いた早々だから、まずは部屋で休むと良いよと、いかにも叔父らしい温かな言葉を貰い、小紅は立ち上がった。年嵩の女中に案内されて居室となる部屋へと廊下を歩いていく途中のこと、ふいに物陰から誰かが飛び出してきた。
「小紅は俺が案内するから、お前はもう良い」
 愕く女中に居丈高に命じ、準平は女中を追い払った。
「久しぶりだな」
 準平はニヤニヤしながら、小紅の行く手を阻むように立ち塞がる。小紅は大きな黒い瞳を瞠った。