小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

残り菊~小紅(おこう)と碧天~

INDEX|22ページ/32ページ|

次のページ前のページ
 

 両手で持ち、まだ熱々の芋を頬張る。全身がほんわかと温まるようだ。と、栄佐がじいっと自分を見ているのに気づいた。
「私の顔に何か付いてる?」
「いや」
 彼らしくない歯切れの悪い物言いをし、栄佐は少し逡巡してから言った。
「その綿入れ、男物だよな」
 何故か、栄佐の声は低く、不機嫌になっている。
 小紅は眼を見開いた。
「ええ、そうよ」
 更に栄佐は視線を泳がせた。
「見たところ、お前は一人暮らしで、ここに男がいるような痕跡はねえ。なのに、何で男の着る綿入れなんかを着る?」
「ああ、そういうこと」
 小紅は納得した。
「これは大切な男(ひと)の形見なの」
「大切な男―。惚れてたのか?」
 栄佐の声はますます低くなった。
 小紅は小さく頷いた。
「家を出たのも、実はそのことと関係あるのよね。その男の形見らしいものっていえば、この綿入れくらいしかなくて」
「そうなのか」
 栄佐は面白くもない話を聞いたとでも言いたげに仏頂面で頷いた。
 それにしても綺麗な顔だ。小紅は栄佐の整いすぎるほど整った面に今更ながらに見蕩れた。江戸中を探したって、これほどの上男はいないだろう。歌舞伎役者に引けを取らないどころか、その上を行くのではないだろうか。
 小紅はつい我を忘れて栄佐の顔に見入っていた。その視線を感じたのか、栄佐はいささか居心地悪そうに視線を逸らした。
「ところで、今度は同じ質問を俺がしてえんだが」
 そこで、小紅ははたと我に返る。
「えっ」
「俺の顔に何かついているか?」
 あ、と、小紅は赤面した。
「ごめんなさい!」
 やはりこの場合も惚(ほう)けたみたいに見蕩れていたとは言えず、小紅は穴があったら入りたい心境だ。
 それにしても、栄佐の女にもなかなかいないような麗しい顔は滅多とないはずなのに、どこかで見たような気がするのは何故だろう。
 別に差し支えのあることではないので、思い切ってその疑問をぶつけてみる。
「ね、あなたとどこかで逢ったことはない?」
 栄佐は首をひねる、
「こんな可愛い娘に逢ったら、忘れないはずだがな」
 しれっと女心を蕩かせる科白が出てくるのは、やはり、この男、女タラシなのだろうか。もっとも、これだけの男なら、放っておいても餌に群がる鯉のように女どもが寄ってくるだろうが。
「どこかですれ違ったとかないかしら」
「さあ、俺の方はとんと身に憶えはねえが。お前のような別嬪なら、面識があったとしたら大歓迎だ」
 一見、人を食った態度だが、ふざけた口調でも馬鹿にされた気がしないのは、心がこもっているからかもしれない。栄佐は多分、実のある人間だ。逢ってさほどの時間を経ておらずとも、彼が信頼するに足る男だとは判る。
 お調子者を装っているけれど、浮ついた雰囲気がまったくないからだ。
 小紅は彼のことをもっと知りたいと思った。どこで何をしているのか? 恋人はいるのか? これだけの男ならば、恋人がいない方がむしろ不思議だ。
 そこまで考えて、小紅は頬に朱を散らす。
 私ってば、何で、こんなにこの男が気になるの? それでもなお好奇心には勝てず、つい聞いてしまう。
「栄佐さんは幾つ? 針医は副業だって昼間に聞いたけど、本業はどこで何をしてるの?」
「おいおい、そんなに立て続けに訊かれても、応えられねえよ」
 栄佐は苦笑いする。
「順番にいくぞ。俺の歳は二十三、本業は舞台役者」
「今、何て言ったの?」
 栄佐は笑いながら繰り返した。
「舞台役者」
「ええっ」
 素っ頓狂な声を上げた小紅を栄佐は愉快そうに眺めた。
「栄佐さん、役者だったの!?」
 小紅もやはり若い娘だから、役者と聞くと興奮する。
「栄佐っていうのも芸名?」
「まさか。ちゃんと別の名があるさ」
「何ていうの? 教えて」
「色々と知りたがり、聞きたがりのお嬢さんだな」
 栄佐は笑う。
「俺の役者名は板東碧天」
「板東―碧天」
 あれ、どこかで聞いたことがある名前よね。小紅は首を傾げた。記憶のどこかに引っかかっているのだが、あとちょっとのところで思い出せない。そんなもどかしさを感じつつ、小紅は更に記憶の糸を引っ張ってみる。
「あ!」
 真ん前で大声を出されたものだから、栄佐は一瞬、引いた。
「何だよ、急に馬鹿でかい声を出すな」
 しかし、栄佐の声は小紅にはもう届いてはいない。
「思い出したわ」
 難波屋で暮らしていた頃、お付き女中のお琴が後生大切に持ち歩いていた浮世絵、あれが板東碧天だった。
 道理で、どこかで見た顔だったはずだ。本物の碧天を見たことはなくても、浮世絵になった彼の顔をあの時、さんざん見ているのだから。
「私の知り合いがあなたの浮世絵を宝物のように大切にしてたわよ。肌身離さず持ってるなんて言ってたし。凄い人気なんでしょ」
「まさか」
 栄佐は照れくさそうに頭をかいた。
「役者っつっても、たいしたもんじゃねえんだ。何せまだ大部屋だからな。でも、いつかは一人前の立て役になりたいって、これでも真面目に頑張ってるってところかな。到底、役者だけでは食ってけねえから、針灸なんてやってるってわけよ」
 なるほど、それで針医は副業というわけか。小紅はひそかに納得する。
「針医の仕事だって、すぐにできるものじゃないわ。どこで憶えたの?」
「俺の祖父(じい)さんが医者なんだ。むろん針医なんかじゃなくて、ちゃんとした長崎仕込みの外科医なんだけど、祖父さんは針も打つからね。俺は堅苦しい自分の家よりも、開けっぴろげな祖父さんの方が好きで、いつもそっちに入り浸ってたから、ついでに教えて貰ったんだよ」
「お祖父さまがお医者さまなんて、凄いのねぇ」
 しかも長崎で修業し近代医術を学んだ医師だという。そんじょそこらの医者とは格が違うようだ。小紅同様、栄佐にもどうやら曰くがあるらしい。針医が副業、役者が本業と言いながら、こんな裏店に暮らしているが、もしかしたら、本当はもっと別の身分なのかもしれない。
 だが、それは所詮、栄佐の個人的事情というものだ。栄佐が小紅のことを知らないように、小紅もまた栄佐について彼が知られたくない部分まで知る必要はない。
「おっと、いけねえ。流石にもう帰ぇるわ。嫁入り前の娘の家に図々しく泊まり込むわけにはいかないからな」
 栄佐が立ち上がった。小紅は表まで彼を見送った。
 腰高を開けて外に出ると、ひやりとした冬の夜気が二人をすっぽりと包み込む。二月初めの冬の大気は身体の芯まで凍りそうなほど冷たい。二人の吐く息が白く細く消えてゆく。
「うぅ、冷えるな」
 栄佐はびしょ濡れの犬のように身体を震わせた。
 小紅は何気なしに空を見上げた。紫紺の空には綺羅星がまたたき、生まれたばかりの月が危うげに掛かっている。
「あ、流れ星」
「本当だ」
 小紅が叫ぶのと栄佐が呼応するのはほぼ同時であった。
 光り輝く無数の貴石を撒き散らしたような空に弧を描きながら、ひときわ眩(まばゆ)い星が緩やかに堕ちていく。
「綺麗」
 小紅の傍らに並んで、栄佐は空の彼方に消えてゆく流星を眼で追っていた。
「知ってるか? 流れ星に願いを掛けると叶うっていうぞ」