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残り菊~小紅(おこう)と碧天~

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「お前が男は皆、遊廓が好きなのかと訊ねたただろう。あの応えだ。小紅ちゃん、確かに世の大部分の男は―いや、正直に言えば、この私も含めてすべての男は色事も女も好きだよ。衆道を特に好む変わり者は別として、普通なら女を嫌いな男なんていないはずだ。だが、かといって、その全員が吉原に行くとは限らないし、登楼して女郎を抱くかどうかは判らない。女を好きなのと、現実に女房以外の女を抱くかどうかはまた別次元の話さ。私に限っていえば、縁の糸を大切にしたいから、特に吉原の女を抱きたいと思ったことはない」
「そうなの?」
 武平は頷いた。
「お前もいつか、一生涯を共に歩く伴侶とめぐり逢うだろう。そのときは縁の糸を大切にしなさい。人は誰でも、めぐり逢い、そうなるべくしてなった相手が運命の相手なんだ」
 だから、叔父さまは亡くなられた叔母さまを生涯大切にしたのね。
 小紅は漸く合点がいった。
「こんな話をするつもりじゃなかったのに」
 小紅は脇に置いていた包みを武平の前に差し出した。
「これは何?」
「ふふ、開けてみて、叔父さま」
 武平は小首を傾げながら、風呂敷包みを解いた。
「ホウ、これは凄い。温かそうだね」
「私が仕立てたの。良かったら、着て下さい。これくらいしか、今はまだご恩返しができなくて申し訳ないんだけど」
「何を言うんだい。お前は私の大切な姪だ。兄さんがいつかまた江戸に帰ってくるまで、私は父代わりとしてお前を守ると誓ったんだ。だから、何の遠慮もせず甘えたいだけ甘えて良いんだよ」
 小紅はうつむいた。何か胸の中がもやもやして、すっきりしない。言いたいことがあるはずなのに、それをちゃんとした言葉で纏めることができない。
 だけど、今、言わなければ、きっと後悔する。そんな気がして、小紅は咄嗟に口を開いた。
「それだけなの?」
 え、と、武平が眼を見開いた。
「叔父さまにとって、私はそれだけの人間?」
 小紅は面をつと上げ、叔父を真っすぐに見つめた。
「私は叔父さまにとって、ただの姪っ子にすぎないのよね」
「小紅ちゃん、お前、何を言って―」
 話しかけた叔父に小紅は皆まで言わせなかった。
「でも、私は違うの! 叔父さまが好き。自分でもやっと気づいたけれど、私は子どもの頃からずっと叔父さまを好きだった。それは親戚の叔父に対する気持ちとは違うわ」
「小紅ちゃん、それはきっと血の繋がった叔父への親愛の情を男女の情と勘違いしているだけだ」
「はぐらかさないで。私だって、小さな子どもじゃない。自分の気持ちくらい、ちゃんと判る。現に、叔父さまを好きだっていうことも、今、気づいたんだもの」 
 どうしようもないくらいに好き。小紅の眼に涙が滲んだ。
「だけど、叔父さまは違うってことくらいも判るのよ。叔父さまは縁の糸を大切にしたいと言ったわ。だから、亡くなった叔母さまをを今も愛しているのでしょ」
「小紅ちゃん、縁の糸の相手と添い遂げるのと、誰か別の女を想うのはまた別の話だ」
 武平はまたしても思いも掛けぬことを言った。
「私はこれから先も誰かと再婚するつもりはない。だが、心に想う相手なら、ちゃんといる」
「そう、叔父さまは誰かお好きな方がいるのね」
 当然だと思う。父に似ているとはいえ、叔父は男ぶりはさほど悪くはないし、まだ三十二歳と若いのだ。何より、優しく男気もあって、人柄に惹きつけられる。そう、実の姪ですら虜になってしまうほどに。
 武平が穏やかに笑った。
「私自身もお前と同じだよ。たった今、いや、正確にいえば、お前をこの家に引き取った時に気づいた。お前はいつからか私にとって、かけがえのないただ一人の女になっていたんだ」
 武平はもう一度、ゆっくりと繰り返した。
「私も小紅ちゃんを好きだよ」
 武平はわずかに眼を逸らした。
「本来なら、倅に嫁ぐと決まっているお前にこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、今、お前に伝えておかなければ、取り返しのつかないような気がしてね。私の言う好きなのは、姪としてではない。もちろん、一人の女として小紅を求めているということなんだよ」
 小紅は息を呑んだ。叔父さまが私を好き? それでは両想いなのか。だが、実ったばかりの初恋は無残に砕け散る運命にあることも判っていた。
 叔父は縁を大切にしたいと言った。だから、この先、新しい女房を迎えるつもりはないと。そして、叔父の中では、小紅と縁の糸で繋がっているのは叔父ではなく準平なのだ。 
「いっそのこと、準平ではなく私が小紅ちゃんを後添えに迎えよう。確かにそう思うこともないでもない。番頭や手代の中にも実際、そういう意見の者もいる。だが、あの子は私に言ったんだ。いつだったかも思い出せないほどの昔、初めて幼い小紅ちゃんを見たそのときから、ずっと恋い焦がれている。忘れられない。準平はそう私に言った。それを聞いた時、私は思った。父親なら息子のその切なる恋を叶えてやろうではないかと」
「準平さんは叔父さまと実の父子(おやこ)ではないのを知っているの?」
 武平が淡く微笑した。この男(ひと)の笑顔はこんなときでも、いつもと変わらない。どこまでも優しくて、泣きたくなるほど優しすぎて、小紅はその笑顔を見ていると切なくなる。
 だが、と、小紅は心の中で呟く。
 優しさも毒と同じで、時には過ぎれば毒になることもあるのよ。それを叔父さまは知っているのかしら。
「いや、引き取る時、言わない約束だったし、私も敢えて言おうとは思わなかった。準平はずっと昔から今も私の息子だよ。未来永劫、それは変わらない」
 武平は静かな声音で言った。
「あの子はどうしようもないヤツだが、根はけして悪くはない。愚かでもないから、しっかり者のお前が側についていてくれれば、きっと難波屋の次の当主としてもちゃんとやっていけるだろうと信じている。どうか、倅を支えてやってくれ」
 言わないで。
 小紅は心の中で叫んでいた。
 私を女として見ている、好きだと言いながら、その同じ口で準平のものになれという。
 私はあんな男は大嫌いなのに。触れられたくもないのに。
 でも、大好きな叔父さまを困らせたくないから、私は黙って堪える。でも、こんなのって、かなり辛い。
 小紅は涙を堪えて言った。
「一度だけ、私を抱いて」
 叔父の顔に静かな驚愕がひろがる。
 小紅は微笑んで首を振った。
「違うの、ただ、その胸でほんのひとときだけで良いから、私を抱きしめていて欲しいの、それだけ」
「判った」
 小紅はひろげた武平の腕の中に飛び込んだ。堪えようとしても、涙が後から後から溢れてくる。
「叔父さま、たった一度、呼ばせてね」
 武平さんと、小紅は吐息のような声音で呼んだ。愛しい男の腕の中でその温もりに包まれながら、十五年の生涯で初めて愛した男にその心を捧げた。
「小紅」
 武平が小紅の漆黒の髪に顎を当てた。
「私も今、この場でお前を私のものにしてしまえたらとどれだけ思うことか。だが、あれほど一途にお前を慕っている倅の気持ちを知りながら、それはできない。仮に私たちはそれで良くても、あれは、お前を失えば本当に駄目になってしまうだろう。不甲斐ない私を許して欲しい」
 そして、最後に囁かれた科白はたった一言。
―忘れてくれ―