これも愛あれも哀
ひと夏の想い出を抱えて
元いた場所に何事もなかったかのように
普通に、いつも通り、学校からの帰りのように
私は持っていた鍵で自分の家のドアを開けた。
母は何も言わず、話しかけることもせず
背中を向けたまま夕飯の支度をしていた。
「ただいまー」
「…………」
私の存在は消された。
母は、ママ母だったし、私は父の連れ子で、
なのに父は外に女を作って遊び歩いていた。
私は父が大好きだったが、父にそっくりな顔をした私を見るたび
何か理由を作っては、母は私を殴った。
母は父を愛していたのだ。
私は大きなスポーツバッグをクローゼットから引っ張り出して
身の回りの物をできる限り詰め込んだ。
初めて母に出逢った時、私は小学2年生で
新しいお母さんができることに
胸をときめかせ、綺麗で優しい母に憧れたし
幸せになれると確信していた。
一緒にお風呂に入って体を洗ってもらい、
掛け算の九九が言えるように湯船で
笑いながら練習した。
若くて素敵なお母さんが、授業参観日に来ることは
私の自慢で、みんなが母を振り返ってみた。
父と母が不仲になってからは
母と生活することは私にとって
苦痛でしかなかった。
誰にも必要とされていない。
私はその時、お兄ちゃんの愛にすがることしかできなかった。
母は私を引き止めることもせず
キッチンの4人掛けのテーブルで
酒を飲んで目を閉じていた。
もう二度と会えないかもしれないのに
別れの言葉もなく、ドアに鍵をかけ、
私は母に…家族に…別れを告げた。
お兄ちゃんに貰った合鍵で部屋に帰ると
真っ暗な部屋の中、クロがベッドで寝ていて、
お兄ちゃんは赤いソファーで横になっていた。
「ただいまぁ……」
「…おいで」
お兄ちゃんの、低い柔らかな声に
安心する。
「早かった?」
「遅かった…」
私はお兄ちゃんの頬に顔をくっつけて
猫のように頬ずりをした。
お兄ちゃんがいてくれたら
私は朝までぐっすり寝ることができる。
何年も、心が休まることはなかった。
「お兄ちゃん、ベッドで寝ようよ…」
私はお兄ちゃんに愛されたくて
お兄ちゃんを抱きしめる
私はお兄ちゃんに捨てられたくなくて
お兄ちゃんを愛撫する
そして永遠に愛すると
自分に言い聞かせる
寂しいから?
ひとりぼっちだから?
わからない…