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幸福の指輪

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ざっと視線を走らせてみると、女性の体の数か所に、仄かに傷口が確認出来た。まるで、一旦切り開いてそれでまた、縫い直したかのような……。これも、先ほど警部の言っていたエンバーミングとやらの過程なのだろうか。
「この死体は、連絡が来たら家族に引き取らせる事になっている」
どこか気だるそうに首の骨を鳴らしながら、警部が口にする。ぼくはハッと目を見開いた。
「身元の特定……出来たんですか?」
「……ぅん?ああ……」
ぼくに問われて、警部は首筋をポリポリと掻きながら、説明を始めた。
「死体の身元は、レイチェル=スワン……。この辺じゃあまり名を聞かんだろうが、アレキサンダーっつぅ伯爵の妻だ」
警部の話を聞いて、改めてぼくは彼女へと視線を向ける。
彼女の名前はレイチェル……。今まで、名前すら知らなかった彼女の存在が、途端に実像を伴って迫ってきた。彼女もまた、この世界を生きる人間の1人であり、生きてきた人生があったのだと、否が応にも実感させられる。
「未だ、遺族の確認はとっちゃあいないが、まぁ指紋やら何やらの情報では確定的だ。それに……」
腰に手を当て、何かを思い出す様に視線を上に向けながら、警部は続けた。
「俺は彼女の顔を覚えてる……忘れるわけねぇわな。こんなべっぴんさんよ」
それは呟きにも似た言葉だった。いや……もしかしたら、ぼくに言ったのではなくて、本当にただの独り言だったのかもしれないけれど、少なくともその言葉がぼくに衝撃を与えたのは事実である。
「会った事……あるんですか?」
覚えているというのは、そういう事だ。直接的に接触はしなくても、彼女の顔は見たはずである。写真で確認したという事もあるだろうけれど、彼の口ぶりは、さも実際に会って話したという風な物だった。
「ああ。何度かな」
ぼくの問いに、警部はうなづく。
「街でパーティだとかが執り行われた時に、少なからず言葉は交わしたさ。いやぁ、健気な人だったぜ」
歯を見せて笑いながら警部はしみじみとした口調で語る。
「元々は貧しい家の出で、貴族の家に嫁いだのも政略結婚みたいなもんだったらしいんだがよ。それでも、彼女は幸せだと言っていたなぁ」
愛があったんだろうねぇ……と警部は、同情する様に頭を振るう。
ぼくもその点に関しては同感だった。政略結婚というのは、本人の意思など関係なしに、親の意思が優先される。そこに自由などあるはずがなかった。そんな仕組まれた結婚生活の中でも、彼女が幸せだと言ったのなら、その日々は本当に幸福な物だったのだろう。
“貴方の持ち去ったその指輪は、主人がわたしに永遠を誓ってくれた本当に大切な物なのです”
夜の闇の中で、悲しげに言った彼女の顔が脳裏に蘇る。
胸が締め付けられる思いだった。まさか、彼女の結婚生活に、そんな風な経緯があるとは思ってもみなかった。ぼくは……彼女が最初からの貴族で、ただ贅沢をしているだけなのだと……そう思っていた。だけれど、実際にはまったくの逆で、貧困の中にいた彼女は、貴族の男に見初められて、ようやく幸運を手にしたのだ……。
あの結婚指輪は、そんな彼女の幸運の象徴……。それをぼくは奪ってしまった。
後悔が胸に押し寄せる。しかし、だからといって今さら返すつもりもなかった。ただ……それでもとても苦い罪悪感が、ぼくの心を苛んでいく……。
「泣かせる話だよなぁ。そこにあったのは、見せかけでもなんでもない、真実の愛だったのだから。彼女も、夫の事を深く愛していると言っていた。いつまでも、共に歩んで行ける様に、決して離れ離れにならないように、そう言って彼女は、夫から送られたリングを手放さなかった。一度として……。いやぁ、いー指輪だったぜぇーアレは。いつ見ても、キラッキラ光っててさぁー」
あの指輪の存在に話が及んでいく。
まさか、ここに来て、指輪の話になるとは思わなかった。ぼくの鼓動は激しくなり、冷や汗が背中を滑り落ちる。
警部は、この指輪の話題を愉しむ様に、ますますに深く踏み込んで、話を展開させていった。
「―そんな指輪なんだけどよぉ―。なーんか見つからなくなっちゃったんだよなぁ」
そう言って警部が、鋭い視線を自分に向ける。
ギクリ、とした。まさか、この警部……この話をするために、自分をここへ?指輪の事が……バレていた?
生きた心地がしなかった。警部が、疑いの言葉を口にしたわけではないのに、その視線に晒されているだけで、責められている様な気持ちになる。
「いつ何時も……手放した事がないはずなのによ。どういう事だろうねぇ、コレは」
死体の体に視線を落とし、ポンポンと叩きながら、警部は言葉を続けた。
「この仏さんわよ、それはそれはキレーな恰好で見つかったんだぜ。贅沢なドレスを着てさ、イヤリングだとかそういったアクセサリもそのままに。私物のほとんどを身にまとったままの状態で彼女は発見された……にも関わらずだ」
パン、と一度手を叩き、鋭い音を響かせてから警部はこちらに視線をよこす。
「肝心の指輪だけは……綺麗さっぱり消えちまってる。どーいう事だろうねぇ、コレは」
にやけた笑みを浮かべながら、舐める様な視線をぼくに向けてくる警部。その目は……明らかに疑っていた。
「流れ着くまでの途中で、波にさらわれちまったのか……あるいは誰かが持ち去っちまったのか」
あまりの緊張感に、口元がガタガタと震えた。今すぐにでも、ここから逃げ出したい。しかし、警部の疑惑を晴らさない事には元も子もない……こんなことになるのなら、来るんじゃなかった。
ただ、自分の迷いを断ち切りたいだけだったんだ。モヤモヤと晴れない気持ちを取っ払って、まっすぐに前に進みたいだけだった……。なのに、なのにこれじゃあ……。
「なぁ、坊や。お前さんは何か、手がかりを知らないかい?指輪がどこに行っちまったのか……その事に関する手がかりをよ」
この男は明らかに愉しんでいた。ぼくの事を尋問して……それでいて、きっとこの男の中では、すでに答えは出ているのだ。
「し……りません」
震えを堪え、口にする。きっぱりと否定しないと……たとえ、ぼくの事を疑ってかかってたって、まだ、きっと確信的な証拠はないのだ。完全にぼくがクロだと分かっているのなら、最初からお前がやったのだろ?と問えばいい……それをしないって事は、つまりこいつもまだ確信しきれていないのだ。ここは何とか、煙に巻いて逃げ切らないと。
「ふーむ。まぁ、そうだろうなぁ。そうなるよなぁ」
一人腕を組んで、うんうんとうなづてみせる警部。
「そいじゃ」
再び視線を向けて、彼は切り出した。
「万が一にも、お前さんがやったとか……そういった可能性はないわけだな?」
腕を組んで、含み笑いを浮かべながら、警部が問うてくる。鎌をかけているのは明らかだった。
ここは……冷静にだ。あくまでも、冷静に。ぼくは無関係なんだ。無関係なのに、言いがかりをつけられているだけなんだ……。
「どうしてそうなるんですか……」
作品名:幸福の指輪 作家名:逢坂愛発