読まれない小説を書き続ける精神力とは
努力しても上達しない人もいる
人それぞれ得意分野が異なり、努力しても全然上達しない場合もある。
これは仕方ないので、その人の限界だと思う。人によって得て不得手があり、これは小説を書く人でも同じ。それにセンスの問題もあり、自分が平気でも、読む人にとっては不快感を感じる場合もある。何が読む人を楽しませるのか、それを理解するには、ライトノベルのヒット作品を読んで研究するしかない。
時代によって流行が変わるように、みんながおもしろいと思えるライトノベルの傾向も違う。時期早々な作品もあれば、もう時代遅れになってしまった作品もある。この「おもしろい」というのは普遍的ではなく、時代によって異なる。
もし普遍的に面白いものがかけるなら、それはプロと同じレベル。作家で食えると考えられる。普遍性が理解できる人はプロの小説家になれると思う。
とにかく作家で食えるようになるには、一つだけヒット作品を世に出せばいい。もしかしたら10年前に出したらヒットしない作品が、今の時代なら受ける場合もある。逆に10年後には古臭いと思われる作品もある。また「ライトノベル」と「小説」は違うと思う。
「小説」の場合、普遍的なテーマの作品が書けると思う。普遍的とは時代や文化に影響されない、永遠のテーマである。これは哲学、文化、歴史、宗教など学識がないと、普遍的について理解できないと思う。
「善と悪」と「幸せ」とは時代によって異なる。服装が国や時代によって違うように、道徳基準も変わる。ある国では犯罪であることも、日本では犯罪にならない。
法律も時代ともに変わる。宗教に普遍的なものを求めるのは自然なことかもしれない。「ライトノベル」は、娯楽性が重視しているが、「小説」は少し違うと思う。だからといって「ライトノベル」を貶しているわけではない。
作品名:読まれない小説を書き続ける精神力とは 作家名:ぽめ